天山南路・歴史紀行 (6)

天山南路・6-1

【南疆鉄道 天山越え、トルファンに向かって下る大カーブにて 早朝 雪の山間を抜けた】

早朝 雪景色の中を 汽車は走っていた。 窓の外は、天山山脈はゆったり そして 黒々黒とした岩肌に雪を覆って横たわっていた。

寝ぼけまなこで外を窺う。 海抜3200m以上の海抜であろうか。

大きくループを描きゆっくりと 汽車は下降軌道に入った模様。

これから 海抜マイナス200mのトルファン盆地に向かうのだが、先は長い。

見渡す広々とある景観が目に優しく、開放感が心を満たす。

雪を被る山波のすそ野が窓際まで 緩やかに迫りくる。

行けども 行けども 窓の外の風景は 大きな変化を現さない、確かに広い。

沙漠の無量感ではない。 走れども走れどの村落が無く、ポツネンと遠くに散在するパオの白さのみが進んでいることを教えてくれた、あのシリンゴロの草原の広大感でもない。 無論、ヒマラヤの神々しさとは ほど遠い。

ここにあるのは そう 開放的な雄大さだ。

キタローの“薬師寺ライブ”を聞く。“饗宴”・“Think of You”・・・・ 天山山脈を快適な車中に ゆっくりと流れる時に身を委ね この贅沢はなんだろう・・・・

そうだ、昨夜のワインがあった。 地元のワインだが、今は ワインに限る。

汽車の進行につれ、高度計(腕時計内臓)をチラチラと伺う。 いつしか 周囲の風景は赤色の荒野に変わっている。 火焔山に連なる酸化鉄を多量に含む地帯を進んでいるのだ。

“孫悟空”兄が本拠の地に近づいていく。

天山南路・6-2

 【火焔山近景 孫悟空は呉承恩の創作ですが、インドの有名な叙事詩『ラーマーヤナ』の猿の神として登場するハヌマーンも黄金の肌と真紅の顔面そして長い尾っぽ を持つ姿として描かれているところから、ハヌマーンが孫悟空のモデルとする説もあります。 猿は、ヒンズー教で、ハヌマーン神の使いとして手厚く扱われ、参詣者から餌などを与えられて オールド・デリーでは闊歩していた。

ハヌマーンもまた孫悟空と同様に、超常的な神通力を使用し、空を飛んだり、体の大きさを変え、場面によって猿軍団を率いる、山を持ち上げるなどの行為を行ったと言われています。

叙事詩・ラーマーヤナの物語中でヴィシュヌ・弥勒菩薩の化身とされるラーマを助けて様々な局面で活躍する猿神・ハヌマーンの姿は、孫悟空が三蔵法師を護衛して活躍する姿と相似ている部分も多々見受けられ、『西遊記』の物語形成過程に『ハヌマーン』が少なからず影響を与えたことも考えられます。 カトマンズーの寺院に住み着く猿は神様扱いだった。 やはり、当地もインド文化圏・・・・・如水独白】

トルファンにて下車、10時前後 しかし 約束の車が出迎えていない。 待つことしばし されど当てはなし。

トルファン駅は市街地は北西60kmの外れ  動きが取れない。 駅舎前の広場にて屯するライトバンと交渉 話を付けて お決まりの観光コースに向かった。

トルファンはシルクロードが確立されて以降、天山南路・天山北路の分岐点 現代も南疆線・蘭新線の乗り換え地点である。 ちなみに 当駅からウルムチへ2時間 西安へ29時間 北京42時間 上海45時間の位置にある要所。 人口58万人の中核都市だ。

前漢代に車師国の一つ車師前国があり、その王城は交河城(ヤルホト)と言った。

この城の下には河が流れているので、交河城と言う。 その当時で人口が六千五百とある(当時の首都・長安の人口が二十四万ほど)。 この交河は現在のトゥルファン市街から西に10Kmほど行った所にその遺跡があります。

これに対して漢は現在のトゥルファン市街から東へ45Km行った所に高昌城(カラホジョ)を築いて屯田を行っていた。

その後、中国から戦乱 を避けて高昌へと移り住むものが多くなり、北涼の王族・沮渠氏が車師国を滅ぼして、450年に高昌国を立てています。

この高昌国は柔然に圧迫されて滅びていく。 この地は、その後は北方民族(柔然・高車・突厥)の影響下の元に闞・張・馬の四氏が高昌国王となります。 突厥が勢力を強めて行く頃のことです。

天山南路・6-3

498年に麹嘉(キカク)が高昌王(玄装三蔵の保護・信奉者)になり、640年に唐に滅ぼされるまで続きます。

高昌を征服した唐はこの地に安西都護府を置いて西域経営の拠点とした。 唐の国力がこの地方にまで及ばなくなる9世紀になると天山ウイグル王国の支配下に入り、天山ウイグル王国は高昌城を夏都と定めています。 しかし・・・・・そのウイグル王朝は・愛しのウイグルは

