探検家・冒険家 =23-①=

伝説確証への冒険家= ハインリッヒ・シュリーマン =

~ 少年時代の夢・伝説のトロイア発掘への孤独な情熱 ~

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ヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン 

Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann, (182216 – 18901226日)

 

幼少期に聞かされたギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアが実在すると考え 

実際にそれを発掘によって実在していたものと証明したドイツの考古学者、実業家

 

プロイセン王国のメクレンブルク・シュヴェリン州(現メクレンブルク=フォアポンメルン州)ノイブコウ(シュヴェリーンの近郊)生まれる。 9人兄弟で6番目の子であった。 父エルンストはプロテスタントの説教師で、母はシュリーマンが9歳のときに死去し、叔父の家に預けられ養育される。

彼の生涯を決定付け、考古学の歴史に、重要な一章を書き加えるきっかけと成った、父親から贈られた唯一のクリスマス・プレゼント時、ハインリッヒ・シュリーマンは、僅か7歳の少年だった。 その贈り物とは、挿絵の入った本で、古代ギリシアの軍勢に攻め落とされ、火炎に包まれるトロイの情景が描かれてた。

13歳でギムナジウムに入学するが、貧しかったため1836年に退学して食品会社の徒弟になる。 貧困から脱するため1841年(19歳)にベネズエラに移住を志したものの、船が難破してオランダ領の島に流れ着き、オランダの貿易商社に入社。

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  1846年にサンクトペテルブルクに商社を設立し、翌年ロシア国籍を取得している。 この時期に成功し、30歳(1852年)の時にロシア女性と結婚したが、その後になって離婚してしまった。 さらにゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州サクラメントにも商社を設立して成功を収める。 クリミア戦争に際してロシアに武器を密輸して巨万の富を得たのです。

自身の著作では、幼少のころにホメーロスの『イーリアス』に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけであるとしているが、これは功名心の高かった彼による後付けの創作である可能性が高い。

発掘当時は「トロイア戦争はホメロスの創作」と言われ、トロイアの実在も疑問視されていた、というのもシュリーマンの著作に見られる記述であるが、実際には当時もトロイアの遺跡発掘は行われており、シュリーマンの「トロイア実在説」は当時からして決して荒唐無稽なものではなかったのです。

しかし、貧しかった少年時代に心を癒し、空想の世界に逃避させてくれた父からのプレゼント この絵を見た瞬間から、シュリーマンの幼い心は激しく、直向な思いに捕らわれた。 トロイの遺跡を見つけ、疑い深い世間に、ホメロスのトロイ攻略の話が全くの真実であり、単なる詩的な空想ではない事を、証明してやろうと思ったのです。

此れは、雑貨屋の使い走りをしている、貧乏牧師の息子には、殆んど不可能な目標に見えましたが、来るべき仕事に備えて、古代ギリシア語を独学し、40歳代の初めには、仕事をやめても十分生活していけるだけの蓄財を築き上げる成功を手にしている。

その上、1869年(47歳)には、理想的な妻となる、ギリシア人の花嫁を見つけている。 彼女は、ソフィアといい、まだ10代のアテネ娘でした。

シュリーマンは職を転々としながらも商才を発揮しトロイ発掘の目標に向け蓄財し、かつ勉学にはげみ音読により文章を丸暗記する勉強法で多国語を理解し、ドイツ語のほか、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、スウェーデン語、イタリア語、ギリシア語、ラテン語、ロシア語、アラビア語、トルコ語に詳しかった。  18ヶ国語を話せたという。

Portrait of Heinrich Schliemann

=シュリーマンとソフィア夫人 夫人が身に付けている装飾品は発掘された黄金・玉宝=

=資料・イーリアス=

『イーリアス』 (Ilias) は、ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシア詩作品。

ギリシア神話を題材とし、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写する。 ギリシアの叙事詩として最古のものながら、最高のものとして考えられている。叙事詩環(叙事詩圏)を構成する八つの叙事詩のなかの一つである。

