紀行エピローグ・写真随筆 16

紀行エピローグ3=敦煌・哈密地区=

エピローグⅢー7-1【古来 漢中王宮に献上されたハミガー売り;簡素な天山廟 孔雀石の濃い緑が美しい】

エピローグⅢー7-2【哈密 のハミ回王陵複合体。左が艾提卡モスク、中央がモハメド・ビシル王廟、右がハミ 9世廟。ビシル廟のイーワーンおよび その左右の壁面のニッチがすべて三角形状になっている】

専門的な話になります。 恐縮ですが、私の過日の分野です故 お付き合い下さい。

ハミ市の西南 2kmの地に 現在復元されつつある回王府の宮廷地区が あります。 同一敷地内の奥 一段(5m程度)高い場所が宮廷地区です。 入門ゲートからイスラム式の庭園があり、旧王朝の廟が静かに佇んでいます。

宮廷地区の建屋は中国式の煉瓦と木造の建築であるのに対して、隣接する回王陵(フイ・ワンリン) とモスクの地区は ずっと中央アジア的であり、レンガ造のアーチやドーム、そしてタイル仕上げが用いられています。

この地区は 1709年に 初代ハミ王がこの地に埋葬されて以来、王家の歴代の王墓が建てられたが、今ではレンガ造の廟が 1棟と、レンガと木造の混構造の廟が 2棟、それに木造モスクの 4棟のみが残っていました。

墓廟は 拱北(ゴベイ) あるいは 拱拜(ゴンバイ) と呼ばれ、王のほかに王妃、および その家族も同じ堂内に葬られています。

エピローグⅢー7-3【回王陵、第 9代・沙木胡索特王の拱拜(ゴンバイ)内部。 磚造の壁に2段重ねの火打ち梁を架け、その上に束柱を立てて正方形の天井を作る。 その周囲の梁に束柱を立てて 8角形をつくり、さらに 16角形の上部構造に変換している】

最大の拱北は 1868年に建立された 7世・伯錫爾(博錫爾・ボシル) 王のもの(上載の写真中央の廟)で、8世王と 両王の家族 40人の墓も納められていと説明されました。

ペルシア・中央アジア型のレンガ造建築で、間口 15mに奥行 20mの矩形プランに壁を立ち上げ、すべてタイルで覆った。 ファサードはイーワーンをなし、両側のミナレット状の円筒内部の螺旋階段で屋上に上れるのです。

ところが このイーワーン(下載の写真説明)の開口は円形アーチではなく切妻のような三角形をしている。  イーワーン内や両側の壁に描かれたパターンも三角アーチなら、内部の各壁面の浅いニッチも、さらにはドーム天井を支える抹角(スキンチ) さえも 三角アーチなのです。

天井(屋根)は円錐形ではなく、内径 9mの半球状ドームになっているので、なぜ その下部が三角形に固執したのかは興味をもちました。

こうした三角アーチは新疆地方にしばしば用いられ、トゥルファンやクチャ、コルラなどのモスクに見られますが。 施工技術の問題でしょうか、 ティムール以降のドームは完璧な曲線を創出してますね。

外壁だけでなく、内壁もドーム屋根も正方形の彩釉タイル(孔雀石)で覆われているが、ここに限らず、新疆地方のタイル・デザインはペルシアや中央アジアのようには精緻にならなかったようです。

またムカルナス装飾(天井部の意匠 下図参照)がまったく用いられていないのも、新疆のイスラーム建築の特色です。 簡素で好いです。

エピローグⅢー7-4

この南側には、かつては 5棟の拱北が並んでいたと言いますが、現在は 2棟のみです。

手前が最後の 9世王とその妻子の墓で、後方がその他の歴代の王の墓であでした。 これらもまた不思議な作り方をしている。 どちらも 重檐(チョンヤン)・二段重ね屋根)になっていて、上階の壁が すべて繊細な格子細工(木製)で、奥が透けて見えている。 不思議な構造・衣裳です。

ところが中に入ると、手前の廟では水平に天井が張られ、後方の廟ではドーム天井となっていて、上階の格子細工が 照明用(トップライト)の役割を果たしているわけではないことに 驚ろかされました。

