探検家・冒険家 =18-①=

造園の魔術師 = ケイパビリティ・ブラウン =

~ 英国の風景を一変させたといわれる芸術家 ~

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英国の町並みを語る上で欠かせないのは、歴史ある建造物や庭園の数々だ

古き善き時代の面影と大英帝国の威光を感じさせる邸宅や城が放つ魅力は、

手入れの行き届いた壮麗な庭園によりさらに輝きを増す

こうした庭園は、各時代を代表する造園家たちによって造られ、

建築や絵画と等しく英国の文化史を彩ってきた

 数多い造園家の中でもその名を広く知られ、18世紀の偉大な芸術家

英国の風景を一変させたといわれる造園家、

ケイパビリティ・ブラウンの生涯とその仕事ぶりを追ってみよう

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◆◆◆有能な「セールスマン」だった?◆◆◆

「家」と「庭」好きで知られる英国人。 一般人がプロの手を借りマイホームや庭を一新する、テレビの「お宅改装」番組や、持ち家の価値を上げるノウハウを伝授する番組は英国の娯楽番組の一ジャンルとしてすっかり定着している。

これらの番組でよく耳にする言葉が「It’s got potential.(可能性・将来性がある)」。 改装後の家は見違えるほど素晴らしくなる、という意味で使われているお馴染みのフレーズだ。 古い家に手を加えて大切に住みこなし、後世へと引き継いでいくという、不動産好きの英国らしい精神の表われといえるだろう。

興味深いことに、二百五十年近くも前に同様のフレーズを使っていた人物がいる。  十八世紀半ばにブレナム宮殿やチャツワースといった英国きっての屋敷の庭園を設計した造園家、ランスロット・『ケイパビリティ』・ブラウン(Lancelot “Capability” Brown)である。

日本ではあまり馴染みがないものの、英国では数多くの名庭園を手がけたことで広く知られる人物。 生涯に手がけた庭園の数は百七十を超えるというから驚きだ。

彼の手がけた主要な庭園については後出のリストを参照していただくことにして、まずは本名の「ランスロット」よりも知られているニックネーム「ケイパビリティ(capability)」の由来から話を始めよう。

この単語には「能力、才能」のほかにも「可能性、将来性」といった意味もあることはご存知でしょう。

造園の依頼を受けたブラウンは、貴族や地主階級の紳士が地方に所有するカントリー・ハウス、マナーハウスを訪れ、どんな庭でも開口一番、さらに素晴らしい庭にできる「ケイパビリティ(可能性、将来性)がある」と言うのが口癖で、ここからニックネームがつけられたとのことなのです。

「貴公の庭園は今よりもっと素晴らしくなりますよ」

所領する庭園を流行のスタイルにできないものかと思案中の王侯貴族たちにとって、これは魅力的な言葉だったに違いない。

これで『ツカミ』はOK。 造園家としての腕もさることながら、ブラウンの営業センスはなかなかのものだったようです。

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 ◆◆◆菜園係から大プロジェクトの現場監督へ◆◆◆

ブラウンは一七一六年、イングランド最北部、スコットランドとの境界に近いイングランド北東部ノーサンバランド、カークハールに生まれる。

英国史に名を残す人物でありながらも、彼の生い立ちについてはあまり多くの記録が残っておらず、母親の出自については知られていないという有様。 供は六人おり、ブラウンは五番目だったという。 親のウィリアム・ブラウンは農業労働者であったという記録が残っているが、ブラウンがまだ幼かった頃に死去している。

しかし家計を支えるため十二、十三歳で働きに出される子供が多かった時代に、一家の大黒柱である父親を失いながらも十六歳まで学校教育を受けていることから、ブラウン一家は経済的にほどほどに恵まれた環境にあったことが推察できるだろう。

学業を終えたブラウンは、地元の大地主であるウィリアム・ロレイン卿の屋敷に、屋敷の食料をまかなう菜園スタッフとして雇われ、見習いを務めながら園芸の基礎を学んでいく。

