紀行エピローグ・写真随筆 5

紀行エピローグ・写真随筆

エピローグ5-1

紀元前二世紀 張騫の記録以前から西の漢中と東のローマを結ぶシルクロードは交易路として開発され、発展し栄華を甘受してきた。

この地 ホータンも 河西南路 インド・天山南路に繋がる拠点として 発展してきた。

だが、交易の荷は 船がラクダに取って代わった。 隊商隊はシルクロードを行き交うことがなくなった。

海のシルクロードが交易路となり、2000年間に築きあげた 中央アジアの栄華は また その知識は いつしか消滅して行った。

中央アジアは 18世紀中頃から 東西からの僻地に変わって行った。

19世紀には この地は 世界でもっとも情勢の判らない地図の空白地帯と 成ってしまった。

19世紀中葉 産業革命を経て急激に成長した新興のイギリスと 海のシルクロードへ出口を求めるロシアの覇権帝国主義が 地図の空白地帯に 領土的興味・野心を持った。

他の新興国も 負けるものか と追随した。

覇権帝国主義が “中央アジア探検時代”の幕を 抉じ開けた、 しかも、暴力的に・・・・

エピローグ4-2

1857年 ロシアのセメノフが天山山脈を探検した。 イギリス・東印度会社はドイツのシュラギントワイト三兄弟に チベット・東トルキスタンの調査を命じた。 次兄アドルフはカシュガールで殺された。

1868年 イギリス人・へーワードがカシュガール地方の調査にきた。 翌年 パミール高原で殺されている。 当時、イギリス・東印度会社は印度人の測量技師をヒマラヤ・カラコルム・チベットに送り込んでいます。

エベレスト、K2、マナスル 等巨人峰が発見されていった 頃です。

このころ 野心に燃える探検家で 不運にも現地で殺されたり、行方不明に成った者は数多くいたでしょう。

ロシア貴族・ブルジェルスキーはウランバートルからゴビ砂漠・キルリン砂漠のモンゴリアを、青海からチベット、タルム盆地と広範な地域を 1878年から85年に掛けて調査・探検に 四回も赴いています。

1876年~77年の第二回探検で ロプ・ノール湖が中国の古図より400キロ南方に位置すると地理学会に発表したのです。

ドイツ帝国の著名な地理学者リヒトホーフェン(“シルクロード”の名付け親)は真っ向から反対し 激しく 異論を唱えます。 地理学会は政治的な指導権争いも絡み 迷走していきます。

1888年 ブルジェルスキーは第五回の探検旅行に旅立ちます。 天山からパミールを探索し イシク湖ほとりで病に倒れるのです。

《 記載済み“汗血馬の故郷”の目的地イシク湖の湖畔に彼の銅像があります。            天山最高峰・ボベーダを仰ぎ見る彼の立像を綺麗に掃除して帰ろう と言う希望           を 抱いた旅でした 》

スウェン・ヘディンはノーベル会社のカスピ海東岸石油採掘現場に赴く ノーベル財閥御曹司の個人教師として同行した帰路、冒険旅行を楽しみ 地理学に興味を抱くのです。 ストックホルムには帰省せずドイツに留まって 地理学に没頭してしまうのです。

遊学中にリヒトホーフェンの知遇をます。 中央アジアの空白地帯を研究テーマにするように成るのは当然でしょう。

ロプ・ノール湖は地理学会の大問題です。 ブルジェルスキーの学説は 彼の弟子・コズロフに引き継がれます。

リヒトホーフェンが他界すると ヘディンが解決しなければならない課題に成ったのです。

コズロフとヘディンの激しい論争と実地の探検が 繰り返されました。  学究者同志の戦いではなく、国のメンツを賭ける戦いになったようです。  アドルフ・ヒットラーとヘディンが親交を結んだのはこの頃でしょう。

ヘディンは 秘書官を通せず総統・ヒットラーに会える数少ない人物と成り、ユダヤ問題などで激しく ヒットラーを諌めていますが・・・・・・

エピローグ5-3

1889年から94年に掛けて ヘディンは何回 《彼の探検歴は後程記載》もタムリ盆地の探検を実施しています。

彼は ロプノールは1600年を周期として、南北に移動する“彷徨える湖”を論証 発表するのです。

この論文は世界を震撼させました。

また 彼が 猛烈な砂嵐に会い 避難した場所で偶然発見した“ローラン遺跡” この遺跡から持ち帰った文物が地理学会だけでなく、民俗学・史学・言語学の分野でも 過去の定説を覆すものだったのです。

