探検家・冒険家 =6-①= 

僻地を彷徨う古生物学者 = ポール・セレノ =

~ ロスト・ワールドを謎解く化石を求めて ~

ポール・セノンー1-

古生物学者ポール・セレノが化石を探しに出かけてゆく地は

そのほとんどが人が暮らすに適さない砂漠や岩だらけの荒地である

古生物の化石は

砂漠のような乾燥した気候でより良く保存されるため

これはある程度までいたしかたないことではある

ポール・セノンー5-

    「古生物学は“目的のある冒険”なんだ。世界の僻地を歩き回って、誰も見たことがない巨大な生物をよみがえらせる科学とも言える。 重要な化石を発見する秘訣?それには、誰も行ったことがない場所へ行かなければならない」。

 こう話すセレノには、人がめったに立ち入らない荒野に赴くこと自体が楽しみのひとつなのかもしれない。

“月の谷”、イスキグアラスト

シカゴ大学で古生物学の教授となって間もないセレノが自らチームを率いた最初の遠征は1988年、アルゼンチンでの発掘調査プロジェクトだった。  目的地はアンデス山脈の麓、標高1300メートルに広がる荒涼とした砂漠の渓谷「イスキグアラスト」。

現地のケチュア語で「月が舞い降りる場所」を意味する。 スペイン語でもヴァレ・デ・ラ・ルナ(月の谷)という。 ここには、イスキグアラスト累層と呼ばれる三畳紀後期(約2億3,000万年前)の地層が露出し、1950年代には化石密集層が見つかっていた。

調査の目的は、黎明期の恐竜進化の解明に繋がる化石を見つけることだ。 三畳紀は恐竜がようやく姿を現した頃で、脊椎動物としてはまだ他の爬虫類が優勢だった時代である。

イスキグアラスト累層からは、1959年に最初期の恐竜とされるヘレラサウルスの後肢の骨が発見されていた。

調査はまず発見場所の近くからと考えるのが普通だが、その地点を示す詳細な地図はなかった。バッドランド(悪地、荒地)と呼ばれる“月の谷”は100キロ以上の広がりがあり、数日ごとにキャンプ地を移しながら“掘り出し物”を求めて乾燥した砂と岩の中を歩き回ることになる。

悪条件はそれだけでなく、食料はぎりぎりの量しか用意できず、勉強を始めたばかりのスペイン語では現地スタッフとの意思の疎通も思うにまかせなかった。

イスキグアラスト到着から3週間、さまざまな化石は見つかったものの、初期恐竜に関してはめぼしい成果はまだない。 ある窪地での調査を終えてキャンプの移動を始めたとき、セレノはまだ誰も足を踏み入れていない一角があるのに気づいた。

そのまましばらく歩いたもののどうしても気になり、日曜の“オフ”であることも承知でチームを呼び止めた。

「みんな聞いてくれ。 さっきの窪地に“バミューダトライアングル”がある。 きっと何かが見つかる気がするんだ。 休日でも手伝ってくれる人だけでいい。 いま戻らないと、私は夜も眠れない」。 ・・・・・・全員が引き返すことになった。

「バッグを置いて歩いていくと、岩の端から化石がのぞいていた。 近寄ると、目の前に頭蓋骨がきた。 頚骨(けいこつ、首の骨)の1つは外れかかっていた。 もしかしたら次の雨期には流されていたかもしれないし、もっと違う形で発見されていたかもしれないが、その時の保存状態はまさに見事だった。 あまりにも素晴らしい瞬間で、思わず座り込んで泣いてしまったよ」。

こうして発見されたのが、ヘレラサウルスのほぼ完全な全身骨格である。

1959年に後肢の化石を見つけたのは現地のヤギ飼い、ビクトリノ・エレーラ(Herrera)で、化石を初めて科学的に調査した古生物学者オズワルド・レイグが発見者にちなんで名づけた。

セレノはこの発見のすぐあと、そのときも月の谷のはずれで妻とふたりで暮らしていたエレーラを訪ねている。 言葉の壁もあり、さほど親しく話しはしなかったようだが、セレノにとっては感動にさらに花を添える出会いとなった。 エレーラは2年後の1990年に亡くなったという。

ヘレラサウルスは、後肢化石だけの時代には竜盤目と鳥盤目が分岐する前の恐竜と考えられていたが、全身骨格の研究からは最も原始的な獣脚類(竜盤目)の恐竜とされている。

獣脚類は、のちのティラノサウルス・レックスやヴェロキラプトルに繋がる二足歩行の肉食恐竜である。 ヘレラサウルスも体長約3メートル、体重も300キロ近くあったと見られ、“後世”のティラノサウルスには及ばないが、すでに恐竜らしさを備えていたようだ。

アルゼンチン遠征の結果により、恐竜の進化過程に関する学界の見方が一変した。 まだ他の動物が優勢だった2億2800万年前、既に恐竜が出現していた可能性が明らかになったからだ。

ポール・セノンー3-

サハラ、最も過酷な遠征

これまでの発掘調査プロジェクトの中で、1990年から数回にわたって行ったニジェールへの遠征が最も過酷だったという。

拠点のシカゴを出発してまずロンドンへ飛び、そこで別便で輸送していた調査機器を4台の車両に詰め込む。 フェリーで英仏海峡を渡り、フランス南部まで車を走らせる。 再びフェリーで地中海を越えてチュニジアへ。

アルジェリアを経てサハラ砂漠の南縁、ニジェールまで1500キロ超の道のりはひたすら車を走らせる。 まだGPSは使えず、地図とコンパスが頼りだった。

政情の不安定な地域であり、50度を超える気温に盗賊の横行という悪条件。 予算も限られ、遠征のトータル期間は2カ月以上だが、現地で発掘調査に充てられる時間は10日しかなかった。

その7日目、現地のトゥアレグ族の族長に印象的な竜脚類の“墓地”に案内された。 このあたりは恐竜時代も終盤に差しかかる白亜紀後期の地層である。 一部露出した巨大な背骨を見ながら、セレノは「また来よう」とつぶやいていた。

1993年、セレノは前回とほぼ同じ行程をたどって再びニジェールにやってくる。 そして、体長約20メートルの草食恐竜ジョバリア、体長約9メートルの肉食恐竜アフロベナトルを発見する。

アフロベナトルは、アフリカで 発掘された白亜紀の肉食恐竜として最も完全な形を留めている。

2003年まで計5回のニジェール遠征では、掃除機のような変わった口を持つ草食恐竜ニジェールサウルス、ワニのような細長い口先の竜脚類スコミムス、恐竜以外でも体長12メートル、体重9トン以上の古代ワニ「スーパークロコダイル」の化石も発見している。

ニジェール遠征は、最も過酷だったが、最も重要でもあったとセレノは話す。

ポール・セノンー4-

・・・・・・続く・・・・・・

                         *当該地図・地形図を参照下さい

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