成吉思汗・オゴデイ一党の覇権 (6)

“アルタン・ウルク/黄金の家・オゴデイ家”の正嗣が栄光

ジュチ一党2-14-1

チャバル(生没年 ? -1315年)は、14世紀のモンゴル皇族で、オゴデイ・ウルスの盟主。 カイドゥの長男。

オゴデイ・ウルスのみならずチャガタイ家やアリクブク家(トルイ家の支流)のウルス(遊牧所領)を服属させて中央アジアに王国を築いていたカイドゥの長子であるが、母親の身分が低く、後継者候補から外されていた。

父・カイドゥも母方に有力な王族がいず、生涯 王(ハン)位を名乗っていないが、勇気と智謀で大蒙古帝国(大元ウルス)のクビライ皇帝と対等に戦える勢力を築いていた。

しかし、1301年、カイドウが大元ウルス(元朝)との戦いで受けた傷がもとで死亡すると、実力のないイドゥの子らに代わって、

マーワラーアンナフルに影響力を有していたチャガタイ家当主でバラクの息子ドゥアが発言力を持つようになる。

チャバルはドゥアの後援を受け、カイドゥが生前に後継者に指名していた弟・オロスとの間でオゴデイ家の後継者の地位を巡って内紛を始めた。

この内紛中の過程で 1304年、ドゥアとともに元に遣使し、大元ウルスを祖父クビライ皇帝(ハーン)から継いだモンゴル皇帝(カン、ハーン)・テルムルに臣従を誓いっている。

カイドゥのもとで、30年来続いていた中央アジア諸王家と大元ウルスのクビライ皇帝家との争いを終結させた。

しかし、オロスとチャバルの争いは時を経るに従って オゴデイ家の分裂を促進させ、そこに ドゥアのチャガタイ家と、懐寧王・カイシャン(後の第7代蒙古帝国皇帝)率いる元のモンゴル高原駐留軍が介入した。

オゴデイ家の本拠地ジュンガリア(現在の新疆ウイグルル自治区北部)は西のイリ川渓谷地方を本拠地とするドゥアの軍と 東のアルタイ山脈を越えて侵入してきたカイシャンの軍によって挟み撃ちされる形勢になり、

チャバルはドゥアの背信・裏切りと大蒙古帝国の権勢に敗北した。 1306年に カイシャン軍がジュンガリアを平定した。

これにより、旧オゴデイ家領の遊牧民は ドゥアの保護下に入り、いまや邪魔者としてドゥアに追われる身となったチャバルは 1310年ついに 元朝・カイシャン懐寧王に 投降した。

このころ大元ウルス・大蒙古帝国の皇帝となっていたカイシャは チャバルの来帰を喜び、曽祖父・クビライ皇帝の時代に 中国内のカイドゥの領地として設定さていた 河南省南部の地を授け、汝南に住まわせた。
このころ大元ウルルの皇帝となっていたカイシャは河南省南部の地を授け、汝南に住まわせた。

1315年、チャバルは カイシャン皇帝の弟で次のモンゴル皇帝大元ウルス皇帝)となったアユルバルワによって汝寧王の爵位を与えられ、同年に没した。

以降、オゴデイ家の血筋は元朝の時代、また ジンギスハーンの血脈王朝が 明帝国に追われ、北帰した北元時代 そして 清帝国時代にも 歴史のうねりの中に埋没する。

チャガタイー3-4-5

【 ドゥア の史跡は 前章“チャガタイ一党の系譜”で記述していますが、オゴデイ家との絡みで・・・・・】

ドゥア(生没年 ? -1307年頃)は、モンゴル帝国の皇族、チャガタイ家の第10代当主(在位:1283年-1307年)、tyガタイ・ハン国の実質的な建国者と言われる。

父はバラク、建国の祖・チャガタイ・ハンの他界以降 チャガタイ・ハン国の政権が安定しない次期に クビライ皇帝からtyが対・ウルスに送り込まれた人物。

1282年、バラクの失政で、 オコデイ家のカイドゥにバラクは暗殺された。 チャガタイ家の政権はカイドゥに奪われ、怨敵カイドゥにバラクの遺児・ドゥアが チャガタイ家当主に任命された。 1283年の事です。

以降、1301年にカイドゥが死ぬまでチャガタイ家のウルスは カイドゥ・ウルス(オゴデイ家)の支配下に置かれた。

しかし、ドゥアは 1270年より 父・バラク仇敵であるカイドゥと対立してきた。 カイドゥ側についたチャガタイ家の第5代当主アルグの遺児チュベイらと激しい抗争を10年近くに渡って繰り広げた。

その後、情勢の変化から ドゥアはカイドゥに服属することになり、逆にカイドゥと対立するようになったチュベイらが、

モンゴル帝国のクビライ政権(大元ウルス)に逃亡したので、1282年になってカイドゥによって空席となっていたチャガタイ家の当主の座に据えられた。

しかし実際には ドゥアはカイドゥの傀儡であり、カイドゥが中央アジアに成立させた「カイドゥ王国」の一部をなす諸王に過ぎなかった。

1301年、カイドゥが元朝(大蒙古帝国)との戦い“ナヤンの反乱”に引き続く戦役で陣没するとカイドゥ王国内における長老として発言力を増し、復権をはかった。

ドゥア・ハンはまず カイドゥによって生前後継者に指名されていたオロスを遠ざけて カイドゥの長男・チャバルを後継者に推し、チャバルの即位を実現させた。

1304年にはチャバルと共に、第六代蒙古帝国皇帝・テムルに使者を送り、チャガタイ家当主を認証され、オゴデイ家はチャバルが認証された。

モンゴル帝国の再統合(ジンギスハーンが封土した)を実現した。

しかし、オゴデイ家の主導権をめぐって抗争が再燃すると、ドゥアは この内紛を好機とみてアルタイ山脈を越え、ジュンガリアに侵攻してきた元軍と連携してオゴデイ家の各勢力を各個撃破していった。

