ティムールの系譜“ムガル帝国”(8) 

“アルタン・ウルク/黄金の家”の正嗣が栄光

ムガル帝国8-1

ムガル帝国・第4代君主ジャハーンギールの時代は、ラージャスタン地方での抵抗鎮圧に失敗。 征服目的の進行は 逆に、その半独立的な地位を認める結果に終わる。

また、カンダハールをサファヴィー朝のアッパース1世に奪取されると有効な対策を採ることがでず、外交的手段で矛をおさめざるを得なかった。

さらに、南方のデカン高原方面の進出では、ニザーム・シャーヒー朝の抵抗が続いていた。

1628年、父ジャハーンギールの死亡により、シャー・ジャハーンが皇帝として即位すると、内紛状態であったニザーム・シャーヒー朝ダウラターバード(アジャンダー石窟、エローラー石窟群墓の都)を占領することに成功した。

ニザーム・シャーヒー朝 最後の王アブゥル・ハッサン・タナ・シャーは、ムガル帝国軍に敗れた後、ダウラタバード要塞内の牢獄に幽閉され、そこで息をひきとっている。

1636年には、アーディル・シャーヒー朝(デカン高原中央部と印度南西部の、スンニはイスラム王朝)と講和を結び、ニザーム・シャーヒー朝の旧領を分割している。

だが、南方のデカン高原での前進と比べて、西方のアフガニスタン問題が 大きな問題として ムガル帝国・第4代君主シャー・ジャハーンが取り組まなければいけない問題であった。

カンダハールの再攻略に成功したものの、1649年、ムガル帝国による中央アジア遠征の間隙を縫って、サファーヴィー朝が再度、カンダハールを攻略した。

この結果 再三度 カンダハール地方は、ムガル帝国領から 離脱してしまった。

ムガル帝国8-2
シャー・ジャハーン (在年 1592年1月5日-1666年1月22日) ムガル帝国・第5代皇帝(在位:1628年 – 1658年)

第4代皇帝ジャハーンギールの第3皇子で1628年帝位につき、1658年、第3皇子アウラングゼーブに簒奪されるまで統治にあたった。 タージ・マハルの建造者であす。 激情の皇帝であった。

1612年、ペルシャ系の亡命貴族・大貴族アーサフ・ハーンの娘ムムターズ・マルフと結婚した。 晩年の父とは対立し、デカンに退いていたが、 1627年、父ジャハンギールが死去すると、皇子の間での皇位継承争いに勝利したヤーハン・ギールは、岳父アーサフ・ハーンのとりなしで第5代皇帝に選ばれる。

1628年初頭 アーグラで即位したシャー・ジャハーンムガル帝国・第5代皇帝は、内政面ではムガル帝国の最安定期を演出した。

しかし 即位まで19年間共に苦労を分け合い 深く寵愛したムムターズ・マハル皇后を亡くしている。 ムムターズ・マルフ妃とは常に行動を共にして来た。

1631年 皇帝がデカン高原遠征にも同行、遠征先で第14子を生んだあと36歳で産褥死してしまった。 シャー・ジャハーンは愛する皇后の姿を振り払うためであろうか、軍馬を進めている。

1633年 ニザーム・シャーヒー朝のダウラターバードを占拠 その翌年から 南方に進軍 領土を拡大して行く。 アフマドナガルのデカン王国を打倒・併合し、南インドで領土を拡大して行った。

この時期に 愛する皇后ムムターズ・マハルを弔うために“タージ・マハル”の建設に着手している。 20年を要するダイプロジェクトの開始です。

《 タージ・マハル プロジェクト ;計画は現在の白大理石と同じ姿で 自分の廟を黒大理石にて建設し、ヤナーム川を挟み 白・黒の対称に建造し 大理石の橋で結ぶ計画だったらしいです 下記詳細 》

1636年には、南印度の勇アーディル・シャーヒー朝と講和を結び、後背の憂いを無くしたムガル帝国・第5代皇帝シャー・ジャハーンは 旧領アフガニウタンのカンダハル奪回に軍を進めています。

しかし、アフガニスタンでは両友関係にあるサファヴィー朝と衝突 カルダハルを奪回する事ができなかった。

皇后ムムターズ・マハルが死んで以来嘆いていた父シャー・ジャハーンを長女ジャハナラ・ベガームが励まし続けた。 ジャハナラ・ベガームは政治顧問も務めていた。 そして、兄弟の内で長男ダーラー・シコー(第1皇子)を支持しており、アウラングゼーブ・アーラムギル(第三皇子)に対しては冷淡だった。

