天山・激動の草原地帯(6)

天山・激動の草原地帯

天山山脈 北部の旅 その二

激動の天山6-1

【 シベ族の若者、イリ盆地にて 烏蘇の田園とサムリ湖への緩やかな傾斜草原 】

激動の天山6-2

 烏蘇で昼食。 高速道路に入る。

 ポロホロ山脈に沿って西に向う。 草原地帯である。 時折 干上がった河に架かる橋をわたる。

 1880年7月 モスクワにてロシア臨時代理公使の任務を終えた 西徳三郎氏が帰国の折 馬に揺られて この斜面を下って行った。

 西トルキスタンに入り アルマイ(トルキスタンの商都 “アルマイ”は林檎の意)からイリ渓谷を登り詰め、イリに入っています。

 我々と同じコースを歩いています。 人々の暮らしぶりを日記に書き残しています。

 私達が高速道路を利用して走る 清河市・烏蘇市辺り 泥と轍の旧道を東に駒を進めていたのです。

 彼の旅行日記「湖を過ぎ、轍の跡に従い進む。 精河村落であろう、悪臭が漂ってきた。 村落に入れば いたるところ 哀れ・見るに絶えず。 不浄にして死臭すら漂う。 家畜なら食べるであろう なれば 死人か」

 と 日記のページを繰るたびにこの言葉が飛び込んできます。

 西徳三郎氏は 鳥蘇周辺の日記は特に激しく怒りを表しています。 「これが この様が 政治の結論か 政治が人民をこれほどまでに苦しめるのか」

 西徳三郎氏は 烏蘇辺りから北上してシベリヤ経由で帰国しています。 私達が旅した道程を 逆に辿り、 阿垃山口でモスクワに繋がる汽車に乗っています。

 モスクワからタシケントまで馬車を利用していますから、馬・馬車のたびだったのです。

 彼が この地を通過した1880年は

 1871年、ヤクブ・ベクの新疆侵入に乗じて、ロシア帝国がイリ地方を占領、恵遠城(清朝の行政府)を破壊の対象とし 市内をことごとく略奪・人民の殺略を繰り返していた。

 清朝は欽差大臣の左宗棠を派遣して、1876年までにヤクブ・ベク軍を鎮圧する。

 1881年には、ロシアとの間でイリ条約が締結され、多額の賠償金と引き換えにイリ地方は清朝の支配下に戻した。

 1883年には、新疆省が設置され、中国内地と同様の行政制度が導入された。

 イリ将軍は、主に新疆北部の防衛を担う名目的存在となり、新疆の行政権は漢人官僚から任命される巡撫に移された。

   《 イリ将軍; 1759年の乾隆帝によるジュンガル征服により、旧ジュンガル領の           イリ盆地、タリム盆地は、清朝の支配下に入り、1762年、清朝政府は、新疆支配        の統括機関として、イリ将軍府を設置した》

 ロシアに破壊された恵遠城は新たに再建されたが、イリは新疆全域に対する政治的中心地の地位を失い、その地位は、新疆省の官衙が置かれた迪化(現在のウルムチ)に移った。

 まさに このジュンガル盆地の遊牧民が塗炭の苦しみに喘ぐ中を 西徳三郎氏は旅しているのです。

 この地を彷徨った日本人について一言添えておきましょう。

 19世紀初頭の大谷探検隊(第一次1902年 第二次1908-1909年 第三次1910-1914年)の事業は次回にはなしますが・・・・

 ただ 1889年 浦 敬一(上海 東亜学院卒業)が ロシア・シベリア鉄道建設計画が 日本帝国の満州の防衛上重要である。 また 新疆を日本帝国の防衛線と考える 帝国陸軍の要請で この地に調査に来ていたのです。 が、 彼は行方不明で音信が途絶えます。

 1905年 東亜学院生の4名

 ・草 政吉(ウリスタイ/アルタイ山脈西部の探索)

 ・三浦 稔(クーロン/アルタイ山脈北部の探索)

 ・波多野養仲(ジュンガール南部の探索)

 ・桜井好孝(コブド/アルタイ山脈東側の探索)

   の 四名来訪し、滞在し、二ヵ年ほど調査の後 帰国しています。

 無論 目的はロシア軍の動向調査と浦 敬一の消息でしょう。

  《 東亜学院; 上海に開いた大陸で活躍するべく密偵を養成した学校。 当校より           ラサ・シベリヤ・タイ北部・アッサム地方 に調査に赴いた若人の記録を読むことは             一部可能です。

