紀行エピローグ・写真随筆 17

紀行エピローグ3=敦煌・哈密地区=

エピローグⅢー8-1

トルファン地区は中国新疆ウイグル自治区に位置する地区。 名はウイグル語で「人と物が豊かな地域」を意味する。 ウイグル族は詩情ある言葉を使っている。 沙漠を旅すれば この言葉の意味を実感できる。

この地は 東は善鄯市と接し 約300キロにてクムル市(ハミ)、 西はバインゴリン・モンゴル自治州の和静県、ホシュート県、ロプノール県、チャルクリク県、 北は天山山脈を隔ててウルムチ市と昌吉回族自治州の奇台県、ジムサル県、モリ・カザフ自治県と隣接している。

南は不毛のタクラマカン砂漠です。 トルファン地区の南北は約240キロ、東西総面積69,713平方キロ(海面下の面積は2,085平方キロ)、新疆の土地面積の4.2%を占め、ウルムチ市から183キロ離れている。

トルファン地区は光熱資源が豊富である。 盆地内は乾燥し少雨、日照が満ち足り、無霜期は270日に達し、年間日照時間は3200時間。 特産品はブドウ、ハミウリ、長絨綿、季節外の野菜などの経済作物。 高温の砂を利用する治療施設も充実を図っている。

吐魯蕃(トルファン)には6つの国指定の重要文化財、交河故城・高昌古城・ベゼクリク千仏洞・蘇公塔・アスタナ古墓・台蔵塔があり、また自治区指定の重要文化財は27箇もあります。

観光資源は豊富で、名勝には火焔山、アイディン湖、葡萄溝、千仏洞、カレーズ等はとみに有名ですね。

《トルファンの事は 紀行文で再三書いている、ガイド・ブックも当地が中心である 何を今さら と思うが 天山ウイグル王国以前がよく判らない なぜ 巨大な遺構・交河故城・高昌古城が二つも在るのであろうか・・・・・》

エピローグⅢー8-2

【不思議な国家“エフタル”急激に膨張する“匈奴” 5世紀移行 タリム盆地は激動する 】

エピローグⅢー8-3

高昌国は 柔然によって建国(紀元460年) 唐によって滅亡(640年)させられた。 首都を交河城に定め繁栄した。

この地には古くから姑師という国があり、漢の武帝(前141年ー前87年)が姑師国を降して車師前後王国および山北六国に分割し統治した。 前記“班超”が活躍したのです。

宣帝の時に派遣された携家がここに軍を屯田させ、耕作と守備を行った。 元帝(前48年-前33年)の時に「地勢高敞,人庶昌盛」と言われた「高昌壁」と呼ばれる軍事基地が作らせ、この地・高昌を管理させた。 これが高昌城の起こりです。

五胡十六国時代 高昌国は前涼支配下で、いくつかの県に分割統治され その後、前秦・後涼・西涼・北涼の支配を経る。 後漢以降 五世紀まで華中の政権に支配されているのです。

北魏時代(423-452年) 北魏の太武帝が派遣した闞爽が高昌太守になりますが、闞爽は柔然の沮渠無諱に襲撃され、 沮渠無諱が高昌郡を奪って太守となった。

和平元年(460年)、高昌郡は柔然に併合され 柔然によって闞伯周が高昌王に立てられ、ここで初めて高昌国が成立したのです。

エピローグⅢー8-4

【 交河古城 と 高昌古城 の遺構 】

闞伯周が他界すると内紛が起き、北魏に臣下しようとする馬儒を殺して 高昌の人臣本土に愛着があり、東遷を願わない麴嘉を立てて 王とし 政権を委ねたのです。 柔然からの完全な独立 と 華中勢力の排斥です。

麴嘉の時代に 二つの大河が交わり、高台を形成する難攻不落の交河城を築城しています。 首都をこの交河城に移しています。

当時 東の鄯善国(北魏系)はタクラマカン砂漠・河西南道の諸域を支配し 西のエフタルが勢力を東に拡大してくる状況下 麴氏・高昌国は 武田信玄の家臣であった真田家同様 小国の悲哀を味わうのです。

柔然可汗の伏図が高車王の弥俄突に殺される(508年)と、麴嘉は高車に臣従しています。

また 麴嘉は嚈噠(エフタル)に攻撃されて王位不在となった焉耆国の民衆から焉耆王になるよう頼まれたので、その第二子を派遣して焉耆王として焉耆国を統治させています。

永平3年(510年)、麴嘉は北魏に遣使を送って朝貢し、宣武帝はまた孟威を遣わしてこを労わせていますから、北魏は麴氏・高昌国を認めていたのですね。

麴氏・高昌国は麴嘉⇒麴堅⇒麴玄嘉⇒麴茂⇒麴伯雅と正嗣子に引き継がれ 各王は遣を送って方物を献上を続け、遣使来貢と友禅関係を保ったのです。 ハミガーの献上でこの果物が有名になって行きます。