この頃すでに老年を迎え、政治の表舞台から引退していたロレイン卿は、先代から引き継いだ屋敷を当世風に改装するなど、その興味と情熱を「内」に注ぐようになり、さまざまな工事を計画。

美観のため領地内の村を別の場所に丸ごと移動させたり、時代遅れになった花壇を取り壊したり、樹木数千本を新たに植え直すといった数年がかりの巨大プロジェクトに取りかかっていた。

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=資料・チャツワース

ヘンリー・ワイズ(Henry Wise, 1653年 – 1738年 )は、イギリスの庭師、養樹園主として知られるが、宮廷画家も務めた。  当時のアン女王のお気に入りの庭師として歴史に名をはせる。

代表作;  ハンプトン・コート宮殿の迷路園・チャツワース・ハウス 風景庭園・ブレナム・パレス・・ブロンプトン養樹園(ナーサリー)・現ロイヤルアルバートホール・サウスケンジントン美術館庭園・チェルシー病院庭園・ロングリート・メルボルンホール・ウィンポルホール城のデザインガーデン

英国人庭師、庭園デザイナーであるほか、養樹園主も務めた。 ジョージ・ロンドンに弟子入りし、旧ブロンプトン園(現在のロイヤルアルバートホール・サウスケンジントン博物館、ロンドン)で働いていた。 二人は後でパートナーとして協働。 彼らのおもな実績にはハンプトンコート庭園花壇、チェルシー病院 、ロングリート、チャッツワース、オーストラリア・メルボルン市庁舎、ウィンポールホールと城などがある。作風はフランスとオランダにおけるハワードらの現代的な庭のデザインや彫刻からインスピレーションを得ている。

ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)は、ヘンリー・ワイズとチャールズ・ブリッジマンらによってファッショナブルな機能を備えた丸池 、沈降したオランダ式の庭がレイアウトされた。

ワイズとロンドンはこのほか、自国内向けに園芸至上著名なフランスの書籍を翻訳している。 その著は『Retir’d Gard’ner』と題され、2分冊になっている。本書は、1706年にロンドンで刊行され、人気を博し増刷が行われた程である。

ワイズはガーデニングの努力を通じて富裕層となり、ウォリックシャーの修道院の荘園を購入した。その他、不動産やマンションを購入し、1727年に地方の大地主として引退した。

作家と庭園デザイナーとして著名であるスティーブン・スイッチャーは、ロンドンとワイズのもとで修行している。 イギリスのアン女王とキングジョージ両方から王室庭師のポストに任命されてから、ブロンプトンの園は、他の庭師にまかされるが、ワイズは家屋とブロンプトンのパーク部を担当。

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※; ノーサンバーランド (Northumberland) は、イングランド最北・東側の地域で、スコットランドとの境界にある典礼カウンティかつ単一自治体 (Unitary Authority)。ノーサンバーランド州 (the county of Northumberland, Northumberland county) とも呼ばれる。

北には、スコティッシュ・ボーダーズがあり、東は北海と接する。西にはカンブリア、南にはダラム、南東にはタイン・アンド・ウィアがある。  古くから、この地を巡ってスコットランドとイングランドが争ったため、城が多い。 また、荒野が未開発により景観が維持されているため、現在は国立公園として保護されている。

この地域は、かつてローマ帝国の一部であった。 ノーサンバーランドとなった後、イングランドとスコットランド間で領土を巡る戦いが起こった。 その結果として、ノーサンバーランドにはイングランドの中でも多くの城が建設され、アニック、バンバラ、ダンスタンバラ、ワークワースなどにある。

現代のノーサンバーランドの地域は、かつてアングル人を中心に作られたバーニシア王国が起源である。 デイアラ王国との統一により、後にノーサンブリアとなった。 また、ノーサンバーランドはキリストの発祥地とも呼ばれる。これは、北部のバンバーグ海岸部に位置する聖なる島 (Holy Island) と呼ばれるリンディスファーン島は7世紀にリンデスファーン修道院が創建され、イングランドのキリスト教化の始まりとなった。

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・・・・・・続く・・・・・・

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