2階に上る階段もないから、部屋になっているわけでもなく、上階は単なる飾りであろうか。

エピローグⅢー7-5【回王陵複合体;手前が最後の第 9代・沙木胡索特王の拱拜(ゴンバイ)、後方が 歴代の王と家族の拱拜。 屋根には瓦が用いられず、土が塗られている】

さらに、手前の廟では レンガ壁に 太い二段重ねの火打ち梁を架け、その上に立てた束柱に 矩形の水平天井を架けて壁から浮かせ、そこから周囲に 下屋(柱廊)の屋根を架けるという、複雑な構法をとっているのです。

また 後方の廟では 外壁の開口部が半円アーチであるのに、抹角(スキンチ) は三角アーチであるのです。 どちらも仕上げにタイルは用いず、後方の廟では壁紙を貼っている。 なぜ かくも 北側の 7世王の拱北と、構造もデザインも変えたのであろうか。

これらの拱北と向かい合うのが 18世紀に第 4代 玉素甫(ユースフ) 王が建立した大規模なモスクで、巾が 36m、奥行が 60mもある大きさ です。

名前の艾提卡(アッチカ) 大礼拜寺というのは、カシュガルの同名のモスクと同じく エディガールとも言い、ペルシア語の イードガーの音訳である と資料に記載されています。

イスラームのイードの祭りに 全市民が集団礼拝できるような大規模な礼拝場所がイードガー・モスクです。  ハミの大礼拝寺では、1,800人が同時に礼拝できると聞きました。

エピローグⅢー7-6【艾提卡(アッティカ) 大礼拜寺の キブラ壁とミンバル。 聖龕(ミフラーブ) まわりも 宣諭台(ミンバル) も、幾何学パターンで彩色されている】

内部には 108本の木造柱が立ち並び、中央アジア式の列柱ホール型モスクの構造様式です。  つまり中国式のように寄棟や入母屋の大屋根を 雄大な小屋組みが支えるのではなく、どこまでも連続する 平屋根(フラット・ルーフ)の列柱空間です。

雨の多い地方では 勾配屋根にする必要がありますが、ほとんど降水量のない新疆地方では、平屋根の上に 土を踏み固めれば済むのでしょう。

イスラム世界の中央アジアの回廊や室内の柱頭は、列柱の柱頭が 葡萄の房のように 上が膨らんだ装飾的なデザインとなっています。 ギリシャのパルテノンが影響したのか、されたのか? 新疆における ムカルナス装飾 は この部分にのみ現れています。

外壁は耐震性を受けもつために 開口部を設けず、天井を数箇所持ち上げて 採光をしているのです。  その藻井(サチオン・そうせい) には 極彩色の植物紋が施されていたが、その過半が剥落してしまったと言う事です。

キリスト・ユダヤ教の教会にある後窰殿は設けず、ミフラーブ(メッカの方角の壁に“ミフラーブ”と呼ばれるアーチ状の窪み)がありまわりを 幾何学紋とアラビア語のカリグラフィー(進化したアラビア文字の書法、狭義にはアラビア語に限定するで装飾)で、イスラーム芸術のひとつとも言えます。

エピローグⅢー7-7

【“ミフラーブ”、ムカルナス装飾無きモハメド・ビシル王廟の天井、柱頭の装飾(法隆寺などは印度の流れ) こうした造形と彩色の柱頭は、中央アジアのブハラ、ヒヴァに連続している】

それにしても イスラム芸術の華やかさ、舞踊にしても 特定の人のみが甘受するのでなく 開放的な 参加する喜びの芸術だと思うと、日本の“わび・さび”が密室の自我陶酔のように思えてくる。

印度大陸の強烈なエロティシズム 中央アジアのラビスラズリーが天空と競う緑色のロマネスク 中華のラグジリアスな煩雑さ そして 日本の植物的な耽美主義

古墳時代・飛鳥時代の日本人には おおらかさに満ちていたではないか 何時から去勢された芸術を貴ぶ文化に染められたのか

シルクロードの終着駅が日本なら 日本人は何をこの地から学んだのであろうか・・・・

エピローグⅢー7-8

 この地の人々は 信仰と共に生きている。 日に五回 メッカの向けて礼拝を行い、遊牧の民(蒙古・チベット系)は寺院を回る・・・・・・・

さて トルファンに戻ろう

Minolta DSC

*当該地図・地形図を参照下さい

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