探検家・冒険家 =24-①=

近代の冒険家= ルイス・キャロル“不思議の国の住人”=

~ 謎に包まれている「ヴィクトリア朝のダンディ」 ~

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 1865年の出版以来、日本語はもちろんスワヒリ語や、ドイツ語の一方言といわれるイディッシュ語など、現在までに計65もの言語に翻訳され、英米では聖書とシェイクスピア作品に次いで読まれているという『不思議の国のアリス』。

白ウサギの後を追ってウサギの穴に飛び込み、奇妙な世界に入り込んだ少女アリスの大冒険を描いた、このおなじみの物語は、31歳の数学者キャロルが、当時「9歳の友人」、アリス・リデルにせがまれ、ボート遊びの際に語ったものを後に文章化して出版した作品といわれる。

夏の明るい日射しの中、ボート上で子供たちと楽しげに語らう青年ルイス・キャロルの罪のない姿は、伝記の中で語られる定番であるが、物語のモデルとなったとされる「9歳の友人」アリスとの関係を含め、『不思議の国のアリス』誕生のストーリーを追従すれば・・・・・・ 彼の足跡は冒険者・挑戦者のそれであった。

 改めて探ってみよう。

 ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgeson)は、1832年1月27日、ヴィクトリア女王即位を5年後に控え、英国が世界にその国力を示し始めた輝かしい時期に、イングランド北西部チェシャーのデアーズベリー(Daresbury)という、人口わずか150人の小さな村に生まれた。 緑の田園に囲まれた静かな小村が彼の故郷である。 そこの牧師館で彼は生まれ、11人兄妹の長男の荷を背負わされることになる。

※; 本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン で、作家として活動する時にルイス・キャロルのペンネームを用いた。 このペンネームは “Charles Lutwidge” をこれに対応するラテン語名 “Carolus Ludovicus” に直し、再び英語名に戻して順序を入れ替えたものです。 なお、 “Dodgson” の実際の発音は「ドジソン」ではなく「ドッドソン」に近いという説もあります。

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 ドジソン家の大半は代々聖職者か軍仕官という、当時の上層中産階級の代表的職業に従事しているが、ルイスの父親チャールズ・ドジソンもその例に漏れず、オックスフォード大学で数学と古典に親しんだ後、この地の教区で牧師を務めていた。 子沢山のドジソン一家において、キャロルは11人きょうだいの3番目の子供にあたり、またドジソン家の長男として生まれたのです。

当時のデアーズベリー、特に一家の暮らす牧師館のある辺りは陸の孤島とも呼べるほどの辺境の地で、父親がその高学歴には見合わない質素なキャリアを選んだため、大所帯のドジソン一家もまた、つましい暮らしを強いられた。

彼らは自ら野菜を育てる半自給生活を営み、子供たちの着る服はドジソン夫人の手作り。 一家のもとを訪れたある人はそれを見て、「カーテンの生地を利用したのか、子供たちは布の袋に入ってるみたいだった」と振り返っている。 だが、ここで多くのきょうだいと共に過ごす静かな生活は、終生キャロルが懐かしく思い出す幸せな日々だったようだ。

勉強は父親から学ぶホーム・スクール方式で、子供たちは皆敬虔なクリスチャンとして育てられた。 キャロルの数学に対する興味も、この時培われたといえる。 1843年、父親のチャールズ・ドジソンはヨークシャー、クロフト(Croft)のセント・ピーターズ教会への栄転が決まるが、それまでルイスはこのデアーズベリーで、まわりは肉親ばかりといういわば「無菌状態」の世界に暮らした。

父親の栄転先であるクロフトはデアーズベリーより遥かに大きな教区で、一家の暮らしも次第に楽になっていく。 11歳になっていたキャロルは、相変わらず父親の元で数学や古典の勉強に励みながらも、人形劇や芝居、手品、物語の朗読など、様々な遊びを考案しては、弟や妹たちを楽しませていたという。

この頃の経験が、キャロルが成長してから幼い子供たちと友人になる上で大いに役に立ったのではないだろうか。

1850年にはオックスフォード大学クライスト・チャーチ寮へ入学し、翌年1月に寄宿生となる。 彼が足を踏み入れたオックスフォードは、いまだ中世風の静謐さを漂わせる整然とした小さな町だったが、人々の生活の様式には、暗黙のうちに一定のリズムと規律が貫かれ、時代は大きく変わろうとしていた。

ルイスー1-1

=資料・家系=

ドジソンの一族はアイルランド系の血を含む北部イギリス人である。 保守的な英国国教徒であるドジソンの先祖の大半は、軍人か聖職者という英国の上層中産階級における2つの伝統的職業に従事していた。

ドジソンの曽祖父である同名のチャールズ・ドジソンは主教であった。 また同じく同名の祖父チャールズは陸軍大尉だった。 この祖父は1803年に、2人の息子がほとんど赤ん坊の頃、戦死した。

この息子たちの内、父の名を継いだ兄のチャールズは聖職に就き、ウェストミンスター学校からオックスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジに進んだ。 チャールズは数学に対して天賦の才能を示し、2度にわたり首席の成績を収め、大いに将来を嘱望された。 チャールズは1827年に従姉妹フランシス・ジェーン・ラトウィッジと結婚し、教区牧師となった。

若い頃のチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは、カールした茶色の髪と青い目を持ち、身長約5フィート11インチ(約180センチ)のすらっとしてハンサムな、夢見心地な表情の青年だった。17歳の終りの頃に、ドジソンは重い百日咳を患い、右耳の聴力に障害を負った。おそらくこの百日咳は、彼の後の人生における慢性的な肺の弱さの原因となった。ドジソンが成人期まで引きずった唯一の明らかな欠点は、彼自身が「ためらい(hesitation)」と名付けていた吃音癖だった。この性癖は幼少期に身につき、生涯にわたりドジソンの悩みの種となった。

