天山・激動の草原地帯(2)

天山・激動の草原地帯

天山山脈 北部の旅 その二

激動の天山2-1

 地図を見て頂きましょう。 ユウラシア大陸です。 青線が古来から現代までの交易ルート。

 中央にタクラマカン砂漠、その左がパミール高原です。 中央の白い部分はヒマラヤ山脈・カラコルム山脈・チベット高原がお判りでしょう。 如水が彷徨た地域も示していますが・・・・、

 “天山・激動の草原地帯”は 中央部 赤枠《草原の道》の核心部分の紀行です。 有史以来、現代まで これほど激動に 民が翻弄され、人々が戦い また ジェノサイトが幾度も行われた地域は無いと 私は思います。 誰もが記述を避けた 歴史の空白地帯だと思えます。

                       ・・・・・・・・   ・・・・・  ・・・・

 私達はウルムチの混乱を逃れ、半年前に南下した高速道を北上して米泉・阜康と快適にジュンガール砂漠へ向った。

 ウルムチからジュンガール盆地 砂漠までの緑草地帯は清朝以来 屯田兵(漢族)が遊牧民を追放して耕作地に変えて行った地帯です。

 屯田兵の入境は 現代までも続いていいます。 各地に広がる兵団農場がそれなのです。

 政策が 対ソ連対策として、駐屯させ 営農させているのです。 中国の余剰人口を招聘しているのです。

 しかし、事あるたびに遊牧民文化・習慣が 農耕(入境者)民文化との摩擦を起こします。 アメリカの人種のサラダ状態には  行かないようです。 難しいですね・・・・・

 高速道の最終地点が“幸福路口”(路口とは中国語で交差点の意)とは皮肉であった。

 “幸福路口”から公道216号線が一気にアルタイ山麓に直進している。 途中に温泉があり、前編で記述した場所。 その温泉場で遅い昼の食事をした。

 食道棟に入っていくと、また 同じ日本人が来たと怪訝な顔つきで歓迎された。 さもありナン、この場を使うのは漢族高級役人か 所轄の管理役人位しかいないのだから。

 単調な道である。 前方にあるアルタイ山脈が山陰は 何時までも そのままで地平にある。

 無理は無い 温泉(五彩湾)からアルタイ山麓の街”富蘊”まで280kmあり、アルタイ市は更に西北に走ること250km余を強いられる。

 東京から富士山麓まで直線的に走っているのだ、しかも 視界は荒漠たる砂漠。 起伏もなければ、何も無い。 そう 一軒の食堂さえも見つからぬ。

 されば と 車に積み込んだビールとウイスキーで車内バーを開店する。

 愚妻呆れて 『あー ラクダが居る』

 砂漠にラクダは当然だ と 私は 己が身体が砂漠にならないようにと、水分補給。 渇きを癒すに忙しくて のんきそうに草をはむラクダなどお構いなしだ。

 『人が いないので 野生のラクダかな・・・・』

 思考が停滞していく中で ふと思い出した。 ≪ まず その地域の歴史を知ることが 肝心 ≫ 井上靖氏(72歳で西域南道はホータンから且末までの500キロ余を踏破) が言った言葉だ。

 この地に歴史か・・・・・・・・

 紀元前7世紀、ギリシャの吟遊詩人アリストラアスがスキタイ※の要路をウラル山脈南部より“草原の道”に入り、この地を放浪したとヘロドレスの“歴史”に記されていたはずだ。

(※スキタイ;金装飾文化の担い手 騎馬の民 馬のハミを開発して遊牧民族の機動性を飛躍させた)

 更に古く 紀元前1200年頃 メソポタニヤの青銅文化がこの地を通じて伝播して行ったはずだ。 パミール越えはあまりにも自然が厳しすぎる。

 草原の道は 東西を結ぶ最初の道、 ソグドの民が切り開いたシルクロードは有史以降の事ではないか。

 その新しいルートの利権を求めて 紀元前2世紀 漢の武帝の命を受けた張騫がパミール・ルートを確保するのだが、 この“草原の道”は シルクロード以上に重要ではないか。

 モンゴリアは 匈奴・鮮卑・柔然・烏孫・回鶻 等が勃興し 民族の流動が東欧の民族大移動を起こさせた。 そして ギリシャ・ローマ・欧州の歴史を刻んでいく波動を生んだ。

 この道があったが故に違いない。

 この地 この“草原の道”(上記の地図をご参照)は ユウラシア大陸は東西交易の大動脈であった。 ショウトカットの要路であった。

 東西交易が“海上のシルクロード”に移行するまで 重要であるがゆえに覇権を競い合ったのだ。 その結果が 当地で2000年間に及ぶジェノサイトなのだ と 考えると悲しくなる。

 この地には サモアの巨像の小型版“カイナール石像”が青銅器時代の墳墓遺構として散在している。 かのカイナール石造が口を開けば 悲しみの物語を聞かしてくれるであろうか、 楽しい歴史を語ってくれるであろうか。

