探検家・冒険家 =29-①=

海洋・学術冒険家= 科学者・政治家 フリチョフ・ナンセン博士 =

~  グリーランドのスキー横断・北極点遠征 北極探検 二つの物語 ~

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  19世紀末、ノルウェーの科学者フリチョフ・ナンセンは大胆な探検を企てた。 凍てつく北極海に木造の帆船で乗り出し、あえて海氷に閉ざされることで、氷の流れを利用して北極点までたどり着こうというものだ。

だが、計画通りに事が進まないことを悟ると、ナンセンは助手をともない、船を降りた。 そして、犬ぞりで前人未到の地へと滑り出したのだ。

北欧ノルウェーの海に突き出た岬に、歴史を彩ってきた数々の船が保存、展示されている。 ここは、首都オスロの中心部から、切り立ったフィヨルドをフェリーでわずかに進んだビグドイ地区にある博物館だ。

細長い古代のヴァイキング船や19世紀に活躍した漁船、さらには古代の太平洋の航路を証明するために造られた有名なコン・ティキ号=別章にて詳細記載までが展示されていて、すべてを見るには数日かかる。

なかでも目を引くのは、海岸線のすぐそばにそびえる、ガラスと鋼鉄でできた展示棟だ。 尖った屋根の建物に入ると、天井から差し込む光を浴びて、1892年に建造された木造帆船、フラム号が静かに眠りに就いている。

ノルウェー語で「前方」を意味するフラム号は、この国の長い海事史でおそらく最も有名な船であり、極地探検を象徴する存在といえる。 現在、展示棟に保存されているフラム号を見ても、この船が極寒の海で壮絶な航海を耐え抜いたことを想像するのは難しい。

しかし、その航海は近代ノルウェーを代表する冒険談であり、100年以上が経った今も、ノルウェーの人々のアイデンティティと深くかかわっている。

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 フラム号の建造には、当時の先端技術の粋が集められた。 補強された船体は北極海の氷に閉ざされたまま、3年間も持ちこたえたほどだ。

フラム号は、それまでどんな船も到達できなかった、凍てつく極北の海の奥深くへ進んだ。危険きわまりない航海を率いたのは、聡明で物静かな科学者で探検家でもあったフリチョフ・ナンセンだ。

彼こそは、近代の極地探検のパイオニアであり、後に登場するピアリやスコット、アムンセンといった探検家たちは、ナンセンの追随者にすぎない。 彼は現在も、ノルウェーを代表する偉人として敬愛されている。

極地探検の黄金時代には、名声だけを目当てにする探検家たちが数多く現れた。 しかし、ナンセンはそんな安っぽい探検家ではなかった。 大胆な探検に挑む一方で、彼は幅広い知識を備える教養人だった。

才能ゆたかな著述家にして依頼が殺到する講演家、一流の動物学者にして高名な外交官でもあった。 少なくとも五つの言語を流暢にあやつり、写真撮影に長じ、みごとな地図や図版を制作し、さまざまな科学者と多くの書簡を交わし、その正確な知識をあらゆる探検に役立てた。

※;フラム号(Fram)とはノルウェースウェーデン=ノルウェー)の探検。  重量402トン、高さ39mの木造スクーナーで耐氷のため丸底になっているのが大きな特徴。

フリチョフ・ナンセンの指揮の下に本船を使用し北極海の海氷に閉じ込められたまま漂流するという野心的な観測探検が行われ、その観測成果からV・ヴァルフリート・エクマンが風走流理論を確立したので有名である。

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 フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen, 1861年10月10日 – 1930年5月13日)は、スウェーデン統治下のノルウェーの科学者、探検家、国際的な政治家。

ナンセンはクリスチャニア(現在のオスロ)で弁護士の子として生まれた。クリスチャニア大学に進学し、動物学を専攻。

1882年にはグリーンランド水域への最初の航海を行ない、1888年から翌年にかけてグリーンランド氷原のスキーによる横断に成功した。1893年には北極点遠征を行っている。

流氷に密閉されて漂流しながら極点に達するという計画で、特別に設計されたフラム号(後にロアール・アムンセンによって使用された、喫水線下が半円形に整形された船)に8年分の燃料と6年分の食糧を積み、12人の乗組員とともに同年6月24日にクリスチャニアを出港した。

同年9月にフラム号は予定通り流氷群につかまり漂流を始めたが、ナンセンの考えたほど北極点に近づかなかった。 フラム号がこのまま北極点に到達しないことは明白で、1895年3月にナンセンは士官のハイアラム・ヨハンセンを伴いスキーで極点を目指すこととした。

