マヤ・インカ文明 =Ⅰ- 16

メソアメリカの古代文明 “その繁栄と崩壊”

~ 知ってるようで知らないマヤ・インカ文明 ~

マヤ文明ー30

アステカ人の食生活をスケッチして アステカ帝国・アステカ文明の興亡に筆を進めましょう・・・・

食生活を記す前に、人身御供の風習から筆を起こそう。

アステカ人は「太陽の不滅」を祈って、人間の新鮮な心臓神殿に捧げた。 ほかに豊穣、雨乞いを祈願して、捧げられることもあった。 しかしその一方では、これら生贄に捧げられる事が社会的にも名誉であると考えられていたとされ、球技によって勝ったチームが人身御供に供されるといった風習も在った模様である。=前節にて記載・遺跡等参照=

生贄は石の台にのせられ四肢を押さえつけられ、生きたまま黒曜石のナイフで心臓をえぐり取られたとされる。 生贄の多くは戦争捕虜で、生贄獲得のための花戦争も行われた。 選ばれた者が生贄になることもあり、幼児や少年・少女などが神に捧げられることがあった。 ただ、一説によればアステカはこのような儀式を毎月おこなったために生産力が慢性的に低下し、社会が弱体化、衰退したとも言われている。

インカでも、同種の太陽信仰に絡む人身御供を行う風習があったが、これらの生贄は社会制度によって各村々から募集され、国によって保護されて、神への供物として一定年齢に達するまで大切に育てられていたという。 なおこれらの人々は旱魃(かんばつ)や飢饉などの際には供物として装飾品に身を包んで泉に投げ込まれるなりして殺された訳だが、そのような問題が無い場合には生き延び、一定年齢に達して一般の社会に戻った人も在ったという。

ちなみにマヤ文明遺跡で有名なククルカンの神殿と聖なる泉(セリーネ)は、干ばつになった時の生け贄の儀式と関係があった。 日照りは雨の神ユムチャクの怒りによるものだと考えられていたため、14歳の美しい処女を選び、少女は美しい花嫁衣裳を身にまとい、儀式の後、聖なる泉に生け贄を護衛するための若者が飛び込み、その後貢物も投げ込まれていた。

その一方で、アステカ同様に少年・少女が捧げられる事もあった。 この場合には、やはり特別に募集され育てられていた少年・少女は、より神に近いとされる高山にまで連れて行き、コカの葉を与えて眠らせた後に、頭を砕いて山頂に埋められた。 特にこれらの生贄では、装飾された衣服に包まれたミイラも発見されている。

マヤ文明ー83

 メソアメリカ・アステカ文明での主要な食料はトウモロコシである。 それは東アジアにおける稲やヨーロッパの小麦と同じく、アステカの精神世界においても重要な位置を占めていた。

トウモロコシはトルティーヤ(薄焼きパン)やタマル(蒸し団子)、粥に加工され、主食となった。 トウモロコシ製品と、塩、チレ(トウガラシ)が食の基本であり、断食の儀礼の際は塩とチレの摂取が禁じられた。

トウモロコシや塩以外の重要な食素材は、インゲンマメとアマランサスである。

また、トウモロコシを石灰水で煮込んでから調理することで食感と栄養価を高め、さらに豆類の料理を付け合せることでトウモロコシ食で不足しがちなビタミンを補い、ペラグラ(代謝内分泌疾患)を予防していた。

水とトウモロコシの薄粥、そしてリュウゼツランの汁を醗酵させた酒プルケが、アステカにおける一般的な飲み物である。 さらに蜂蜜、サボテンや果物の汁を醗酵させた飲料も存在した。

その一方で社会的階級の高いものはプルケを避け、カカオから作られる飲料を口にすることを誇りとし、 カカオの飲料「ショコラトル」は王族、貴族、戦士のみが飲用を許される贅沢品であった。 トウガラシ、蜂蜜、香辛料、バニラなどで味付けされていたと言う。

食用の動物は七面鳥などの家禽、ホリネズミ、グリーンイグアナ、メキシコサラマンダー、海老、魚さらに昆虫類やその卵など多種多様である。

野菜類ではカボチャが好まれ、種も煎って食用にした。 トマトは今日栽培されているものとは異なる品種が食され、トウガラシと混ぜてソースにするか、トウモロコシとともにタマルの詰め物にされた。

キノコ類も好まれ、トウモロコシ黒穂病に侵されたトウモロコシに育つ菌までも「珍味」として珍重したようです。

マヤ文明ー71

日々の食事 ; アステカ社会の食事は一日に2度だったが、肉体労働者は夜明け・午前9時頃・午後、と1日に3食を摂っていた。 これは近代ヨーロッパの食事形式とよく似ている。