11世紀 耶律大石(現在、他のブログにて拙文創作小説記載中 http://bogoda.jugem.jp/ “疑心暗鬼”)のカラ・キタイが起これば 姻戚関係を結び、カラ・キタイ帝国の統治の下、一翼を担う存在に成って行きます。

カラ・キタイ帝国はジンギスカンに解体されるのですが、そのれは アルタイ地方の高原の統治者 ジンギスカンに対立しメソジスト派キリスト教王国 蒙古系部族・ナイマン王国の太子・クチュルクを受け入れたことに起因するのです。

ジンギスカンに領土を蹂躙されたクチュルクは 放浪の末、口先でウイグル国王の娘と結婚、国王を幽閉するのです。 また、マニ教徒を弾圧・殺害します。 この行為がジンギスカンの勘気に触れ、ジンギスカンの将軍・ジュペに進軍させるのです。 このジュペの進軍はウイグル王国の重鎮が依頼したようです。

そして、ジンギスカンが立てば いち早く その翼下に入ります。 ジンギスカンの中央アジア親征はウイグルが先導しています。

バイカル湖の南方が故地であった 遊牧生活からオアシス定着生活に移行したウイグル族は遊牧民の覇権主義を忘れたかの如き在り様のウイグル族です。 ウイグルはオアシス定着農業国家として各時代に名を留めて行きますが、以降 歴史の舞台から姿を消して行くのです。

その後、このシルクロードの要塞地は モンゴル帝国の成立後には ジンギスカンの三男であるチャガタイ・ハン国に領有されます。 チャガダイ早逝の後、帝国は分裂し、ジンギスカンの次男系が統治する東チャガタイ・ハン国の領有となります。

チャガタイ・ハン国が弱体化すれば、モンゴル系のティムール(インド ムガール王朝はティムールの孫が開く)に支配されるとその支配下となってしまう。

、1500年にシャイバーン朝(ジンギスカンの長男・ジュチの系列)によりティムール朝が弱体化すると、再び東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国)の支配下となる。

1514年にチャガタイの末裔がカシュガルでヤルカンド・ハン国がを建てると、1679年までその支配下となった。

誠に 激動の地 ウイグル族はジンギスカンの血族闘争に巻き込まれ、民族として 中央アジアの歴史から その影を消していきます。 元の時代・鎌倉時代です。

トルファンに残る多くの遺跡・遺構は天山に君臨した支配者が夢の跡です。

天山南路・6-4

【トルファン 三景】

トルファンの名前は明代より流布し始め、その意味はウイグル語で「くぼんだ地」を意味そます。 事実、 最深部マイナス160mかな、死海のー390m前後に次ぐ 世界で二番目の低地です。

西域番国志によると、15世紀初頭、明の永楽帝の命を受けた陳誠が、陸路でこの地(「土爾番」と記録されている)を訪れている。

清の時代に、更なる激動が起こります。 蒙古族と満州族がこの地を奪い合い。 ロシアが加わり、イギリスも覇権を狙う。

まず 蒙古族・ジュンガルの王権はチベット族の支援で清勢力と戦う、その間隙をロシアが突く。

イスラム勢力はイギリスと組んで三つ巴の戦いが開始されたのは250年まえ、乾隆帝の時代からです。 天山ウイグル王国の末裔“香姫”は民族の自尊を賭けて、燕京(北京)にて戦っていたのです。

また、ロシアの圧政から 逃れる蒙古族が“死の逃亡”の後、この新疆で安住の地を得るのも この時代です。 トルファンからクチャに掛けて、モンゴル自治区を形成している蒙古族はヴォルガ河からダヤンに引率された“死の逃亡”の子孫です。 前作“汗血馬の故郷へ”での友・バィツチンさんは“死の逃亡”の子孫です。

* “香姫”棗の香りを漂わせ、後宮一の美女。 乾隆帝の寵愛を拒否し、                26歳から28年間 紫禁城で暮らす。 病死に伴い、乾隆帝は200数余の               従者で三ヶ年半の時間を費やし、遺体を喀市のアボク・ジャ廟に運ばせた *

* ジュンガル・蒙古族は 後日の紀行随筆でお話しましょう *

さて、トルファンの市内に行こう・・・・・・・

天山南路・6-5

 【ウイグル王国の遺産・ベゼクリク千仏洞 ベゼクリクは“絵で飾られた寺院”の意 元時代まで維持された 上段左;ムルトウク河 対岸が火焔山の背面山塊 上右;ベゼクリク千仏洞は足下の断崖中腹に幅400m余穿かれている。 下段左;千仏洞へ下降する階段 下右;千仏洞のテラス 現在、57窟残存】

天山南路・6-6

【 ベセクリク千仏洞の壁画《1》多くはイスラム教徒の破壊を受け、欧州に持ち去られた ドイツ国立美術館所有の写真を転載 現地の窟は撮影禁止 鑑賞可能は10窟程度 誠に残念至極でした 】

・・・・・・続く

   *当該地図・地形図を参照下さい

 

※ 前節への移行 ≪ https://thubokou.wordpress.com/2013/01/16/ ≫

※ 後節への移行 ≪ https://thubokou.wordpress.com/2013/01/18/ ≫

 

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中