探検家・冒険家 =3-②=

環境保護活動家 = マイケル・フェイ =

~アフリカの密林を横断して~

マイケル-8-

アフリカ横断プロジェクト

 1999年9月20日、コンゴのサンハ川北東に広がる沼沢地に足を踏み入れる。 過酷な旅が始まった。 同行は、ガイドと荷役を兼ねた現地のピグミー族スタッフのほか、コック、カメラマン、ライターなど十数人。 現地スタッフは時々入れ替わり、カメラマンらも一時的に外れることがあったが、フェイだけは全行程を歩きとおした。

 なぜ、一部でも自動車や船を使わず、すべて徒歩にしたのか。 「森の西の方から、木材企業の伐採が早いスピードで進んでいた。 そこで私たちは、伐採が行われていない地域を中心にメガトランゼクトでは歩こうと考えた」。

 ルートは綿密に設定され、最低でも2000キロ、1年以上の期間が必要と考えられていた。 ただし、計画の元になったのは“そこそこ”正確な地図であり、対象は現地スタッフも入ったことのない地がほとんどの原生林である。

 「コンゴの森を進んでいくと、メガトランゼクトプロジェクトの中でも、最も多くゾウが集中している一帯を発見することができた。 おそらく中央アフリカの中で大群のゾウ、それもオスのゾウが集中して生息している唯一の森だろう」。 自動車で入っていれば、遠くからゾウたちに気づかれ、身を隠されていたかもしれない。

マイケル-3-

ガボンを流れるイヴィンド川のコンゴウ滝を渡るフェイ

 15カ月の渉猟中、フェイはずっと軽装だった。 リバーサンダルに短パンとTシャツ。 Tシャツは1枚のみで、洗濯しながら使い回すが、着ていない日も多かった。

 常に携行していたのは、旅のあらゆる出来事を記す黄色い表紙のノート1冊。 通りすがった植物の名前、遭遇した動物たち、それらのサイズと数、直面した様々なハプニングまで、すべてをこのノートに記した。

 あごまで水に浸かって泥沼を渡るのは常態で、それができなければ大きな迂回を余儀なくされる。 幅200メートルほどの滝のような急流では、一行が渡りきるのも1日がかりとなる。

 途中二十数カ所に設けられた補給ポイントには、進行に合わせて支援チームから食糧・医薬品などが届けられるが、少なくとも数日分の消費財は持ち運ばなければならない。

 余談だが、物資の補給を担当したのは、WCSコンゴで環境保全の技術顧問を務める西原智昭である。

マイケル-9-

  行く手を阻むのは沼と川ばかりではない。 マチェーテ(山刀)で切り拓きながら進まねばならない厚い茂み、さらには“目には見えない”緊張の国境線もあった。

 当時、コンゴ共和国の東隣り、コンゴ民主共和国は内戦の混乱が続いていた。 国境線といっても柵などが張られているわけではない。

 “比較的軽い”障害として、棘の多いつる、水中のヒル、肌を刺すアブ、噛みつくアリ、ダニ、毒ヘビ、テントに侵入するシロアリ、マラリア、メジナ虫症。 沼に潜むクロコダイル、神経質なゾウ、時には武装した密漁者にも出会った。

マイケル-4-

「メガトランゼクト」の最終到達地点となった、ガボン南西部の大西洋岸

 スタートから8カ月を過ぎた頃、“メガトラブル”が発生した。 モウコという若いピグミーが熱に倒れ、死の淵をさまよう容態に陥ったのだ。 当初マラリアと思われたが、キニマックス(グルコン酸キニーネ、マラリアの特効薬)は効かず、黄疸も出ていて、肝炎であることが明らかになった。

 数日のうちにみるみる衰弱し、ピグミーの誰もがモウコは死に向かっていると見ていた。

 死なせるわけには行かない。 ここでモウコが死ねば、プロジェクトも終わらざるを得ない。 フェイはそう考えていた。 渡れない沼に行き当たり、やむを得ず引き返していた時のことで、他のピグミー・スタッフも健康な者でさえ疲労困憊し、チームから離れたがっていた。

 一人がモウコを背負い、その二人の荷物はほかのスタッフで分担しなければならない。

 フェイは支援チームと連絡をとり、進路を変えてモウコを病院へ搬送できる水路に近い村へ向かった。 プロジェクトの中止も覚悟したフェイは、モウコの搬送の手配が済むと、他のピグミー・スタッフを任務から解放した。

 数日たつうちに、モウコが一命をとりとめたとの知らせを受け取り、フェイは再び動き出す。 周辺の村を回り、何とか新たなスタッフを集めると、また森の中へ入っていった。

 プロジェクト最大の危機を乗り越えたあと、計画していた行程はまだ3分の1以上残っていた。

 そして、453日目の沼は、それまで何度となく押し渡ってきた沼と同じように、枝やつるをマチェーテで切り払い、ヒルに咬まれながら乗り越えた。

 2000年12月18日、スタートから456日目の昼過ぎ、マイケル・フェイとその一行は森を抜け、大西洋の海岸に出た。

 ピグミー・スタッフの中には大西洋を初めて目にするものもあり、砂浜で達成感と解放感を、あるものは爆発させ、あるものはじっと噛みしめていた。

 フェイは、行程中ずっと変わらなかった苦味のある笑顔を浮かべ、さらに先のことに想いをめぐらせていた。

 456日、3,200キロ分のデータの整理・分析には数カ月を要した。 その結果をもってフェイは、ジュゼッペ・バッサーロに代わりガボン政府への働きかけを進める。

 ガボン政府は2002年、計28,500平方キロの広大な地域に13の国立公園を設立することを決定した。

 当時の米国務長官コリン・パウエルがコンゴ盆地における国立公園設立に対する資金提供を発表した後、フェイはパウエルをガボンの森に案内している。

 それから約一年間、フェイは設立された国立公園の一つ、ロアンゴ国立公園で管理業務を指導した。

SANYO DIGITAL CAMERA

・・・・・・続く・・・・・・

                         *当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】  http://bogoda.jugem.jp

【浪漫孤鴻;時事心象】  http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】  http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

【壺公慷慨;世相深層】  http://ameblo.jp/thunokou/

 前節への移行 ≪https://thubokou.wordpress.com/2013/07/22/

※ 後節への移行 ≪https://thubokou.wordpress.com/2013/07/24/

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います 

広告