天山・草原のシルクロード(1)

草原の道・1-1

≪ 上に記載の【紀行1】及び【紀行2】は事無く、孫悟空の支援で記載できました。

  引き続き、【紀行3;天山・草原のシルクロード】を転載(二年前の記録)して行きましょう。 再度、新疆ウイグル自治区の地勢概念図を開きましょう ≫

草原の道・1-2

 今回は ウルムチからコルラに入り、トルファンで孫悟空兄の案内で

 “交河古城”・“高昌古城”・“アスターナ古墳群”・“蘇公塔”など を楽しみ。 シルクロードを東に走り、鄯善(ゼゼン)-哈密(ハミ)、 ハミから北上して天山山脈東部を横断する計画。

 ジンギス・カーン ゆかりの地を彷徨 記録です。 大草原の旅でした。

 コルラ市は我が友・バィツチンさんの故郷。 今回の全行程に同行している。

 参加メンバーは男性五名にいつもの女性二名が20名用のミニマイクロバスをチャーターしての旅、全行程約7000キロの長旅です。(この旅は前後の二期。 後半はウルムチからの【紀行4】3500キロ)

 春季は 鳥魯木斎(ウルムチ)⇒庫尓勒(コルラ)⇒吐魯番(トルファン)⇒鄯善(ゼゼン)⇒哈密(ハミ)⇒伊吾(イゴ)⇒奇台(チィダイ)⇒鳥魯木斎の約3500キロ相当。

 秋期は 鳥魯木斎⇒富蘊(トエン)⇒阿勒泰(アクス)⇒克拉嗎依(カルマイ)⇒伊寧(イーニン)⇒鳥魯木斎(ウルムチ)のコースで約3500キロ相当。

 天山北部のバリクル草原には 日本人が足を踏み入れた記録は無いとおもいます。

 この高原北部 若きテムジン(ジンギス・カーン)が アルタイ山脈東部のナイマン王国を駆逐しています。 ナイマン制圧がジンギス・カーンをユーラシア世界に君臨する大皇帝に成らしめて行くのです。

 春季のコースはシルクロード銀座を東に走り、東天山山脈(ボゴダ山脈)を縦断、アルタイ山脈へと連なるバリクル草原を天山北麓に沿い西に旅した。 【紀行3】

 途上 砂漠で遊び、ウイグルの友人家庭で歓迎を受け、マリヤム嬢合流の後 砂漠の中の温泉につかり、銀世界の“天地”で壮大な天山山脈の懐に入った旅であった。

 秋期の旅は アルタイ山脈の麓に向かうジュンガール砂漠は 外周を走り、アルタイ山脈山麓に至る。

 アルタイ山麓より、南西に砂漠の西側に沿って南下すれば、永遠と続く油田地帯に驚き、遊牧民の生活に触れ、孫悟空の別宅“鬼夜城”を抜け、ポロポロ山脈(西部天山山脈の北側)の西部よりイリ盆地にはいり、カザフスタンへの国境に触れる旅であった。 【紀行 4】

 草原の道・1-3

 【ウルムチ市 全景、紅山公園遠望、繁華街・二道橋の夜景 天山最高峰・ボベーダ峰 】

 さて、コルラ市は古代西域36国の一である渠犁国で、漢代には西域都護府(クチャに所在)に属していました。

 北魏時代には柳驢城と呼ばれ、 その後突厥の支配下に入ったが、648年唐に占領され、焉耆都督府の属地となった。

その後しばしば吐蕃に占領され、840年ウイグルが西遷してこの地に定住したのです。

さらに 西遼、チャガタイ・ハン国、ジュンガル王国などに属し、1758年に清朝の進出により、新疆(新しい領土・領域)となったのです。

 1939年コルラ県が成立し、新中国成立後、1960年にバインゴリン・モンゴル自治州政府の所在地となっています。

 タリム盆地(タクラマカン砂漠周辺全域)は全中国の四大天然ガス田(34パーセント)、六大油田に数えられるタリム油田(23パーセント)を有します。

 コルラはこれら天然資源開発基地であり、また石油天然ガス関連の産業が勃興している。

 「新疆のサウジアラビア」を目指して開発が猛スピードで進んでおり、南疆鉄道開通以後はその開発に拍車がかかり、近代都市として発展する一方、漢民族の大量流入が問題となっています。

 また、これから向かうハミ市は 紀元前2世紀初め匈奴の統治を受けていました。

 紀元前60年前漢が西域都護府を設け、「伊吾盧」と称し、後漢は宜禾都尉を置いています。

 北魏は伊吾郡を置き、隋は伊吾郡と柔遠鎮を設け、 唐はここに伊州を設けその下に伊吾、納職、柔遠の三県を設けました。 また伊吾軍も置いています。

 耶律大石が西遷し、西遼の領土となり、チンギス・カーンの帝国に組み込まれます。

 元朝には西域に阿力麻里(アリマエイク)行中書省が設けられ、哈密はこれに属した。

 当時 回鶻(ウイグル)は畏兀児、伊州は哈密力(ハミリー)と呼ばれていた。 ポルトガル人Jesuit Benedict Goësとマテオ・リッチの1615年がCamulの名を記録しています。 彼の紀行文に、ハミ王の律義さに感銘する文が在ったと思います。

 後にチャガタイ汗国系の王侯による独立した哈密国と成るが、 1404年に明朝へ帰属し、哈密衛が設けられた。

 1678年にはモンゴルのジュンガル部の占領を受け、その後清朝へ属しています。

 1759年に哈密庁を設け、1884年直隸庁へ昇格、中華民国が1913年に庁から県へ改めた。

 しかしながらチャガタイ系王侯は形式上1930年まで哈密で命脈を保っていた。

 ハミウリ(ハミグァー)の産地として知られ、歴代の漢中皇帝に献上していました。

 さて、旅立とう

     *当該地図・地形図を参照下さい

※ 前節への移行 ≪ https://thubokou.wordpress.com/2013/01/18/ ≫

※ 後節への移行 ≪ https://thubokou.wordpress.com/2013/01/20/ ≫

 

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