宴会 ; アステカでは、儀礼や祭事に伴って宴会が行われていた。 その宴の有様は、詳細に残された記録で伺うことができる。 まず宴に招かれた客人は、使用人たちから煙草と花束を渡され、これで自身の首筋や腕を拭う。 宴の開幕に伴い、ご馳走の一部を地面に落とすことで神に捧げる。 軍事国家のアステカでは戦士の社会的地位が高かったため、テーブルマナーは戦士の行いに従ったものだった。

例えば、喫煙用のパイプや花は使用人の左手から客人の右手に手渡され、盆は右手から左手に手渡された。 これは戦士がアトラトル(槍投げ器)や矢、縦を受け渡す際のしきたりと同じものだった。 花は受け渡す手が右か左かで名称が異なる。 ”剣の花”は右手から左手に手渡され、”楯の花”は左手から右手へと渡る。

食べる際、客人は右手にソースを満たした小鉢を持ち、左手で持つトルティーヤやタマルを浸して食べる。 ショコラトル(カカオの飲料)は、ヒョウタンの器に入れられ、かき混ぜるための棒を添えて提供される。 また、チョコレートの飲用は男性にのみ許され、女性はポソリ(粥の一種)かプルケを飲用した。

そして、裕福な者が開く宴会では、主催者は中庭を囲む小部屋に客人を留める習慣を厳守したと言う。

皆が見守る中庭で、上級軍人が舞い躍る。  深夜に一部の客人はチョコレートとマジックマッシュルームを服用し、幻惑の酩酊状態の中で見た幻を他の人々に語った。 夜明け前に至って客は歌を提供し、捧げものを焼き、あるいは中庭に埋めることで主催者とその子供の幸運を祈る。 朝を迎えて宴はお開きになり、花と葉巻、その他食物は老人や貧者、招待客、そして雇い人に分け与えられる。

=アステカ人の精神世界では、万物には2面性があり、人はその中庸を生きるべきだとされた。 宴会もこの思想の元に執り行われていたようす。=

マヤ文明ー31

調理法 ; トウモロコシをすり潰す臼「メタテ」。 鉄器の存在しないアステカ文明では、調理器具の全てが石器か土器だった。 基本的な調理器具は鞍型臼「メタテ」と、持ち手が2つある土鍋xoctliである。

メタテで石灰処理したトウモロコシをすり潰し、土鍋で煮るか蒸すかする。 トウモロコシの団子「タマル」は蓋付きの土鍋を使って蒸し上げた。 トルティーヤ、タマル、煮込みやソース類がアステカ料理の基本的なレパートリーである。

食事の基本はMolcajete(すり鉢)で塩とトウガラシを搗き混ぜ、水を加えて作るソースを添えたトルティーヤである。 また、トウモロコシの生地で七面鳥の肉を包んで調理することも行われていた。 =アステカの都市では市が開かれ、素材と共に様々な料理も売られ、喉の渇きを癒すものとして粥の屋台に人気があったと記録が残っている。=

食素材 ; スピルリナは、湖で生育する藍藻の一種であり、網で掬って採集し、調味料の一種として利用する。 アステカの主食はトウモロコシ、豆、カボチャである。

藍藻のスピルリナはトルティーヤに塗って食べるほか、固めて乾燥保存する。 アステカの食生活は植物質の素材が多いが、タンパク質を補給するためバッタ、リュウゼツランにつく芋虫、なども口にしていた。 =この昆虫食は、現代メキシコにも受け継がれている。=

副食や調味料としてトウガラシ、トマト、さらにテスココ湖で水揚げされるザリガニ、小エビ。

穀物 ; トウモロコシは、アステカの全ての階層における重要な主食であると共に、精神的な意味でも大きな意味を持つ穀物である。 アステカ人は、接触したヨーロッパ人に対してトウモロコシを”我らの肉であり、骨である”と説明している。 トウモロコシには一般的な黄色いもの以外に、赤、黒、白、さらに穂や穀粒の大きさで様々な品種に分類される。 この中では白トウモロコシが最も貴重な品種で、一般の人の口には入らなかった。

トウモロコシを鍋で煮込む際、かならず息を吹きかける。 これは、トウモロコシに火を恐れさせないためのまじないであると言う。 トルティーヤやタマルの原料となるトウモロコシは石灰水に漬けるか煮込むか してからすり潰す。

