探検家・冒険家 =10-①=

栄光の宇宙飛行士 = ル・アームストロング博士 = 

~月への航海  月面への第一歩~

アームストロングー1-

ニール・オールデン・アームストロング(Neil Alden Armstrong, 1930年8月5日 – 2012年8月25日)

アメリカ合衆国の海軍飛行士、テスト・パイロット、宇宙飛行士、大学教授である

人類で初めて月面に降り立った

  =宇宙名誉勲章受賞=

アームストロングー2-

 最初の宇宙飛行は1966年のジェミニ8号で、ニールは機長を務め、デヴィッド・スコット操縦士とともにアメリカ初の有人宇宙船でのドッキングを行なった。

2回目の宇宙飛行は1969年7月16日に発射されたアポロ11号で、この時も機長を務め、バズ・オルドリン飛行士とともに2時間30分にわたって月面を探索した。 司令船操縦士のマイケル・コリンズは、その間軌道上を周回していた。

宇宙飛行士になる前は海軍に所属し、朝鮮戦争では実戦に参加した。その後は国立航空諮問委員会(National Advisory Committee for Aeronautics, NACA)の超高速飛行本部に所属し、様々な実験機で900回以上ものテスト飛行をした。

F-100スーパー・セイバーAおよびC、F-101ヴゥードゥー、ロッキードF-104Aスター・ファイターの開発には、テスト・パイロットとして関わった。

またベルX-1B、ベルX-5、ノース・アメリカンX-15、F-105サンダーチーフ、F-106デルタ・ダート、B-47爆撃機、KC-135空中給油機、ペアセヴ(Paraglider Research Vehicle、実験用パラグライダー)などの操縦も経験していた。

幼少期のニール

オハイオ州ワパコネタ(Wapakoneta)で、父スティーヴン・ケイニグ・アームストロングと母ヴィオーラ・ルイーズ・エンゲルの長男として生まれた。 他に弟のディーンと妹のジューンがいる。

スコットランド系アイルランド人およびドイツ人を先祖に持つ父スティーヴンはオハイオ州の役所に勤務し、転勤を15回もくり返し20もの町に移り住んだと言う。

父親の最後の勤務地はワパコネタで、この年(1944年)ニールはボーイ・スカウトの最高勲章であるイーグル・スカウト賞を受賞した。 成人後には特別イーグル・スカウト賞およびシルバー・バッファロー賞も受賞し、アメリカの若者を表彰する最大の賞の一つであるボーイ・スカウト・オブ・アメリカにも認定された。

ワパコネタでは、ブルーム高校に通っていた。

1947年、ニールはパデュー大学に通い、航空工学を学び始めた。 同大学では、ファイ・デルタ・シータとカッパ・カッパ・プサイという親睦団体に所属している。 学業優秀の上、周囲とは調和を保つ若者、家族の中で大学まで行ったのはニールともう一人だけであった。

彼はマサチューセッツ工科大学(MIT)にも入学が認められていたが、MITに通っていた知り合いのエンジニアにケンブリッジでなくとも良い教育は受けられる、と説得されたためパデュー大学に通うことにした。

同校ではホロウェイ・プラン (Holloway Plan) という奨学金制度を受けていた。 これは志願者を2年間大学に通わせた後、3年間海軍に勤務させ、また2年間復学させるという制度です。

ニールの大学での成績は平均的なものだったが、無事に航空工学の学士号を取得することができた。 1970年には南カリフォルニア大学から宇宙工学の修士号を習得する。 後年には、彼は多くの大学から名誉博士号を与えられている。

アームストロングー5-

パデュー大学(Purdue University)は、1869年5月6日、アメリカ合衆国インディアナ州ウェストラファイエットで創立された公立の総合大学である。パデュー大学はビジネスで成功し、大富豪であったジョン・パデュー(John Purdue)が寄贈した多大な土地と寄付金により創立された。

大学、及び大学院で210以上の専攻科目を提供しており、特に理系とビジネスの分野が有名である。約4万人(2010年時点)の生徒が勉学に励むマンモス校であり、ビッグ・テン・カンファレンス、通称“Big10 (ビッグ・テン)”の一校である。パデュー大学には5,479名の留学生がおり、全米の公立・私立大学の中で5番目に多い。

