天山・激動の草原地帯(8)

天山・激動の草原地帯

天山山脈 北部の旅 その二

激動の天山8-1

【 ユルドゥズ渓谷へ 】

このイリ河によって 現在 シベ族は物理的に シベの人々は他民族と分離されている。

 シベ族(ツングース系)または シボ族は もともと内モンゴル自治区北部のハイラルにある室韋山を原住とする鮮卑の一派と伝えらています。

 現在 シベ族は 内蒙古自治区の瀋陽、長春、哈爾濱、鳥蘭浩特 などに散在しています。 また 当地 新疆ウイグル自治区の イリ・ハザク自治州チャプチャル・シベ自治県、及びイリ川流域の霍城県、トックズタラ県に集中しています。

 2000年の人口調査ではシボ族人口は188,824人で、中華人民共和国政府が公認する56の民族の中では31番目に多い人口です。 満洲に住むシボ族は漢文とモンゴル文を使うが、新疆に住むシボ族はアルタイ語族満洲語に属するシベ語を話し、満洲文字を改良したシベ文字を使用しているのです。

 私は 厳冬の2月 マイナス三十度近い 哈爾濱(ハルピン)から 凍りつく松花河を渡り北上し、鳥蘭浩特(ウランホト)・哈爾濱(ハルピン)と小興安嶺山脈の裾野を車で 彷徨たことがあります。

 雪で覆われた 大雪原に日干し煉瓦の粗末な村落が ポッネンとありました。 友人(蒙古族)が

 『あれはシベの村 政府の保護で暮らしている 他の人々との交渉を嫌い 村に入らない方がいい』 と 言ったのを思い出します《この折の紀行は 後日話しましょう》

 シベ族は 東胡(蒙古高原の遊牧民 中国史書にある 烏桓、鮮卑、柔然、等「東胡の後裔」と記される) とされる民族の一派でした。

 大興安嶺一帯に住居していた古代鮮卑は 4世紀の五胡十六国時代の頃、遼東や華北に南下し前燕や北魏などを建国しました。

 だが少数の鮮卑人は依然として嫩江から松花江一帯に残り、本来の習俗を保って土着したのです。 残留した人々が シベ族の先民です。

 私が垣間見た村落が移動しなかったシベの末裔でしょう。

 1593年シベ族はヌルハチ(女真族)の満洲軍(蒙古系で編成された)に征服され、モンゴル八旗(軍団)や満洲八旗に編入されました。

 その後、清軍の中国征服に従軍し、雲南や新疆など中国各地に駐屯するようになったのです。

 とくに 1764年には1016人のシボ族兵士が新疆辺境守備を命じられ、満洲から移住しており、これに家族や親戚数千人が同行したのです。

 これが新疆のシベ族の起源なのです。 満洲民族が満洲語を喪失した現在、新疆のシベ族は満洲語を話し、満洲文字を読む数少ない民族となっています。

 固有の文化を持ち それを大切に伝承・維持することが 他民族との融和を妨げている。 悲しいことですね・・・・・

 己のアイデンティーを喪失するかことは 誰でも出来ないし、したくないでしょう。 現在の民族問題 特に この地の少数民族と烙印を押される人々の苦しみは いかほどかでしょうか

 私には 友人達の顔が浮かべることしか 出来ないのですが・・・・・

激動の天山8-2

 いま一人 私が興味を抱き続ける このイリ渓谷に関与した重要人物を紹介しよう。

 毛沢東の馬鹿でかい巨像が中国 至る所に 右手をかかげる虚勢で立っていいます。 いずれ ロシアはレーニン像と同じ運命でしょうが、この 辺境の地に記念館があります。

 記念館の中庭に 等身大のブロンズが 静かに思慮する姿で佇んでいます。

 等身大の立像の人物 名を“林則徐” 清朝末期の人 福州の人です。

 林則徐は欽差大臣として 一人 大英帝国と渡り合い、聞かぬとあらば アヘンを各港で焼却処分した壮士です。 情愛の激しい人物です。

 この事件がアヘン戦争の契機となり、清帝国の崩壊に繫がって行ったのは ご存知でしょう。

 彼は西太后が逆鱗に触れこの地“伊寧”に左遷・流されます。 憔悴の旅の途上で記した日記が残っていいます。 彼もシルクロードの歴史を唯一の友に歩いたらしいです。

 河西回廊の街路樹は班超が植林しつつ 進軍した故事、トルファンではカレーズ(地下水道)に驚愕し、ウイグル民族の技量を 被支配者民族の文化に敬意の表しています。

 辿り着いたイリは 清朝の圧制そのもので 清朝はイリ将軍が少数の漢族とシホ族を執行官として 土着住民を奴隷のごとく 取り扱う行政に激怒するのです。

 また ロシアの猛威を肌で感じ、 国土の防衛は ここに住む住民の郷土愛が根幹であるはずと考えます。 遊牧の民は状況しだいで国境すら渡り歩きく郷土愛の喪失者の群れだとも考えました。

 林則徐は この地を豊潤な土地に 誇れる郷土に変えねば成らぬと 立ち上がります。 民族の垣根を越えて イリ渓谷(渓谷のイメージではこの地の広大さは判断できないでしょう 前記載の写真を参照ください)の灌漑事業に後半の人生を掛けたのです。

 イリ盆地の人々は彼を愛し、自発的 像を造り、記念館を作り 自発的に維持しているのです。 観光ガイド・ブックには記載されていないでしょう。 バッチンさんも知りませんでした。

  井上靖氏さんが ≪ まず その地域の歴史を知ることが 肝心 ≫ と 言った言葉は 山を離れた私が 放浪できる支えです。 興味のタコはどこまでも フラフラと 迷走《 いや 酩酊かな 》しながら 上昇して行きます。

激動の天山8-3

 翌日 イリ渓谷を詰め 大草原と湿原を見に行こうと イリ河沿いに4時間走る。

 途中 定期青空バザールで停滞するも、走れども 走れども イリ河沿線の 穀倉地帯の風景は変化しない。 私がポロホロ山脈はイリ渓谷側(南側)山麓で 蒙古族のパオで過ごした 思い出の場所も まだ遥か先だ。

 蜂蜜採集用のミツバチ箱が一面にあった山腹もまだ先だ。

 『 モウーいい ユウ・ターン 勇たーん』 と 誰かが言った。

激動の天山8-4

【 林則徐の阿片焼却 ・ ウルムチ昨今 冷える朝 ウイグル街 裏道にて 】

                         *当該地図・地形図を参照下さい

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