元々は口承によって伝えられてきたもので、中世日本において琵琶法師たちが『平家物語』を演じたような格好で歌われていた。 『オデュッセイア』第八歌には、パイエーケス人たちがオデュッセウスを歓迎するために開いた宴に、そのような楽人デーモドコスが登場する。オデュッセウスはデーモドコスの歌うトロイア戦争の物語に涙を禁じえず、また、自身でトロイの木馬のくだりをリクエストし、再び涙を流した。

『イーリアス』の作者とされるホメーロス自身も、そのような楽人(あるいは吟遊詩人)だった。 ホメーロスによって『イーリアス』が作られたというのは、紀元前8世紀半ば頃のことと考えられている。 『イーリアス』はその後、紀元前6世紀後半のアテナイにおいて文字化され、紀元前2世紀にアレキサンドリアにおいて、ほぼ今日の形にまとめられたとされている。

トロイア戦争; 小アジアトロイアに対して、ミュケーナイを中心とするアカイア人の遠征軍が行ったギリシア神話上の戦争である。 トロイア、あるいはトローアスという呼称は、後の時代にイーリオス一帯の地域につけられたものである。

この戦の起因は大神ゼウスが増え過ぎた人口を調節するためにテミス(秩序の女神)と試案を重ね、遂に大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めた事にある。 オリンポスでは人間の子ペーレウスティーターン族の娘テティスの婚儀が行われていたが、エリス(争いの女神)のみはこの饗宴に招待されず、怒った彼女は、最も美しい女神へ捧げると叫んで、ヘスペリデス(不死の庭園)の黄金の林檎を神々の座へ投げ入れたのです。

この供物をめぐって、殊にヘーラーアテーナーアプロディーテーの三女神による激しい対立が起り、ゼウスはこの林檎が誰にふさわしいかをトロイアの王子パリスにゆだねた。 三女神はそれぞれが最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ったが、なおかつ、ヘーラーは世界を支配する力を、アテーナーはいかなる戦争にも勝利を得る力を、アプロディーテーは最も美しい美女を、それぞれ与える約束を行った。

パリスはその若さによって富と権力を措いて愛を選び、アプロディーテーの誘いによってスパルタメネラーオスの妃ヘレネーを奪い去った。 パリスの妹でトロイアの王女カッサンドラーのみはこの事件が国を滅ぼすことになると予言したが、アポローンの呪いによって聞き入れられなかった。

メネラーオスは、兄でミュケーナイの王であるアガメムノーンにその事件を告げ、かつオデュッセウスとともにトロイアに赴いてヘレネーの引き渡しを求めた。しかし、パリスはこれを断固拒否したため、アガメムノーン、メネラーオス、オデュッセウスはヘレネー奪還とトロイア懲罰の遠征軍を組織した。 この戦争では神々も両派に分かれ、ヘーラー、アテーナー、ポセイドーンがギリシア側に、アポローン、アルテミスアレース、アプロディーテーがトロイア側に味方した。

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ボイオーティアのアウリスに集結したアガメムノーンを総大将とするアカイア軍は、総勢10万、1168隻の大艦隊であった。 アカイア人の遠征軍はトロイア近郊の浜に上陸し、アキレウスの活躍もあって、待ち構えたトロイア軍を撃退すると浜に陣を敷いた。 トロイア軍は強固な城壁を持つ市街に籠城し、両軍は海と街の中間に流れるスカマンドロス河を挟んで対峙した。

十年の時が戦う両陣営を摩耗した。 トロイアの勇将ヘクトールとアカイアの英雄アキレウスの没後、戦争は膠着状態に陥った。 しかし、アカイア方の知将オデュッセウスは、巨大な木馬を造り、その内部に兵を潜ませるという作戦を考案し、これを実行に移した。

この「トロイアの木馬」の計は、アポローンの神官ラーオコオーンと王女カッサンドラーに見抜かれたが、ラーオコオーンは海蛇に絞め殺され、カッサンドラーの予言は誰も信じることができない定めになっていたので、トロイアはこの策略にかかり、一夜で陥落した。

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・・・・・・続く・・・・・・

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