パデュー大学は理系と経営学の分野で、長年に渡り世界的に高く評価されてきた。パデュー大学の知名度は日本で高いとはいえないが、アメリカを代表する名門校のひとつである。米経済誌ウォールストリート・ジャーナルの2010年度就職ランキングでは、即戦力のある人材が育つ大学として、全米で第4位であった。2010年、米メディア・ブルームバーグ社は、パデュー大学は最も多くの最高経営責任者(CEO)をS&P 500の企業に輩出した大学のひとつであると発表した。

2010年、根岸英一・パデュー大学特別教授と鈴木章・北海道大学名誉教授のノーベル化学賞のW受賞を機に、パデュー大学が日本で一気に注目されるようになった。

アームストロングー3-

海軍での勤務

1949年1月26日、ニールは海軍に入り、フロリダ州ペンサコラ海軍航空基地で飛行訓練を受けるよう任命される。

以後およそ18か月間、同基地と空母カボットやライトでの訓練で飛行機操縦と航空母艦への離着艦の技術を教育され、1950年8月16日、海軍飛行士の正式な認定を受け、最初の勤務地はカリフォルニア州サン・ディエゴ海軍航空基地の第7艦隊航空部隊で、2か月後に全機がジェット機で編成される第51戦闘飛行隊に配属された。

1951年1月5日、F9F-2Bパンサーで初めてジェット機の操縦を経験し、6か月後には空母への着艦も行なっている。

この週に、ニールは士官候補生(Midshipman)から少尉(Ensign)に昇進した。 月末には、彼ら第51戦闘飛行隊を乗せた空母エセックスは、朝鮮戦争における対地攻撃を行なうために、朝鮮半島へと向けて出航した。

朝鮮戦争での初の実戦経験は1951年8月29日のことで、任務は金策市を写真撮影する偵察機の護衛であった。 だがその5日後に、彼の搭乗機は地上からの砲撃を受けてしまう。

その日の偵察飛行の主要目的地は、貨物場と、元山市西部のマジョンニ村の南にある狭い谷にかかる橋であった。 ニールはF9Fを操り、低高度を時速およそ560kmで飛行しながら対地掃射をしていたが、その時地上からの対空砲が命中した。

機体は機首を前のめらせ、電線に右の主翼を接触させ、これにより主翼の先端約2メートルほどがもぎ取られた。

ニールは機体を立て直し、味方の領空に引き返すこともできたが、補助翼が失われたため安全に着陸することは不可能であった。 残された手段は射出座席で脱出することだけである。

ニールは海上で脱出し海軍のヘリコプターによる救助を待つことを選んだ。 浦項市の沖合で射出座席のレバーを引いたが、パラシュートは強風にあおられ陸地に舞い戻されてしまった。

ニールは当初の思惑に反してヘリコプターではなくジープで救出される結果となった。 またこの時彼を救い上げたのは航空学校時代からの同級生であった。

朝鮮戦争では都合78回、計121時間にわたって飛行したが、その経歴のほとんどは1952年1月に集中している。

最初の20回の出撃でエア・メダル勲章を受章し、次の20回でゴールド・スターを受け、他にコリアン・サービス・メダルやエンゲージメント・スターも受賞している。

1952年8月23日に海軍を除隊し、海軍予備役部隊で中尉に昇進した。 予備役部隊には1960年10月20日まで在籍していた。

アームストロングー4-

 海軍を除隊した後、ニールはパデュー大学に復学した。

戦争から戻ったあとの2年間の学業生活は目覚ましいものであった。 ファイ・デルタ・シータに再入会し、全学生が参加するレビュー(風刺喜劇)の脚本と助監督を担当したこともあった。

在学中ニールは家庭経済学を専攻するジャネット・エリザベス・シェアロンと知り合った。 二、三の友人によると、この間どういういきさつがあったのかは知らないが、ニールがNACAのルイス飛行推進研究所で働いていたあたりから雰囲気が変わったように見えたという。

1956年1月28日に2人はイリノイ州ウィルメッテの教会で式を挙げる。 その後ニールがエドワーズ空軍基地に転勤したときは、彼は独身寮に住みジャネットはロサンゼルスのウェストウッドに一人で住んでいたこともあった。

それでも半年後にはアントロープ・ヴァレイに一軒家を購入して新居を構えたが、ジャネットは後に結婚で大学を中退したことを後悔したと言う。

子供は3人授かったが、真ん中の子カレンは脳幹に悪性の腫瘍があると診断され、X線療法で病状の進行は抑えられたが、体力が衰え、立つことも話すこともできなくなり、1962年1月28日に肺炎のため死亡している。

・・・・・・続く・・・・・・

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