探検家・冒険家 =13-①= 

仏教学者・真理の追究者 = 河口 慧海 = 

~ 梵語の原典を求めてヒマラヤを越え 潜伏し仏典入手 ~

慧海ー4-

=ラサの寺院 河口慧海老高僧の写真が飾られている=

 1866年 泉州堺(現・大阪府堺市)に河口定治郎は生まれる 後の、河口慧海である

 河口 慧海、 慶応2年1月12日に生まれ昭和20年2月24日に他界

  黄檗宗の僧侶 ・ 仏教学者にして探検家 ・ 幼名は定治郎

僧名は慧海仁広(えかいじんこう)

  中国や日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問をおぼえ、

  仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、 梵語の原典とチベット語の仏典を求めて、日本人として初めてチベットへの入国を果た

 1890年(明治23年)に黄檗宗の五百羅漢寺(当時は東京本所にあった)で得度を受け出家する。 1892年(明治25年)には大阪妙徳寺に入り、禅を学ぶ。

その後、五百羅漢寺の住職を勉めるまでになるが、その地位を打ち捨て、梵語・チベット語の仏典を求めて、鎖国状態にあったチベットを目指す。 数々の苦難の末、2度のチベット入りを果す。 帰国した後、1921年(大正10年)年に還俗、 大正大学で教鞭を取る。

=== “言海”や百科事典を参照すれば上記の略歴はすぐに判る。 また、還俗の理由については自身の著書『在家仏教』に詳しく記されている。 私は彼の著 『チベット旅行記』(「西域紀行探検全集」7)を繰り返しよんだ。 以下、この本を頼りに彼の偉業を 彼の探検的足跡を追おう===

慧海ー5-

邦人未踏のチベットへ

1897年(明治30年)6月に神戸港から旅立ち、シンガポール経由で英領インドカルカッタへ。

摩訶菩提会(マハーボーディ・ソサエティ)幹事チャンドラ・ボースの紹介によりダージリンのチベット語学者でありチベット潜入経験のあるサラット・チャンドラ・ダースの知遇を得る。

※ スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose、1897年1月23日 – 1945年8月18日)は、インドの独立運動家、インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。 民族的出自はベンガル人。 ネータージー(指導者)の敬称で呼ばれる。 なお、スバスの部分は、シュバス(Shubhas)とも発音される。

1897年にインド(当時はイギリス領インド帝国)のベンガル州カタク(現在のオリッサ州)に生まれ、カルカッタ(現在のコルカタ)の大学を卒業、両親の希望でイギリスのケンブリッジ大学に留学した。

しかし1921年にマハトマ・ガンディー指導の反英非協力運動に身を投じ、1924年にカルカッタ市執行部に選出されるも、逮捕・投獄されビルマのマンダレーに流される。 以降、ドイツに亡命 その後 日本に活動拠点を移し、独立運動に挺身

・・・・・・・・・・・

 およそ1年ほど現地の学校にて正式のチベット語を習いつつ、下宿先の家族より併せて俗語も学ぶ日々を送る。 その間に、当時厳重な鎖国状態にあったチベット入国にあたって、どのルートから行くかを研究した結果、ネパールからのルートを選択。

日本人と分かってはチベット入りに支障をきたす恐れが強いため、支那人と称して行動することにした。

1899年(明治32年)1月、仏陀成道の地ブッダガヤに参り、摩訶菩提会の創設者であるダンマパーラ居士より釈迦牟尼如来の舎利をおさめた銀製の塔とその捧呈書、貝多羅葉の経文一巻をチベットに辿り着いた際に法王ダライ・ラマに献上して欲しいと託される。

同年2月、ネパールの首府カトマンズに到着。 当地にてボダナートの住職であるブッダ・バッザラ(覚金剛)の世話になるかたわら、密かにチベットへの間道を調査する。

同年3月、カトマンズを後にし、ポカラやムクテナートを経て、徐々に北西に進んで行くが、警備のため間道も抜けられぬ状態が判明し、国境近くでそれ以上進めなくなる。

ここで知り合ったモンゴル人の博士セーラブ・ギャルツァンが住むロー州ツァーラン村に滞在することになり、1899年(明治32年)5月より翌年3月頃までをネパールのこの村でチベット仏教や修辞学の学習をしたり登山の稽古をしたりして過ごしながら新たな間道を模索している。