1902年 ハンブルグで開かれた国際東洋学会は 国際事業として 中央アジア探検推進実行を可決しています。

ドイツは グリュンウェーデルとル・コックを同年から14年間 クチャからトルファンに至る地方に派遣し、4次に渡って学術調査と貴重な遺物を持ち帰っています。

他方、イギリスはスタインをタムリ盆地南方調査に派遣します。 スタインは 1900年から16年に掛けて、三次に渡る河西地方の探検をしたのです。

フランスは1906年~09年にかけ ポール・ペリオを中心に派遣します。 ペリオは漢文が読めたのです。 彼は貴重な敦煌文書 《この折の逸話は後程記載》 を古紙のような値段で買いあさり、トラック数十台を使って本国に送り出しました。

エピローグ5-4

1902年~1914年に 大谷探検隊が活躍したのも この頃ですね。 三次に及ぶ探検でした。

大谷光瑞・本多恵隆・井上円弘・渡辺哲信・堀賢雄・野村栄三郎・橘瑞超・吉川小一郎らが活躍しております。

1915年 中華民国の成立。 中国の知識人・文人はスタイン、ペリオ、ル・コックらの国宝級重要文化財の壁画・文書・文献の海外の持ち出しに怒り、中国の文化財を守れと言う世論が高まり、海外からの調査団を排斥して行きます。

中華人民共和国政府は 外国人の新疆省内での活動を 全面禁止を布告するのです。

地図の空白地帯は 未だに埋まりません。 探検家は傍観できないのです。

ヘディンは諦めません。 八年以上の歳月を費やい、西北科学考査団を中国との共同で組織します。 1927年 北京を旅だったヘディンは ゴビ砂漠からバタリン砂漠を抜けウルムチに辿り着きます。 《 このルートは如水走行済み、後程記載 》

沙漠の厳しさで中国隊員の発狂・殺人事件が発生、辿り着いたウルムチでヘディンは投獄されます。 ウルムチは 前記載の西トルキスタン政府と中華民国政府の抗争の渦が 激しく巻いていたのです。 1933年にストックホルムに帰り着いています。

1930年 この地ホータンにスタインは現れました。 第四回の探検旅行です。 土着の住民に成りすましても 前歴を知る人々が多くいました。

発見すべき人が 発見され、追放処分を受け ホータン河を登って行ったのです。 国境で解放されたスタインは ギルギット(全記載の地図参照)からスリナガール(イギリス大使館があった)に抜けています。

スタインは スリナガールで過ごしています。 ヒマラヤ登山の開拓者・ラサに西欧人で第一番に乗り込んだ ヤングハズバンド卿が若い折にスリナガール駐在武官でしたから、恐らく二人の交友は在ったでしょう。

1943年 スタインは アフガニスタンの探検に旅立ちます。

スタインは パミール高原の入口・カブールで病床につき、カブールの外人墓地で永久の眠りに着いたのです。  享年81歳。  カブールには私が好きな“パープル”の墓がありますが・・・・

スタインの墓石には「学者、探検家にして著述家。 印度・中国領トルキスタン・ペルシャ・イラクの困難を極めた旅行により、知識の境界を拡張した。・・・・・心より愛された人である」 と 彫られているそうです。

スタインは ハンガリーのブタペスで 1862年 ユダヤ系ハンガリー人として生まれた。 ドレスデン大学、ブタペスト大学、ウィーン大学、ライプチィヒ大学、テュービングン大学、オックスフォードオ大学、ロンドンン大学等で学んだでいます。

1888年に母校の一つロンドン大学のローリンソンの紹介により北インド(パキスタンも含む)に渡った。 ラホールにある東洋学校の校長が彼の当初の肩書きであす。 1899年には、カルカッタのカルカッタ・イスラム寺院付属学校の校長となっていますから、印度領内を彷徨たのでしょう。

学歴から 非常に博学にして 未知なるものへの好奇心が また 未知なるものを探求する行動力が 彼をして偉大な探検家にさせたのですね、

しかし 私は

彼が好きには成れません・・・・・ 何故だろうか・・・・

エピローグ5-5

やはり 人ごみに身を置くけば、なんとなく 心が和む 孤独感を忘れさせてくれる。 人の匂いと 焼き鳥の匂い。 青空バザールも見に行った。

ウイグルの女性は美人が多いと 再確認した。 横にいるマリヤムが笑っているように思えた。

エピローグ5-6

エピローグ5-7

マリヤムが縫製工場に連れて行ってくれた。 工場内で子供たちが遊んでいた。

ホータンは 美しいオアシスの街だと つくずく 嬉しくなった。

敦煌の 思い出は・・・・・・

いや その前に“彷徨える湖”ではないが 彷徨 私を何とかしなければならない・・・・・

エピローグ5-8

タクラマカン砂漠 マリヤムと二人で彷徨い 横断道の国道は夜行寝台バスの窓から眺めた煌々と輝いていた石油基地 その照明は幻想を誘った

厳冬の砂漠は薄っすらと雪化粧

さて、 明日から敦煌を中心に タクラマカン砂漠の砂に埋設した歴史を発掘する旅に出よう

                         *当該地図・地形図を参照下さい

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