    尚 現在ウルムチ市内は繁華街 南門 に大きな地下アーケード街が在ります。

200店舗がテナント営業 ブティク・ブランド品志向 この場所の名前が”ハタノ”です。で。

・・・・だけど 戦略立案の為の情報取集 凄い・・・歴史の裏で 人は蠢く・・・・》

激動の天山6-3

【サリム湖(賽里木湖)南北約25km、東西約30km 海抜2100m 淡水湖 二度訪れている】

 車は快調に 緩やかな草原を登る。 ホロホロ山脈が美しい。 右手の草原に 一条の鉄路がみえる。 国境に向かう路線だ。 いや、支線のイリに向かう線だ。 貨車を連ねる長い車両が 草原を走る。

 途中 モンゴル族の祭場 “オボ(巨大なケルン 旗を立て、小旗で飾る)”に詣でる。

 道は緩やかな登りを三時間、カザフスタン国境が近い。

 サイラム・ノール(サリム湖)は海抜2100m 琵琶湖の7割程度の面積。 北側に山稜が迫る。

 山稜の 反対側は カザフスタン。 カザフ(コザック)族の母国である。 カザフに至る間道あり、キルギスタンにはアルマイから至近の距離だ。

 サリム湖の南は ポロホロ山脈に接し イリへの峠がある。 西は山麓地帯で東が草原地帯だ。

 西より 草原地帯を登りきた我々は サリム湖 湖畔の草原を一巡して 遊び 湖畔の南からポロポロ山脈に分け入った。

 湖畔周遊 小一時間半 峠への登りが半時間。 峠より本道を離れ、サリム湖とは反対側の山腹を水平に 20分程度走り ホテルに着いた。 5時前である。

 ホテルは我々のみ 広々 と 空虚。 浴室の風呂 温水は無かった。

 ホテル前面の景色は壮大であった。 目前でヤギ・羊が草をはんでいる。 その先に 工事中の高速道路は柱脚が ニョキニョキニョキと立っていた。 高さ50mはあろうか

激動の天山6-4

【 鬼夜城 と ジュンガル西部域の草原 、他資料より転載 】

 我々のホテルは峠にあった。 厳密には峠の南側(湖の反対側)に位置している。 ポロホロ山脈の西側はコキルチャン山脈と呼ぶ。 ホテルはコキルチャンの鞍部にあった。

 私は 以前 昌吉市からポロホロ山脈越えの217号線を秋に利用したが、峠を越すのに岩稜地帯の細い道を6時間近くも要して登ったことがあった。

 早朝にウルムチを立ち、鳥蘇市手前の昌吉市でから南下し 草原から山服に入り 森林帯を抜けると岩稜地帯であった。

 10月初旬なのに 上部は雪道であった。 日が暮れ、月明かりの中を車は 喘ぎ喘ぎ登って行った。 周囲は4500m以上の雪陵である。 道には 微かに 轍の跡が残る。 谷あいの道である。

 真夜中前にポロポロ山脈の山稜に達した。 左手に5039m、5348mの無名峰が 月に照らされ 荘厳であった。 車はやや 山稜山腹を東に走り 最低部に向かった。 山稜は岩がそそり立つ屏風であった。

 最低部(コル)の下に トンネルがあった。 そのトンネルは 過日の上高地は釜トンネルである。 素堀で ゴツゴツと岩が剥き出ており 車幅いっぱい なのである。

 眠れるわけがない。 海抜4200mはあろうか 高山病より 心臓に悪い。 もうこりごりだ。

   《この217号線は イリ渓谷を縦断する218号線と ホロホロ山脈北側のジュンガル西部は東西に走る高速道312号線を結ぶ ホロホロ山脈の横断道路 その距離 約250キロ、現在は使用禁止です》

 ホテルの庭に立って 前方の景色に見惚れ、トンネル越えの旅を思い出していた。

 “峠”という文字は 和製漢字である。 国字とも言うらしい。 が、 イメージが湧く

 このコキルチャンの鞍部とあのトンメル間は 直線距離で 約500キロだろう。その中央部に鉄道線路が敷設されている。

 4017m、4517mの雪嶺があり、 精河市から別れてイリに入る鉄道路線は軍事用だと聞くも 解放されれば 山岳路線として 屈指の観光資源に成るだろうに・・・・・・

 私達が イリ渓谷に入るには この自動車路を使うか、航空路線を利用するしか 手段はないのです。 南からは 四日は掛かるでしょう。 天山山脈縦断コース。

 ウルムチから空路一時間だが、一度 空路で マリヤムと往復したが あれは 旅でなく 単なる移動だ。 やはり トンネル越えが旅であろう。

 そう あの折は トンネルを抜けた翌朝 イリ河で顔を洗い、ポロポロ山脈の山腹に再び入り、清流流れる小川のほとりに ポッンと佇むモンゴルのパオで 一週間過ごしたのだった。

 豊潤な旅だった。

 明日は イリに進撃だ・・・・・

                         *当該地図・地形図を参照下さい

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