慧海ー6-

 1900年(明治33年)3月、新たな間道を目指してツァーラン村を発ちマルバ村へ向かう。

村長アダム・ナリンの邸宅の仏堂にて、そこに納めてあった経を読むことで日々を過ごしながら、間道が通れる季節になるまでこの地にて待機した後、 同年6月12日、マルバ村での3ヶ月の滞在を終え、いよいよチベットを目指して出発する。

同年7月4日、ネパール領トルボ(ドルポ/ドルパ)地方とチベット領との境にあるクン・ラ(峠)を密かに越え、ついにチベット西北原への入境に成功。

白巌窟の尊者ゲロン・リンボチェとの面会や、マナサルワ湖(経文に言う『阿耨達池』)・聖地カイラス山などの巡礼の後、1901年(明治34年)3月にチベットの首府ラサに到達。

チベットで二番目の規模(定員5500名)を誇るセラ寺の大学にチベット人僧として入学を許さたのです。

それまで支那人と偽って行動していたのにこの時にはチベット人であると騙った理由は、支那人として入学してしまうと他の支那人と同じ僧舎に入れられ、自分が支那人でないことが発覚する恐れがあった。

一方、以前に支那人であると騙ってしまった者など一部の人に対しては、依然として支那人であると偽り続ける必要があったため、ラサ滞在中は二重に秘密を保つこととなる。

たまたま身近な者の脱臼を治してやったことがきっかけとなり、その後様々な患者を診るようになる。

次第にラサにおいて医者としての名声が高まると、セライ・アムチー(チベット語で「セラの医者」)という呼び名で民衆から大変な人気を博すようになる。 本名としてはセーラブ・ギャムツォ(チベット語で「慧海」)と名乗っていたのだが、結局ラサ滞在以降、チベット民衆の間では専らセライ・アムチーという名で知られることになる。

ついには法王ダライ・ラマ13世に召喚され、その際侍従医長から侍従医にも推薦されているが、仏道修行することが自分の本分であると言ってこれは断っている。 また、前大蔵大臣の妻を治療した縁で夫の前大臣とも懇意になり、以後はこの大臣邸に住み込むことになった。

この前大臣の兄はチベット三大寺の1つ、ガンデン寺の坐主チー・リンポ・チェであり、前大臣の厚意によってこの高僧を師とし学ぶことが出来た。

慧海ー1-

※;ダライ・ラマ13世(1876年2月12日 – 1933年12月17日)は、第13代のダライ・ラマ。法名をトゥプテン・ギャツォと言う。 1878年に、ダライラマの生まれ変わりと認定された。

当時のチベットは大清帝国と大英帝国とロシア帝国の渦中に巻き込まれていた。後年フィンランド大統領となるカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムは、モンゴルへの旅の途中で13世に謁見しているが、その際13世はイギリスに対して懐疑的な一方でロシアへの関係樹立には興味を示していたという。

しかし1904年にイギリスは軍隊を派遣して、チベットの中心都市ラサに駐留。ラサ条約に調印するが、清がチベットへの主権を主張して対立。13世は北京に避難し清朝廷の庇護下に入るが、1908年にラサへ帰還した。 1910年に今度は清軍が、イギリスの影響を排除するためとしてチベットに侵攻。 13世はシッキム、ネパールと転々としインドに向かった。

清は13世の廃位を宣言するが、1911年の辛亥革命により清は滅亡。 しかしその後も清軍の勢力が残り、チベットの民族政権が清軍を駆逐するには1912年までかかった。 清に代わった中華民国は13世の地位を保証したため、1913年1月にラサへ帰還。 1914年に英国とシムラ条約と締結する一方で、インド亡命中から近代化に着手した。

欧米の議院内閣制に倣ってカシャグ(民会)を基盤として大臣を選出するシステムを確立し、郵便切手や紙幣の発行・西洋式病院の設置などを行った。また今日広く使われているチベット旗を正式に定めている。

慧海ー7-

・・・・・・続く・・・・・・

                         *当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】  http://bogoda.jugem.jp

【浪漫孤鴻;時事心象】  http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】  http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

【壺公慷慨;世相深層】  http://ameblo.jp/thunokou/

※ 前節への移行 ≪https://thubokou.wordpress.com/2013/08/24/

※ 後節への移行 ≪https://thubokou.wordpress.com/2013/08/26/

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中