乾燥したトウモロコシの粒はアルカリ性の石灰水に漬け込むことですり潰しやすくなり、さらに炭水化物が大半を占めるトウモロコシに、カルシウム、鉄分、銅、亜鉛が新たな栄養素として加わる。 更には、元来トウモロコシに含まれているものの、人間には消化吸収できないタンパク質やナイアシン、リボフラビンなどが摂取可能にする上、マイコトキシン(有毒な菌類)の成長を抑えるなど、人間の食生活に取ってまことに有益である。 =この作業は現在メキシコにも伝承され、行程を経たトウモロコシ生地をマサと呼ぶ。=

香辛料 ; 燻製トウガラシ・チポトレ。  アステカ料理では、多数の香辛料や香草が使用された。 最も重要な香辛料・トウガラシは栽培種や野生種など多種多様であり、カプサイシンの含有量に応じて様々な辛さを持つ。 トウガラシは生で使うほか、保存用に乾燥させるか、あるいは燻製にする。 =因みに、スペインによるアメリカ大陸の植民地化を経て、トウガラシは旧大陸にも伝播した。 強烈な辛さとともに温帯で簡単に栽培できる利点をもって、現在では世界中に伝播している。=

ネッラの皮はシナモンに似て、なおかつ繊細で柔らかい香を有することから、現在でも「白シナモン」としてメキシコ料理に使用される。 アメリカ大陸にタマネギやニンニクは存在しなかったものの、アステカ人はネギ属に類する野生植物を薬味として用いた。 その他、メスキート、バニラ、ベニノキ、エパソーテ、hoja santa、アボカドの葉など、様々な自生植物が食用や香料、嗜好品として利用されていた。

マヤ文明ー32

飲料 ; アステカでは、トウモロコシ、蜂蜜、パイナップル、サボテンの実など様々な素材からアルコール飲料が作られていたが、最も一般的な酒はオクトリである。 これは、リュウゼツランの花芽を切り取った際に滲み出す蜜水を自然発酵させて作るアルコール度数の弱い酒で、現在ではアンティル諸島での名称プルケの名で知られている。

オクトリの飲用は上流階級から見下げられていたものの、実際にはすべての階層で飲まれていた。 しかし泥酔して醜態を晒した者に対する罰則は厳しく、平民の場合は髪を切り落とされ、住居は破壊と略奪に任せられる。 上流階級に対する泥酔の罪は一層厳しく、貴族は初犯でも死刑に処された。

上流階級がチョコレート飲料を好んだのは、泥酔の罪を犯さないための自衛策でもある。 その一方で、高齢者は泥酔してもある程度は大目に見られていた。 深酒に厳罰を処したアステカ社会でも、酒に溺れ身体を損なう者、身を持ち崩す貴族は後を絶たなかった。

宣教師のサアグンは、8000人を指揮するアステカ軍司令官が落ちぶれた例を挙げている  =彼は敷地を全て飲み干し、すべて売り払ってしまった。 かつての勇敢な戦士、偉大な戦士、そして偉大な貴族。 それが今では流浪の道端で下品にも酔いつぶれ、汚物にまみれている=

最後にカニバリズム( cannibalism)について述べておこう。 上図のようにアステカ人は人肉嗜食・アントロポファジーがあった。  社会的制度的に認められた慣習や風習であった。

対象の肉を摂取することにより、自らに特別な効果または栄誉が得られると信じられている場合がある。 しばしばその社会の宗教観、特にトーテミズムと密接に関係しており、食文化というよりも文化人類学民俗学に属する議題であるのだが、自分の仲間を食べる族内食人と、自分達の敵を食べる族外食人に大別される慣習であった。

族内食人の場合には、死者への愛着から魂を受け継ぐという儀式的意味合いがあるとされる。 すなわち、親族や知人たちが死者を食べることにより、魂や肉体を分割して受け継ぐことができるという考えである。 すべての肉体を土葬火葬にしてしまうと、現世に何も残らなくなるため、これを惜しんでの行いと見ることができる。 =日本に残る「骨噛み」は、このような意味合いを含む風習と考えられる。=

族外食人の場合には、復讐等憎悪の感情が込められた行為であろう。 また 族内食人同様、被食者の力を自身に取り込もうとする意図もあったようだ。  更に、死者の血肉が強壮剤や媚薬になるとする考えもあったのであろう。 =このカニバリズムは欧州はじめ世界中に見られ、これは族内食人の一環として説明する研究者もいる。=

生贄の儀式・人身御供の風習ともどもアステカ人は神々と共に生活していたのだ。

マヤ文明ー84

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・・・・・・続く・・・・・・

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