マヤ・インカ文明 =Ⅰ- 47

メソアメリカの古代文明  =文明・文字と伝承=

~ 知ってるようで知らないマヤ・インカ文明 ~

インカー50-

“太陽の神話” が糧の民=アンデスに生きる=

紀元前1000年の頃、ペルー中部高地にチャビン文化が広がる。  南アメリカ大陸で確証された最古の文明と言われ、紀元前200年頃まで栄えたようである。 その後、北海岸のモチェ文化、南海岸のナスカ文化(紀元前後から800年頃まで)、チチカカ湖周辺のティワナコ文化などがおこり、このティワナコの影響を受けたワリ文化が、5世紀から10世紀頃アンデス地域一帯に広がった。

ワリの後、北海岸のチムーのほかさまざまな文化が存在していましたが、15世紀に、インカがそれらを征服し、アンデス史上最大の帝国を作り上げるのです。  これらの遺跡はほぼすべて、現在のペルー・ボリビア国内にあるのですが、アンデス文明はと一括して、1532年のスペイン人(白人)によるインカ帝国征服までの概要を俯瞰してみる。

紀元頃、ペルー北海岸、現在のトルヒーリョ市周辺にモチェ文化が、現在のナスカ市周辺にナスカ文化が興る。  これら海岸地帯では灌漑水路が発達していた。 日本ペルーでは、この時期を地方発展期、アメリカ合衆国の編年では前期中間期と呼んでいるのですが、明確なアンデス文明の開花と言って良い。

そして、山間部で、紀元700年頃になるとワリ文化が発達する。 都市的な様相をなす建造物群が各地に造られた。 ワリアンデス中にテラス状の段々畑(アンデネス)を広げたと言われている。  この時期、「正面を向いた神」と「首級を持つ翼のある神」といったモチーフが土器や織物を媒体にして、ペルー領域に広まった。

これらの神のモチーフ図像がボリビアティワナク文化の図像と類似していたため、かつては「海岸ティアワナコ」あるいは「ティワナコイデ(類ティアワナコ)」と呼ばれていた。しかし、現在では、これらの図像はワリ文化独特の意匠で ティワナク文化と区別されている。

また、現在のボリビアの高原地帯では、紀元前後頃から紀元400年頃にかけてティワナク文化が興り、紀元1100~1200年頃まで続く。

このワリが広がり、ティワナクと共存していた時期を、ペルーではワリ期、アメリカ合衆国の編年では中期ホライズンとよぶ。 日本ではペルーの研究者の影響でワリ期を用いる概説書が多いが、それでも「中期ホライズン」を併記したり、「ワリ帝国説」を否定する意味を込めて「中期ホライズン」を使う研究者もいる。

Silhouette of a man on a ridgeline with a big pyramid shaped mountain in the background.

その後、ペルーの北海岸では、8世紀頃からラ=レチェ川流域にシカン文化、9世紀後半頃からモチェ川流域トルヒーヨ市周辺にチムー王国が興る。 チムー王国は14世紀頃までにシカンの国家を併合した。 また、ペルー中央海岸地帯、現在のリマ市北方のチャンカイ谷では人型を模した素焼きの土器で有名なチャンカイ文化が花開く。

さらに、遅くとも10世紀頃にはリマ近郊のルリンにあるパチャカマ神殿を中心とするパチャカマ文化が花開く。パチャカマ神殿の起源はさらにさかのぼることが分かっている。

ティティカカ湖沿岸では、ティワナク社会が崩壊した後、アイマラ族による諸王国が鼎立し、覇を争うようになる。 中でも、ティティカカ湖北岸のコリャ(Colla)と、ティティカカ湖南西岸のルパカ(Lupaca)は強力で、互いに覇を争っていた。

インカはこの争いを利用して、両者を征服、さらにティティカカ湖南岸のパカヘ(Paqaje)なども征服し、1470年ころまでにティティカカ湖沿岸を平定する。 しかしながら、インカ帝国内においても、この地域には特権が与えられていたことが、スペイン人征服者による記録文書に記されている。