しかし旅は難航し、4月8日に北緯86度14分の地点に到達したところで残りの食糧が僅かとなり、極点到達を断念した。 彼らはゼムリャフランツァヨシファで越冬することになり、セイウチホッキョクグマの肉を食べながら1896年の夏までその場に滞在し、雪解けとともに南下を開始、運良くイギリスの探検隊に救助される。

帰国後はクリスチャニア大学の動物学および海洋学の教授として科学調査や執筆活動を行い、 ノルウェーがスウェーデンから独立を試みた1905年にノルウェー政府よりノルウェー代表に選ばれた。

対するスウェーデン側は、探検家スヴェン・ヘディンを担上げている。 こうした経緯からナンセンは、政治家としての道を歩んでいく。

1906年から1908年まで駐英ノルウェー大使としてロンドンで暮らし、 第一次世界大戦後は国際連盟の難民高等弁務官に就任。 45万人以上の捕虜の交換帰国プロジェクトを成功させ、戦争難民のために「ナンセン・パスポート」と後に呼ばれた証明書を発行するのです。

その他、ウクライナの大飢饉に苦しむウクライナ人をカナダに移住させる等、1922年に戦争難民の帰国および飢餓難民救済活動の功績が認められ、ノーベル平和賞を受賞した。

彼の業績は国連難民高等弁務官事務所に継承され、彼は難民の父と呼ばれている。

国際連盟に強くかかわり、戦勝国以外の小国が国際連盟に入れたのは彼のおかげといわれている。 多くの業績を残した彼の肖像は、ノルウェーの紙幣(旧5、10クローネ)にも描かれていた。=ウィキペディアより=

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ナンセンのフラム号による探検

ナンセンは北極海における海流の研究の際、シベリア産の流木グリーンランド東岸に漂着したり、シベリア北岸で氷圧のため破壊されたアメリカ探査船ジャネット号の遺物が三年後グリーンランド南東岸に漂着したことなどの事実から、北極海の海流がシベリア北岸からグリーンランドに流れているものと推論した。

そしてこれを実証するため氷圧によって破壊されない底が丸い特殊な形の船体をもつ船で氷に閉じ込められ、そのまま漂流すれば上記の説を実証できるとし、フラム号を建造。 船底にコルクやフェルトなどを入れて保温効果を高めるようにした。

そして13名の隊員とともに1893年6月にノルウェーを出発した。 同年の9月25日シベリア北岸沖で氷に閉じ込められ、そのまま漂流を続け北極海を横断三年後の1896年8月12日、グリーンランド海にてダイナマイトで氷を破り脱出、帰国する。

この間、ナンセンは氷上に降りて北極点到達を試みたが果たせなかった。 フラム号で行われた観測の成果は、主としてナンセンにより6巻の報告書にまとめられた。 主な発見は死水現象、風に対して海流が右偏すること、北極海流系に関するもの、などである。

フラム号のその後

1898~1902年にオットー・スヴェルドルップ指揮のカナダ北部北極海の探検に使われたり、1910~1912年にロアール・アムンセン指揮の南極探検別章にて詳細記載に使われた。

現在フラム号はノルウェー国民の誇りある歴史的記念物としてオスロフラム美術館に保存、展覧されている。甲板から船の中まで見学することができる。

※;コンティキ号(Kon-Tiki)は、ノルウェーの人類学者、トール・ヘイエルダールらによって建造されたマストとキャビンを持つ大型の筏。

南太平洋の諸島に住むポリネシア人起源について南米インカ文明とポリネシア文明との相似点が多いことから、ポリネシア人の祖先が南米から海を渡って渡来したアメリカ・インディアンである、という説があった。

ヘイエルダールらはこの説を立証するため、インカを征服したスペイン人たちが描いた図面を元にして、バルサマングローブなど、古代でも入手が容易な材料のみを用いて一隻のいかだを建造した。

図面に忠実に製作されたが、航海の終り頃まで機能がわからないパーツもあったとヘイエルダールは語っている。 例外的に設置された唯一の現代技術の産物は無線機であった。

下記の航海によって何の動力も持たない筏が、風と海流に流されてソサエティ諸島などの南太平洋の島々に漂着できる可能性を実証し、ポリネシア人の祖先がアメリカ・インディアンである「可能性」を証明した。 船名はインカ帝国太陽神ビラコチャの別名から命名された。

1947年4月28日ペルーカヤオ港より漂流を開始した。 コンティキ号はフンボルト海流にのって、ヘイエルダールらの予想通りに西進し、102日後の1947年8月7日ツアモツ諸島ラロイア環礁で座礁した。

航海した距離は4,300マイル (8千km弱) に及ぶ。

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※;下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行。

・・・・・・続く・・・・・・

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