探検家・冒険家 =21-①=

早すぎた美の殉教者 = オスカー・ワイルド =

~  才気溢れる世紀末のダンディ・美の殉教者 ~

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ヴィクトリア朝の英国で、「才気溢れる世紀末のダンディ」として活躍 

 スキャンダラスな人生を歩んだアイルランド出身の 

  オスカー・ワイルド  Oscar Wilde 

 その短くも華やかな一生

キス・マークの絶えぬ墓

オスカー・ワイルドの死から111年が経過した2011年12月、パリ東部のペール・ラシェーズ墓地には、記念式典のため多くの人々が集まった。 そこには、ワイルドの原作を映画化した『理想の夫』に出演した英俳優のルパート・エヴェレットなどと並び、ワイルドの孫で作家のマーリン・ホランド(Merlin Holland)氏の姿もあった。 彼らは新たに修復されたワイルドの墓のお披露目式に立ち会ったのだ。

パリで客死したワイルドのために1914年に出来上がったこの墓は、当時の現代彫刻家ジェイコブ・エプスタインによってデザインされ、以来ワイルド・ファンの巡礼地となっている。

最初はパリ郊外の貧相な墓地に葬られたワイルドだったが、1909年にペール・ラシェーズ墓地(Pre Lachaise Cemetery)に改めて埋葬された。

1990年代、ワイルドの死後100年に向けて、映画、特別エキシビションなど様々な記念企画が実現したおかげでワイルド・ブームが再燃した。

誰かが墓石にキスすることを思いついたらしく、それに倣う女性が続出。墓石の天使の像がファンの残した赤いキス・マークで覆われる事態となった。

この墓は、多くの有名人が眠るペール・ラシェーズ墓地の中でもひときわ目立つものの一つだが、長年の間に口紅の油が石に染み込んで損傷が進んだため、これらのキス・マークを徹底的に洗い落として修復する作業が必要になったのだという。

墓石が傷む程のキスを受けた人気作家オスカー・ワイルド。

果たして彼は生前にも同様の扱いを受けていたのだろうか

彼の生涯は、19世紀末の旗手のように語られ 時代を先駆ける彗星のごとく あまりにも短かった。 また、苦悩に満ちていた。

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・・・・・ウィキペディアより・・・・・

オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 – 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。

耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末の旗手のように語られる。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。

ヴィクトリア朝時代のアイルランドのダブリンに生まれた。 古いプロテスタントの家柄で、祖父も父ウィリアム(William Wilde)も医師であった。 母はジェーン(Jane Wilde)。

父母ともに文才に富み、ジェーンは詩人で、サロンの主でもあった。 幼少期は女子を欲していた母によって女子の格好をさせられていたと言う。

1864年(10歳)、北アイルランド、エニスキレン(Enniskillen)のポートラ王立学校(Portora Royal School)に学び、数学・科学・体育は嫌ったが、1871年、古典語の最高賞を受けて卒業し、奨学金を得てダブリン大学トリニティ・カレッジへ進んでいる。

その後も、度々受賞し、給費生の資格を与えられた。

1874年(20歳)、オックスフォード大学モードリン・カレッジ(Magdalen College)に進学し、ジョン・ラスキンの講義を聴き、評論家ウォルター・ペイターのサロンの常連となり、『ルネッサンス』を勉強している。

1875年、トリニティ・カレッジの恩師ジョン・マハフィー(John Pentland Mahaffy)に従ってイタリアに旅し、翌年も、マハフィーとギリシャに遊んだ。

ロンドンに移り住んでいた母のサロンで、ホイッスラーバーン=ジョーンズアルマ=タデマロセッティらを知った。

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=資料=

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler, 1834年7月10日-1903年7月17日)は、19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家。おもにロンドンで活動した。

印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。

サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1833年8月28日 – 1898年6月17日)は、イギリスの美術家。ラファエル前派と密接な関係を持つデザイナーで、ラファエル前派をイギリス画壇の主流に押し上げた。

同時に、自身も数々の精巧で美しい芸術作品を作り上げた。フィリップ・バーン=ジョーンズの父である。

サー・フィリップ・バーン=ジョーンズ (Sir Philip Burne-Jones, 2nd Baronet, 1861年10月1日 – 1926年6月21日)は、イギリスの画家。ラファエル前派の画家エドワード・バーン=ジョーンズとジョージアナ・マクドナルドとの間の長男。

オックスフォード大学教授で詩人のジョン・ウィリアム・マッケイル(妹のマーガレット・バーン=ジョーンズの夫)は義弟にあたる。  肖像画、風景画、ポエティック・ファンタジーなど、生涯に60点以上の絵を描いた。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti, 1828年5月12日-1882年4月10日)は、19世紀のイギリスの画家・詩人。ラファエル前派の一員に数えられる。詩人クリスティーナ・ロセッティの兄。  姉のマリアと弟のウィリアムも著述家である。医師・作家であるジョン・ポリドリは叔父にあたる。

日本では明治時代に島崎藤村、蒲原有明らにより詩が紹介されたが、今日では詩よりも絵画の方が知られている。

ローレンス・アルマ=タデマ(Lawrence Alma-Tadema, 1836年1月8日 – 1912年6月25日)は、イギリス、ヴィクトリア朝時代の画家。古代ローマ、古代ギリシア、古代エジプトなどの歴史をテーマにした写実的な絵を数多く残し、ハリウッド映画の初期歴史映画などに多大な影響を与えたと言われる。

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※;同性愛=モセクシュアリティ(homosexuality)=とは、男性同士または女性同士の間での性愛や、同性への性的指向を指す。 同性愛の性質を持っている人のことを同性愛者、ホモセクシュアル(homosexual)という。

かつて同性愛は違法または異端視されることが多かったが、近年は普遍的な人権として尊重されるべきだという世界的な潮流になっている。

2006年、カナダで開催されたLGBTの競技大会「ワールドアウトゲームズ」の第1回大会の場で宣言された「モントリオール宣言」、2006年に採択され2007年に国連人権理事会で承認された「ジョグジャカルタ原則」、2008年に国連に提出された「性的指向と性自認に関する声明」などは、同性愛者やLGBTなど性的少数者の権利を高らかに謳い、差別の撤廃を求めている。

2011年12月には世界人権デーに合わせてジュネーブの欧州国連本部で米国クリントン国務長官が演説し、「同性愛者の権利は人権であり、人権は同性愛者の権利だ」と述べている。

ゲイという単語は、男性だけでなく女性の同性愛者も含んだ「同性愛者一般」という意味で用いられることもあり、さらに性的少数者一般を指すこともある。 しかし近年は性的少数者一般を指す頭字語として、LGBTやGLBTが推奨されている。

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・・・・・・続く・・・・・・

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