この時代は、一般的な傾向として、ペルーでは地方王国期、アメリカ合衆国の編年では後期中間期、日本では両者を用いることがある。

最後に、ペルー南部の山間部にあるクスコ盆地インカが興り、15世紀前半から急速に勢力を拡大して各地を征服し、15世紀後半にはチムー王国を屈服させ、アンデス一帯に広がるインカ帝国を成立させる。

最後の先住民国家 -インカ帝国-

諸王国をまとめる形で最終的に、インカ帝国が誕生する。 その領土は、北は現在のコロンビア南部から、南はチリのサンティアゴまでにわたるアンデス文明圏のほぼ全域を押さえた最後の先住民国家であった。首都はクスコにあった。

インカはこれまでのアンデス文明の集大成とも呼べるものであり、インカ独自に開発したものよりも、むしろそれまでの技術を継承して発達させた部分が多い。

たとえば、キープと呼ばれる結縄(縄の結び目で数などを表す)やアンデネス段々畑)、道路網などはワリ期にさかのぼるといわれ、壮大な石造建築技術はティワナクやワリに、金の鋳造技術はシカンからチムーを経てインカへ受け継がれている。

驚くべき事に、現在、クスコやペルー南部で多く見られる精巧な作りのアンデネスのほとんどはインカ時代のものであり、また、道路網もインカ期に整備されたものが多い。

終焉

1532年、わずかの兵隊と火器でもって、スペイン人によるインカ帝国の征服が行われる。 その後、先住民たちによって何度も抵抗が試みられたものの、最終的に完全に征服され、ここに1万年以上続いたモンゴロイドのみによって発達してきたアンデス文明は終焉を迎えた。

新大陸の文明は、旧大陸のそれとまったく異なり、独自に発達してきた文明である。 マヤやインカが独力で築き上げてきたその文明の成り立ちは、人類の歴史におけるいわば壮大な実験でもあった。 また、旧大陸の文明と比べ、かなり特色を持つが、王や皇帝を頂点とするピラミッド型の社会構造を持つという点で、メソアメリカ・アンデス文明は旧大陸の文明と似た様相も持っていた。

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さて、アンデス文明の中心地帯は、主に 海岸部、山間盆地、高原地帯に分かれる。 山間部と高原地帯は一緒に扱われることも多く、そのアンデス文明は大きな特徴としては次の7点が挙げられる。

  1. 文字を持たない。 これは、旧大陸の四大文明や新大陸のメソアメリカ文明とは異なる最も大きな特徴である。代わりに縄の結び目で情報を記録するキープというものがあった。
  2. 青銅器段階。 鉄を製造しなかった。また、利器として青銅はほとんど利用されることはなく、実際には新石器段階に近かった。
  3. の鋳造が発達していた。 これらの製品は、そのほとんどがスペイン人によって溶かされインゴットになってスペイン本国へ運ばれていった。
  4. 家畜飼育が行われていた。 ラクダ科動物のリャマが荷運び用の駄獣として、アルパカが毛を利用するために、また食用としてテンジクネズミ(クイ)が飼育されていた。しかしながら、旧大陸のそれとは異なり、ラクダ科動物の乳の利用(ラクダ科動物は乳が少ないため)はなかった。
  5. 車輪の原理を知らなかった。 駄獣はいたがこの原理を知らなかったため、戦車や荷車などは発達しなかった。
  6. 塊茎類を主な食料基盤とする。 アンデス文明では、塊茎類(ジャガイモオカマシュアイサーニョ)、サツマイモマニオク(キャッサバ)、アチーラなど)を食用資源として主に栽培していた。

