マヤ・インカ文明 =Ⅰ- 01=

メソアメリカの古代文明 “その繁栄と崩壊”

~ 知ってるようで知らないマヤ・インカ文明 ~

マヤ文明ー00

=序文=

マヤ文明といえば、何を思い浮かべるだろうか。

謎、未開、石造ピラミッド、ジャングル、王墓、装飾品? あるいは「2012年世界滅亡」かもしれない。

最近話題にのぼることが多い終末思想は、マヤ暦と関係あると言われているが・・本当なのか

アンデス山脈の高峰に挑戦した山仲間が帰路 メキシコ南部・カアテエマ高原を訪れ、マヤ文明のとりこになった。

以来、彼は年に二度は訪れている。 そして、再三度 私を誘う。 ・・・・私はタクラマカン砂漠に美女を追い求めていたが・・・・

しかし、マヤ文明への興味は尽きない。

数十年の愛読雑誌“National-Geographic”に 一昨年来 マヤ文明に関する寄稿が多い。 英語版・日本語版を併読して また、塵積る書棚から関連書籍を引っ張り出して 当Blogに書き込んで行こう。

マヤ文明ー03

  ユカタン半島に広がる熱帯雨林や、メキシコ南部やグアテマラの高地に花開いたマヤ文明。 壮麗な都市遺跡をもつこの文明は起源を3000年前の先古典期までさかのぼり、古典期と呼ばれる西暦250~900年に最盛期を迎えたが、その後は衰退の一途をたどった。

手元のNational-Geographic英語版はシリーズ三部構成で、古典期マヤの栄枯盛衰のドラマを再現している。  第1部では、最新の研究成果をもとに古典期マヤの興隆を描く。 古典期マヤは、メキシコ中部から有力な武将がやってきた時期を境に興隆に向かい、パレンケのパカル王の翡翠の仮面のような傑作を生んだと記す。

第2部では、密林にそびえるマヤの神殿の偉容を写真で綴る。 しかし、権勢を誇った王国もいつかは滅び行く。 そして、 第3部では、天災や人災に相次いで見舞われ、密林に出現した偉大な都市文明が再び森に埋もれていくさまを描いている。

◆新説 マヤ文明その繁栄と崩壊◆

古典期の興隆 、その男がやってきたのは、乾期に入って密林の道が固まり、軍勢が通れるようになってからだった。 男は戦士たちを従えてマヤの都市ワカに入城し、神殿や市場の前を通過して、広場を堂々と横切っていった。

ワカの人々は、侵攻軍の誇示する武力に驚き、はるかかなた西方の都市国家の王権を象徴する華麗な羽の頭飾りや槍、鏡張りの盾に、目を見張ったにちがいない。

古代の碑文によると、現在のグアテマラにあった都市ワカに男が到着したのは西暦378年1月8日のことで、男は「火の誕生」を意味するシヤフ・カックと呼ばれていた。

現在のメキシコ市近くにあった強大な都市国家テオティワカンから派遣されたと考えられているシヤフ・カックの名は、その後の数十年間、マヤ地域各地で石碑に刻まれた。 この男の登場をきっかけにマヤ文明は急速に発展し、その後500年にわたる黄金時代を謳歌した。

マヤ文明ー02

マヤ文明は長い間、謎に包まれてきた。 数十年前まで研究者たちは、壮大な都市遺跡や美しい未解読の文字から、マヤは神官と書記が治める平和な国だったと考えていた。

だが、マヤ文字の解読が進むと、王朝間の戦いや宮廷内の権力闘争、宮殿の焼き討ちといった血なまぐさい歴史が浮かびあがってきた。 それでも依然として、マヤ文明が繁栄し続けた究極の理由は何かという点は大きな謎として残った。

シヤフ・カックがその勇名を馳せたころ、マヤ地域全体に大きな変化の波が広がった。 それまで外部との結びつきが薄かった各地の都市国家が、この時期を境に盛んに交流するようになり、高度な文化や芸術を残したのだ。

マヤ文明ー04

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※; テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで存在した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡。 当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。

テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。

この都市で祀られた神々は、農業文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウトリケ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。

古代都市に固有の城壁が存在しないことから戦争や圧政のない平和都市と考えられていたが、近年の発掘調査の結果から、多数の殉教者、生け贄を捧げる風習が存在したことが判明し、戦士の壁画も発見されている。

社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。市内には職人の地区が設けられ、盛んな商業交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった。

太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックをおもわせる七つの洞穴が枝状につながる洞窟があったため、都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。

紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。 都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。

しかしながら人口の集中に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、やがて滅びを迎えた。 メソアメリカの中心的都市として機能していた。

テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。 古代都市テオティワカンとして、1987年世界遺産(文化遺産)に登録されている。

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マヤ文明ー05

※;下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行。

・・・・・・続く・・・・・・

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