ムガル帝国・建築文化(1)

ムガル建築1-1

1565年、ムガル帝国の王妃ハージ・ベグムは非運のうちに死んだ夫 ムガル帝国・第2代皇帝・フマーユーン(在位;1530-1540年,1555-1556年)のために 帝国で最大にして壮麗な廟をヤーナヌ河の近くに建設することを命じた。

のちの“タージ・マハル廟”にも大きな影響を与えることになります。

この廟建築は、ペルシャ的な造形様式を基本にしながら巧みにインド化しています。  周囲の庭園もまた、ペルシャ的な 「チャールバーグ(四分庭園)」 の形式の最初の大々的な実現であった。

インドの首都において、これはムガル帝国の威光を最もよく伝える 歴史的なモニュメントと言えるでしょう。

時代が下って、シバーヒー(セポイ) の反乱後、凋落したムガル帝国の終焉をフマーユーン廟は象徴することになった。

最後の皇帝ム ガル帝国・第17代皇帝 バハードゥル・シャー2世が この廟の中で捕らえられるのです。 歴史の悪戯でしょうか

ムガル建築1-2

デリーは歴史的に 「七つの都」 が重なった都市です。  最初のラールコート(城塞都市)は 現在のデリーの南郊で、土着のラージプート族による都市であった。 1192年にアフガニスタンの君主、ゴール朝のムハンマドがインド北部を征服すると、将軍 クトゥブ・アッディーン・アイバクに その統治をまかせて国へ戻った。

アッディーン・アイバクは ここにあった都城、ヒンドゥのブリトヴィラージ王の建設になるキラー・ラーイ・ビトラを占拠し、拡張した。

アッディーン・アイバクはゴール朝の奴隷軍人出身でありながら、1206年にムハマド王が暗殺されると、独立して自らの王朝を建て、ここを首都とした。

トルコ系のムスリムで、デリーに奴隷王朝を創始すると 将軍アッディーン・アイバクは、破竹の勢いで インド北部を征服する。

やがて インド人は、アッディーン・アイバクが ヤムーナ河のほとりのこの町で どのような宗教政策をとるのかを知ることになった。  ムスリム達は、ヒンドゥ寺院のことを 「ブッダの家」 とよんでいたが、これを貶め、27におよぶヒンドゥ寺院やジャイナ寺院を破壊したのです。

アッディーン・アイバクは 北部インド征服・勝利の記念に クッワト・アルイスラーム・モスクを建設した。 これは 「イスラームの力」 を意味する、インド最古のモスクです。

建設にあたって、アッディーン・アイバクは取り壊した 27のヒンドゥ寺院やジャイナ寺院の部材を用いた。

建築家たちは 破壊された、ヴィシュヌ神に献じられた寺院の上に中庭をつくり、列柱のある礼拝室を設計した。

建設資材、とくに柱として使う石材は、破壊された寺院へ行けば いくらでも手に入れることができた。

ヒンドゥ教徒と違って、ムスリムは いかなる偶像も彫刻したり、描いたりすることはできない。 『コーラン』 で禁じられているので、神はおろか人間や動物の像も 造ることができなかった。

このため モスクを建てる際には、柱や梁は できるだけ生き物の像の彫られていないものが選ばれた。 表面に それらが刻まれた石材は、向きを変えたり、目障りな彫刻を削り取ったりして使ったのです。

次いで、クトゥブ・ミナールとよばれるミナレット(尖塔)、「勝利の塔」 を建造する。  これは今もなお、インドで最も高い石造の塔です。

これらの建物群は、いまだ西方の技術に習熟しないインドの工匠たちが、その伝統技術を用いながら実現したイスラーム建築として、きわめて建築史学上 私には興味深いことです。

彼自身はこれを金曜モスクと呼んだが、次第に 「イスラムの力」 を意味する 「クッワト・アルイスラーム・モスク」 と呼ばれるようになりました。

後継者にも トルコ系の奴隷軍人出身者が多かったので、後世 これを奴隷王朝と呼んでいます。  奴隷軍人の建国は 世界史の上で、エジプトの白人奴隷(マムルーク) 軍人出身者が打ちたてた マムルーク朝と並ぶ、二大奴隷王朝のひとつです。

「クトゥブ・アッディーン(宗教の軸)」 という称号をもつクトゥブ・アッディーン・アイバクは、臣下の日々の礼拝の必要を満たすとともに、土着のインド人に対して 「真の宗教」 であるイスラームの優位を示すべく、大モスクを建設した。

その後 アッディーン・アイバクのあとを継いだスルタン(王・君主・宗教指導者)や、さらには後継王朝によっても拡張されたが、最初のスルタンを記念して、このモスクを中心とする遺跡を 「クトゥブ地区」 と呼んでいます。