世界の四大文明メソアメリカ文明穀物を主要食料基盤として発展したのに対し、アンデス文明では、穀物の主要食料源としての価値は低く、穀物資源を主な食基盤とした文明ではなかった。 穀物では、トウモロコシが、一部は食用されてはいた可能性はあるが、スペイン人の記録文書などから、主に、チチャと呼ばれる「酒の原料」として利用されていたことが確認されており、食用ではなかったと言われている。

考古遺物からもチチャを飲むために利用したと言われているコップや貯蔵していたといわれているカメなどからトウモロコシのかすと思われる残滓が検出されているという。 このほか、キヌアなどの雑穀やマメ類などの利用も高原地帯で見られた。

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ただ、海岸地帯では、古い時期から魚介類も多く利用されていた。 そのため、一部の研究者は、海岸のアンデス文明の曙には、魚介類を主要食糧基盤とする説もある。だが、最近では、漁労が生業として他から独立していたというモデルへは、反論が多く、実際に、現段階でもっとも古い遺跡であるペルーの首都リマ北方にあるカラル遺跡(BC3000-BC1800:世界遺産)では、農耕と組み合わせが主張されている。 

実際に、塊茎類ほど食用作物として、アンデス地域全体に広がった作物は少なく、その意味ではアンデス文明を底辺で支えた最も重要な食料基盤であった。 同じく、トウモロコシもアンデス中に広がったが、これは食用ではなく酒(チチャ)の原料として広がった経緯があり、厳密には「食料基盤」とはいえない。

  7. アンデス特有の生態学的環境と文化・文明の発展に深い関係が見られる。

生態学的環境=上記載図参照=とのかかわりが非常に強く、また複雑に結びついている。 他の旧大陸の文明がすべて大河沿いに発展してきたのに対して、アンデスでは、山間部や高原地帯の果たした役割が非常に大きい。

ただし、実際には、海岸の河川沿い、山間盆地、高原地帯といったまったく異なる生態学的環境で、互いに交流を持ちながらも、それぞれが独自の文化を発展させ、総体としてアンデス文明を発展させてきた。 山間盆地や高原地帯で見られる独特の環境利用法については、国家規模の社会の成立過程に大きく寄与したのではないかという説(垂直統御説)もある。 

このほか、アイリュ(またはアイユAyllu)と呼ばれる地縁・血縁組織の存在、双分制、トウモロコシ酒チチャの利用、コカの葉などを利用した儀礼などもアンデス文明圏、特に山間盆地や高原地帯で見られた特徴である。

また、チリ北部からペルー南部には硝石が豊富にあるが火薬の製造も行われなかった。 鉄鉱石が豊富な地域が多いが鉄の鍛造は行われることはなく、武具もあまり発達せず、石製の棍棒や弓矢程度であった。  一方で、棍棒の武器によるものであろうか、陥没した頭蓋に対して、脳外科手術を行い血腫などを取り除く技術が存在していた。

形成期といわれる紀元前の社会の遺跡から見つかった頭骨の中には、陥没した痕が治癒していることを示すものがある。 これは、頭蓋が陥没したあとも生き延びたことを示している。 これらの外科的手術は、儀礼的な面から発達した可能性も否定できない。 アンデスに自生するコカが麻酔として利用されていたという。 さらに世界最古の免震装置であるシクラが発見されている。

アンデス文明の中心は、およそ2ヶ所あるともいわれ、その2ヶ所に人口も集中していたといわれている。 ひとつが、現在のペルー共和国トルヒーヨ市周辺の北海岸地帯、もうひとつがペルー共和国南部からボリビア多民族国北部にあるティティカカ湖盆地一帯といわれる。

しかしながら、文明の勃興期(形成期)には、中央海岸地帯にも盛んに大規模建造物が建てられたり、また、中期ホライズン(ワリ期:後述)やインカ帝国は、ティティカカ湖沿岸の文化と深い関係を持つものの、中央あるいは南部山間盆地から興っている。

そのため、2つの中心という観点は、あくまでも仮説の段階にある。

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・・・・・・続く・・・・・・

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