吃音はキャロルを取り巻く神話の重要な一部である。ドジソンが吃音を起こしたのは大人との交際の時のみであり、子供相手には自由にすらすらと喋れたというのがキャロル神話の一つだが、この主張を裏付ける証拠は存在しない。ドジソンと面識のあった多くの大人が彼の吃音に気付かなかった一方で、多くの子供が彼の吃音を記憶している。

ドジソンの吃音は紋切り型の大人の世界への恐怖に由来するものではなく、生来のものだった。ドジソン自身は、彼が出会ったほとんどの人々よりも自分の吃音を深く気にしており、『不思議の国のアリス』においては、発音し辛い彼のラスト・ネームをもじった「ドードー」として、自分自身を戯画化している。吃音癖はしばしばドジソンに付きまとい彼を悩ませてはいたが、社交生活における他の長所を打ち消すほどひどい物ではなかった。

ドジソンは生まれつきの社交性と強い自己顕示欲を持っており、周囲の注目を引きつけ称賛されることに喜びを覚えていた。人々が社交上の技術として、彼ら自身の娯楽のための歌唱や詩の朗誦が求められていた時代、若いドジソンは魅惑的な芸人としての技術を身に備えていた。ドジソンは聴衆の前で歌うことを恐れてはおらず、それなりの歌唱力を持っていた。ドジソンは物真似と物語の達人でもあり、彼のジェスチャーゲームは好評を博していた。

ドジソンは社会的にも野心家であり、作家か画家として何らかの方法で世間に才能を示すことを切望していた。ドジソンが最終的に写真術に転向したのは、画家としての才能が不十分だと自覚したためと考えられる。あるいはドジソンの学者として成し遂げた業績は、彼が芸術の分野で達成することを望んでいた成功を、埋め合わせるためのものだった可能性も考えられる。

初期の創作と『不思議の国のアリス』の成功の間の期間に、ドジソンはラファエル前派の社交サークルに入会した。ドジソンは1857年に美術評論家ジョン・ラスキンと知り合い、親しい友人となった。ドジソンは画家ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと家族ぐるみの親密な交際を行い、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレー、アーサー・ヒューズといった画家達の知り合いでもあった。ドジソンは幻想作家のジョージ・マクドナルドとも知り合い、ドジソンが『アリス』の原稿を出版社に送る決心をしたのは、マクドナルドの娘の熱心な勧めによるものだった。

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※;亀がアキレスに言ったこと

亀がアキレスに言ったこと」(What the Tortoise Said to Achilles)は、1895年ルイス・キャロルが哲学雑誌『Mind』に書いた短い対話編。  この文章の中でキャロルによって提示された問題は現在「ルイス・キャロルのパラドックス」、または単に「キャロルのパラドックス」と呼ばれることもある。

文中で対話を行う「アキレス」と「亀」は、アキレスが決してを追い抜くことができない、という運動にかんするゼノンのパラドックスから取られている。 キャロルはこの2人の対話を通して、論理学の基礎的な問題をユーモラスに提示してみせた。

この対話において、亀はアキレスに対し「論理の力を使って自分を納得させてみろ」と吹っ掛ける。 つまり「単純な演繹からでてくる結論を私に認めさせてみろ」と言う。 しかし結局アキレスはそれができない。なぜなら、カメが論理学の基本的な推論規則に対して「なぜそうなのか?」という問いを発し続けてアキレスを無限後退に追いやるためである。

この議論はまず次のような論証を考えるところから始まる[注釈 1]

  • 前提 A: 同一のものに等しいものはお互いに等しい(ユークリッド関係)。
  • 前提 B: この三角形のこの二つの辺は同一のものに等しい。
それゆえ
  • 結論 Z: この三角形のこの二つの辺は、お互いに等しい。

ここで亀はアキレスに「この結論が前提から論理的に導かれているかどうか」を尋ねる。 するとアキレスは「明らかにそうだ」と答える。 亀は再び訊ねる。 「ユークリッド原論の読者のなかには、『前提Aと前提Bの両方がである』という事は拒否しつつ、かつ、それでも『この論証の形式自体は論理的に妥当だ』と認める者がいるのではなかろうか」と。

アキレスは「そのような読者はいるだろう」と答える。 つまり「もし前提Aと前提Bが真であるならばZも真でなければならない」とは認めつつも、「前提Aと前提Bが真である」とは認めない(つまり前提を否定する人間、論証の健全性を否定する人間)はいるだろう、と。

ここで再び亀はアキレスにこう問いかける。 「二番目の種類の読者として、『前提Aと前提Bが真である』とは認めながら、なおかつ『前提Aと前提Bがどちらも真であるならば、Zも真でなければならない』という原則については受け入れない、という者もいるのではないか?」と。

アキレスは亀に同意して「そのような者もいるだろう」と認める。 すると亀は「自分をそういう人間だと考えてくれ」とアキレスにいう。 そしてその上で、「結論Zが正しくなければならないということを受け入れざるをえないよう論理的に私を説得してみてほしい」と頼む(亀は二番目の種類の読者として、論証そのもの、推論式による結論、形式、妥当性を拒否している)。

A、B、Zをノートに書き留めたアキレスは、ならば「こういう前提を認めろ」と亀に迫る。

・・・・次節へルイスー1-19

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・・・・・・続く・・・・・・

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