ムガル建築1-3

クトゥブ・アッディーン・アイバクに始まる奴隷王朝が 1290年に滅びた後も、デリーには トルコ系とアフガン系のイスラーム王朝が継起して、北インドを支配した。

それら 奴隷王朝からローディー朝までを一括して 「デリー・スルタン朝」 と総称します、クッワト・アルイスラーム・モスクは つねに尊重され、2回にわたる拡大をみた。

第 1次拡大は、1211年に アッディーン・アイバクの後を継いだイレトゥミシュによって行われ、平面的規模が 3倍以上となった。

それまでは 幅よりも奥行きの深い長方形であった境内が、幅広矩形のモスクへと転換し、モスクの外に位置していたクトゥブ・ミナール(尖頭)も 境内に取り込まれたのです。

第 2次拡大は 1295年から 1315年にかけて ハルジー朝のスルタン、アラー・アッディーンによって行われ、その規模は 最初のモスクの、じつに 10倍に達した。

これに合わせて 1311年には、境内への南入り口に “アラーイ門”が建てられている。 ここに初めて 本格的なアーチとドームの建物が実現し、インドの工匠たちが 外来のイスラーム建築の技術に習熟した

アラー・アッディーンは新しい中庭に、クトゥブ・ミナールに優る第二の塔を建てて イスラームの勝利を祝おうとしたが、1316年に暗殺されてしまったために、第 1層も完成しないうちに 工事は中断されてしまった。

そのアラーイ・ミナールの塔の基礎部分は 赤砂岩でつくられ、直径が 25メートルもあるので、完成していれば 100メートルを超える高さとなったと思われます。

不運のスルタンは、彼がモスクの隣に建てたマゴラサ(イスラームの高等教育機関)、アラー・アッディーン学院の中に眠っているのです。

デリー・アーグラを訪れると 巨大な尖頭(ミナール 、ミレット)に出会います。 友人は『Mather-Land』ではなく、『Father-Land』が正しい英語だと 笑っていたが・・・・・

ムガル建築1-4

木材の日本建築・石材の欧州建築、レンガ積層のイスラーム建築。イスラーム建築の特異性はドーム・アーチ構造なのです。 九州にはアーチ構造の橋梁が九州まで伝わりました。 アーチ構造はヨーロッパに伝播しました。

インドは石を積み上げたヒンドゥ寺院などでの技術は持ち出し工法でなんとか空間を確保したのです。 ヒンドゥ教徒は 神と一対一で話すために寺院に出かけて行く。 そのため、ヒンドゥ寺院では さほど広いスペースを必要とせず、狭い個室の集合体で十分であった。

しかし、モスクは 特に 金曜日の礼拝は集団礼拝が望まれ、大勢のムスリムを一度に収容できるよう、ヒンドゥ寺院には無い ずっと広大なスペースが要求された。

迫石を放射状に積んで大きなスパン(空間)を架け渡す 「真のアーチ」 を知らなかったヒンドゥの工匠たちは それまでどおり 水平に石を積んで、上の石を少しずつ持ち出す擬似的なアーチで形を真似た。

ドームムもまた 「真のドーム」 でなく、ジャイナ寺院やヒンドゥ寺院に見られる伝統的な持ち出し構造によってつくった。  それでは力学的に限界があるので、小規模なもの以外の ほとんどのアーチやドームは崩壊して、今は残っていないのです。

インド・イスラームの最初の廟建築である イレトゥミシュ廟が モスクの外側に建てられたのは 1236年のことですが、ここでもアーチは水平積みであり、ドーム屋根は崩壊してしまってます。

けれども 内壁に見られる唐草模様や蓮華の装飾には、インドの工匠たちの技量が 十分に発揮されている。  さらに、壁に刻まれた 『コーラン』 の章句は、壁をおおう他のレリーフ彫刻と相まって、丹念に編まれた織物のような印象を与えています。

インドにおけるレリーフ彫刻芸術の逸品といえるでしょう。

ムガル建築1-5

イスラームの栄光を宣揚するために造営された クッワト・アルイスラーム・モスクの境内には、「ヒンドゥ教の忘れ形見」 ともいうべきものが残されています。

最初のモスクの中庭に、4世紀に鍛造された 高さ 7.2メートルの独立した鉄柱が立っているのです。 その基部に刻まれた碑文によれば、この鉄柱は 偉大な王、チャンドラを記念しているそうです。

それがグプタ朝の チャンドラグプタ2世(在位 375~413頃) のことであるのは間違いないでしょう。 鋳造技術は何処から来たのでしょうか・・・・

インドでは イスラーム建築の中にある このヒンドゥの遺産は、霊験あらたかなことで知られているそうです。 ここを訪れた者は柱に背を付け、両腕を後ろに回してみる。

両手の指先が柱の後ろで合えば、その人の人生は 良い星に恵まれる。

幸福になれるというわけですから、奈良 大仏殿の柱で行うのとおなじですね。 修学旅行でやった記憶があります・・・・・・・何時しか幸せの星は消えてしまったようですが・・・・・

ムガル帝国7-1

_____ 続く _____

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