この兄弟の対立が ムガル帝国・第5代皇帝シャー・ジャハーンの晩年を悲しいものにします。

1657年、病床に臥すと、後継者にダーラー・シコーを指名し、職務の一切を任せたが、その後 回復したします。 長女ジャハナラ・ベガームが励ましが 娘と近親姦の関係にある と噂に登るほどでした。

しかし、ここで定番 兄弟での皇位継承争いが起こります。 結局勝利したアウラングゼーブ・アーラムギルが皇位を継承(1658年)し、皇帝シャー・ジャハーンはアーグラ城塞に幽閉されるのです。

亡き愛妃の眠るタージ・マハルを 9年間程 涙を流して眺めては また涙する毎日を過ごした と伝えられています。 1666年に74歳で死去しました。

幽閉中に アウラングゼーブ・アーラムギルが 死刑に処したダーラー・シコーの首を 父・先帝のシャー・ジャハーンのもとに送り、その箱を晩餐の場で父に 開封させるなど残酷な復讐行為を行っています。

ムガル帝国・第6代皇帝・アウラングゼーブ・アーラムギルについては 次回に話ましょう。

”タージ・マハル”関して 今一言・・・・・・

ムガル帝国・第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代は インド=イスラム文化の最盛期であった。

“タージ・マハル”(Taj Mahal)は総大理石の墓廟。 インド=イスラム文化の代表的建築です。 私は五度 訪れています。

1632年着工、1653年竣工。 建材はインド中から1,000頭以上もの象のキャラバンで運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方産と言います。

その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラズスラベリはアフガニスタンから、サファイヤはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだ と言いますから まさしく 世界の中心がアーグラだったのです。

全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれています。 ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造された「世界一ゴージャスな建物」ですね。 世界遺産とは何なのか と考えさせる建物です。

名前の由来は ムガル帝国・第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛したムムターズ・マハルからきています。 ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉で ムガル帝国・第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた 妃の称号である と話しました。

“タージ・マハル”を言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になるでしょう。

タージ・マハル自体はとてもすばらしく美しい建物ですが、上記のように、実際その裏では多くの民衆が働かされ、重税に苦しめられた事でしょう。

しかし 後継者アウラングゼーブ・アーラムギ帝が40年にわたって大規模な軍事侵攻を行い続け得たことから考えますと、 シャー・ジャハーン皇帝の治世においてはムガル帝国の財政はそれほど窮乏しておらず、皇帝シャー・ジャハーンが望んだ黒大理石の“シャー・ジャハーン廟”も竣工可能だったと思われます。

史書は 「建設計画では川をはさんで同形の白と黒の廟が向かい合い、大理石の橋で結ばれる予定だった。 しかし 工事のための重税や動員された民衆の不満が高まり、ついに反乱が起きる惧れさえ出てきたため、シャー・ジャハーンは息子のアウラングゼーブ帝によってアーグラ城に幽閉された」と簡素にかいています。

夢を叶えられなかった皇帝シャー・ジャハーンは 死後 アウラングゼーブ・アーラムギが タージ・マハルに葬る事を後年に認めために、愛妻と二人並んで寝ることができたのです。

“タージ・マハル”の基壇は100m角、高さ7m。 回廊(建物全体が霊室)から 石棺に納まり 二人が並んで眠る 床へは 約10mの石段を下ります。 霊室中央、その中心で二人は寝ていす。

私は いつも 黒い廟など 造らなくて良かった と 石棺を回りながら 思い、また 何時しか 地底からか湧き来る 不思議な 体全体を震わせる音に 感動を覚えます。

ちなみに およそ580m×300mの敷地全体は塀で囲まれており、主に5つの要素から構成されています。

赤砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)、正方形で幾何学的に分割された四分庭園(バギーチャー)、西側のモスク(マスジド)、東側の迎賓施設(ミフマーン・カーナー)、そして高さ42mの4本のミナレット(尖塔)が基壇の上に造られています。

霊廟(マウソレム)は幅、奥行きとも約60m、中央ドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインであす。 100m角、高さ7mの基壇の上に 四隅のミナレットに囲まれ中央に 霊廟が載せられているのです。

ムガル帝国8-3

【 追記 】

近年、大気汚染によるタージ・マハルの損傷が問題化しています。 排ガスによる直接的な汚れの他、酸性雨によって大理石が溶解する現象などが報告されているそうです。

地下水の過度な汲み上げにより地盤が沈下し、四本の尖塔が外側に傾きつつある との報告もある と デリーの友人は話してくれました。

また、彼は、創建当時から大地震時に尖塔が本堂側に倒れ込まないよう、外側にわずかに傾けて設計された とも説明してくれました。

_______ 続く _______

indo

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