1306年、ドゥアはチュバルの追放に成功し、アルタイ山脈以西の「カイドゥ王国」の旧勢力圏を統一して、中央アジア一帯にチャガタイ・ハン国の広大な支配圏を築き上げた。

このとき、モンケ・ハーン(第四代蒙古帝国皇帝)の粛清以後、政権としては解体同然であったチャガタイ家のウルス(封土・領土)が、実質的に 後世に チャガタイ・ハン国と呼ばれる姿で建国を果たしたのです。

ドゥア・ハンはさらに ヒンドゥークシュ方面にも進出して アフガニスタンまで勢力下に置きチャガタイ・ハン国の最盛期を築き上げたが、まもなく病を得て死去している。

オゴデイー6-1

記述して来たように オゴデイ家のウルス(封土・領土)はジンギスハーン以降、オゴデイ、グユク、モンケの治世には独立した国家(ハン国)として機能していたか疑わしい。

また、カイドゥの率いたウルスは事実上彼が一代で築き上げ、旧来のオゴデイ・ウルスに留まらない国家へと発展させたもので、

史料上では「カイドゥの国」の名で呼ばれており、当時の人々にカイドゥがオゴデイ家の君主(ハン)あると見られていたわけではなかった。

彼自身の君主としての称号、「兄」を意味する「アカ」と呼ばれていたのが事実んごるです。

騎馬遊牧民族のモンゴル帝国の系譜に於いて、ジンギスハーンの“アルタン・ウルク/黄金の家”はその血筋 しかも 男子系のみが君主*ハン、ハーン、カン、カカン、カアン*を自称・他称できたのです。

カイドゥの死から70年後 ジンギスハーンの再来と言われたティムールですらアミール(将軍)が称号です。 自らは[ジンギスの娘婿]なのです。

しかし、ジンギス家と婚姻関係が密接なオイラートの一部族が 17世紀から18世紀にかけてジュンガル盆地を中心にジュンガル帝国を築きます。

この帝国の滅亡後、このような遊牧帝国が2度と生まれなかったため、最後の遊牧帝国とも呼ばれています。

ジュンガール帝国をスケッチして第一章から続けた“アルタン・ウルク/黄金の家”の系譜のエピローグにします。

オゴデイー6-2

“ドルベト・ジュンガールの一族は天から出た。 管(チョルゴ)状の樹の下に幼児がおり、その樹液を吸って育ったので、その子孫をチョロース”とガワンシャラブの『四オイラト史』にある。

ウイグルの誕生説話に類似している。 15世紀にモンゴル高原の覇権を握ったオイラトのトゴン・タイシ,エセン・ハーンの後裔が蒙古高原の覇権を握っていた。

オイラトはハルハ部・ホシュート部・トルグート部・ドルベト部に分かれていった。

ジュンガール盆地に勢力の根幹を置いたのがドルベト部であった。

伝統的な遊牧国家は南面して中央、右翼(バララゥラル,西方)、左翼(ジュンラル,東方)の三部構造をとっており、ドルベト・ジュンガールは オイラト部族連合の左翼の勢力であったが明帝国に追われた西走して来た。

ジュンガルの登場

北元時代に 長らく分裂状態にあったモンゴル諸部を再統一し、ハーンの権威を回復させたダヤン・ハーン(1464年-1524年)の孫・アルタン・ハーン(ウバシ・ホンタイジ)はロシア皇帝に使節を送り、

「カルムィクのカラクラ・タイシャがモンゴルとロシアの間にいて、使節の往来を妨げているので、カラクラ・タイシャの部族を両方から挟撃しましょう」と申し出ているのが史跡上の文献です。

この「カルムィク」というのは イスラム教に改宗しなかったオイラトを指し、「カラクラ・タイシャ」というのはジュンガルの始祖であるハラフラ・部長を指します。 尚、アルタン・ハーンは 「アルタイ地方も王」です。

ダヤン・ハーンの孫・アルタン・ハーンの親書はモスクワ・ツアーリ当局によって却下されたが、1620年頃に攻めてきたトグルート部・ジュンガル部連合軍を ウバシ・ホンタイジ(アルタン・ハーン)自身で撃退した。

この時、侵攻したジュンガル部長であったハラフラは 妻子を奪われた上、他のオイラト諸部と共にシベリアのロシア帝国領内に逃げ込んだ。

1623年、四オイラト連合軍は ハルハ部のアルタン・ハーンであるウバシ・ホンタイジを殺し、モンゴルの宗主権から脱した。

以降、トグルート部を中核にジュンガール地方でモンゴル族の勢力 ジンギスハーンの一党に成り代わり 世界史の中に史跡を残します。

オイラト語の英雄叙事詩『ウバシ。ホンイジ伝』は伝承民族文学として、最高傑作のとして残っている。

ジュンガール帝国が残した史実は現代の縮図です。 現代まで尾を引く資本主義を誹謗する覇権帝国主義、覇権帝国主義に押し込められ反発する民族主義 現代史はジュンガール盆地から始まった。

チャガタイー3-2-4

_____ 続く ____

 

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