 あれやこれやで 酔いが早く いや 車に酔ったのかな、ラクダどころではない。 狼は昼間 寝ているであろう。 私も昼寝とする・・・・・

激動の天山2-2

 秦・漢 など 黄河流域に覇権を いや ユウラシア大陸東部の一部に帝国を経営した政権の最大の悩みは匈奴であつた。

 秦の始皇帝は 匈奴対策に万里の長城を構築した。 建設が財政を圧迫し、赤字財政で過酷な税で市民は遮蔽した。 本末転倒 秦王朝は崩壊した。 また、

 漢王朝創立者“高祖・劉邦”は 建国の自信過剰が災いしてか 匈奴に挑戦する親征に十数万の軍団を率いるが、平城(白頭山)で匈奴に囲まれ 九死に一生を得る。

 呂皇后が 莫大な献納金を差出し 和睦する。

 以降 前漢・後漢王朝の400年 毎年貢物と皇女を匈奴に捧げている。

 そして 後漢の崩壊(219年A.C.)以降も 匈奴の血脈は魏(三国時代)・晋(五胡十六国)・宋・斉・梁(南北朝)・隋と 匈奴はその血筋は繋がり、400年 累計約800年 中国を支配している。

 誠に 強靭な政治同盟で結束した民族集団です。

 やがて その一派から李淵・李世民親子が唐王朝(A.C.618年)を打ち立てるのですが・・・・

 匈奴の一派が新興勢力に滅亡されようとした折、一人の赤子が天山はボゴダ山麓に哀れみ ゆえに捨てられました。 その赤子を雌狼が育てた。 やがて 赤子は成人した。 雌狼と契りを結んで 10人の子供ができた。 “突厥と兄弟たち”と彼らは 名乗った。 そして、

 突厥→トッケツ→テュルク→トルク→トルコ(現代のトルコ共和国)と流れていくのです。

 ちなみに ジンギスカンは白鹿の子孫 白き雌鹿(コアイ・マテル)と蒼き狼(ボルテ・テノ)の子・バルケカンの12世代目が美貌の“アラン・コア”

 アラン・コアが“日と月の神”と交わり(キリスト教の処女懐妊ではないのが現実的 いや 遊牧民的なおおらかさが面白い) 三児を生む。

 その末子がボルドンチャル・ムンカク ジンギスカンの11代前で、有力部族長である。 ジンギスカンは傍系の血筋だが、ボルドンチャル・ムンカクの四世代目に 勇者のカイドウ・カンが近隣部族を集握して行き、本家を凌いだ。

 ジンギスカンはカイドウ・カンの六世代後の勇者 イエスゲィ・バートルの長子です。 遠祖が“白い雌鹿” と言うから 誠に可愛いですね。

 ・・・・・我々の行くアルタイ山麓は突厥胎動の故地であるのです。 唐が覇権を拡大するまでの 長い時代を突厥が華北・シルクロードを支配しました。

 その 源泉は豊富な金・鉄・銅がアルタイ山脈に埋蔵していたからです。

 交易の民・ソグドを軍事的に保護し その覇を中央アジアの遊牧民に示し隆盛を極めていきますが 6世紀 唐の“太祖”が策に貶められ

                              東西に分裂し消滅して行きます・・・・が。

激動の天山2-3

  1241年 秋 この地 この時節に 一頭の馬が 西を目指して疾走して行った。 イリに向けて いや ライン河に向けて。

 カラコラム(モンゴル帝国の首都 ウランバートル西方にあり現在は廃墟)からの伝令です。

 鬼神のように 広大なモンゴル帝国を踏破して行く。 この草原の道を利用して。 地球を半周りするほどの距離を駆け抜ける、昼夜を問わず、口からでる血を後方に撒き散らしながら、

 10日間で 馬198頭を乗り潰し その任務を果たし 息絶えた と司馬遼太郎さんは書いていいます。(司馬遼太郎の初期の名作、題は“疾風”だったかな?)

 ジンギスカンの三男・二代目帝王“オゴデェイ”の死を長男“ジュチ”の後継者・バトゥ(モンゴル帝国総力結集の東欧遠征総司令官)に伝える使命であったと言う。

 歴史に【もし・・・】はないですが、もし この道を鬼神のごとく 騎馬の伝令が疾走しなければ現在の欧州はないはずです。

 バトゥが指揮する東欧遠征軍はウィーンに迫っていた。 陥落一歩手前で バトゥは撤退を指示したのです。

 バトゥは大西洋まで進軍する予定だったのです《事実、バトゥはイギリス貴族(十字軍の脱落者)を幕内の参謀にしています。 他にフランス人・オーストリヤ人も居ました》。

 伝令が走り抜けた道を私達も、イリを目指して旅を続けることになります。

 夕刻 富蘊に入る。 清水流れる小さな町であった。 キルギスの旅行を思い出した。

激動の天山2-4

*当該地図・地形図を参照下さい

 

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