華中は隋が天下を納め隋代に移行して行きます。  開皇10年(590年)、突厥が高昌の4

城を破ったため、2千人の諸将が中国に亡命している。 突厥は柔然・高車を駆逐した新興勢力です。 その突厥が高昌国に攻め入ったのは・・・・・

麴伯雅の大母はもと突厥可汗の娘であったため、父が死ぬと突厥の風習に従い、レビラト婚[寡婦が死亡した夫の兄弟・息子と結婚する習慣]をしようとしたが、麴伯雅がしばらく応じなかった。 そのため、突厥が高昌に迫って無理やりレビラト婚をさせたのです。

大業4年(608年)、高昌は初めて隋に遣使を送って貢献し、明年(609年)には麴伯雅自らが来朝、 そのまま高句麗遠征(麗隋戦争)に従軍していますから、 騎馬遊牧民の行動範囲は驚異的ですね。

時に麴伯雅は以前から鉄勒(チュルク、突厥に追われ現代トルコ共和国を形成する)に臣従していたため、高昌国には鉄勒の重臣が常駐しており、商胡の往来者から税を徴収していたのです。

エピローグⅢー8-5

武徳2年(619年)、麴伯雅が死に、子の麴文泰が後を継いだ。

唐の太宗が即位すると、麴文泰は玄狐裘を貢納したため、その妻の宇文氏に花鈿一具を賜った。 宇文氏はふたたび玉盤を貢納した と 記録されています。 突厥対策は必死です。

また 唐自体 いや 漢の時代から北方遊牧民に頭を押さえられて 屈辱の華中王朝ですから、貞観4年(630年)冬、麴文泰が唐に入朝すると、太宗は宇文氏に国姓の李姓を賜い、常楽公主に封じたのです。

その頃 西域諸国の来朝貢者はすべて高昌を経由して唐に赴いていたが、後に麴文泰によって唐への道を封鎖されてしまい、唐への朝貢ができなくなってしまいます。

唐の武帝は突厥の優位性は西域から徴収する 豊富な財貨だと考え 突厥包囲網の為に遮二無二 西域支配に乗り出していきます。

麴文泰は西突厥の乙?設と焉耆の3城を撃破し、その男女を捕虜にして去った。 焉耆王は上表してこれを唐に訴えた貞観13年(639年)。

貞観14年(640年)、麴文泰は唐の大軍が迫ってくるのを聞くと発病して死んでしまうのです。

そのため、子の麴智盛が高昌王に即位したが、既に侯君集の兵が柳谷にまで迫り、田地城が陥落したため、麴智盛は侯君集に書を送って「罪があるのは父であり、私では ない」と弁明。 しかし、侯君集は聞き入れず、首都である交河城に迫り、衝車や?車といった攻城兵器を使って攻城を始めた。 投石によって城内は大いに混乱したため、麴智盛は遂に城を出て降伏します。

これによって高昌国の3州,5県,22城は唐の勢力下に入ったのです。 そこで太宗はこの地を西昌州とし、まもなく西州に改め、安西都護府(唐の行政機構)を置いた。

当初、西突厥の欲谷設(ユクク・シャド)は麴文泰と通和しており、緊急時にはいつでも援軍が出せるように葉護を可汗浮図城 に駐屯させていた。

しかし、侯君集の兵が迫ってくるのを聞いた欲谷設は懼れて西走し、救援に来なかった。 後に唐はその地をもって庭州としたのです。

              《前記・拙文【新疆 昌吉地区】エッセイに詳細記載》

エピローグⅢー8-6

756年に起こった安史の乱の後、唐の支配力が低下し、840年には漠北(タクラマカン砂漠北部)

の天山ウイグル王国の支配下となります。

天山ウイグル王国は高昌城を首都に定め、交河城は軍事基地として活用、ベゼクリク千仏洞で代表されるウイグル文化の華を開いていくのです。

エピローグⅢー8-7

エピローグⅢー8-8

では ベゼクリク千仏洞で代表されるウイグル文化の華をお話しましょう・・・・・

今一言 蛇足ですが麴文泰王が「国を譲る」とまで 信奉した玄奘三蔵の事ですが、麴文泰の支援が無ければ 玄装は印度に辿り着けなかった と記載済み“玄装三蔵の足跡”にて書いておりますが、

1942年に、南京市の雨花台で、旧日本軍が玄奘の墓を発見しています。 縦59cm横78cm高さ57cmの石槨で、中には縦51cm横51cm高さ30cmの石棺が納められていました。 石棺の内部には、北宋代と明代の葬誌が彫られていました。

石棺内に納められていたのは、頭骨であり、その他に多数の副葬品も見つかったのです。

この玄奘の霊骨は 分骨することで決着を見ました。 北平の法源寺内・大遍覚堂に安置され、各地にも分骨され、南京の霊谷寺や成都の浄慈寺、また 南京博物院にも置かれています。

日本で奉安されたのが、現さいたま市(旧岩槻市)の慈恩寺です。 現在、奈良市の薬師寺「玄奘三蔵院」に一部分骨されています。

                         *当該地図・地形図を参照下さい

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