円仁、求法巡礼 -06―

曼荼羅

“会昌の廃仏”事件に遭遇した円仁は旅行記『入唐求法巡礼行記』に綴る、宗教弾圧は会昌5年以前から始まっており、宮中では会昌2年(842年)に宰相李徳裕が強大化し続けている僧院の管理を提言し、私度僧や年少僧の追放令が出された。 会昌3年(843年)に仏教保護者であった宦官の仇士良が死去し、長安では寺院からの僧尼の外出禁止令、城内での還俗などが行なわれており、外国僧も外出制限を受けている。 僧尼の還俗数は長安だけでも3591人も及んだ。 1月28日、外国僧は軍衛に集められ、その数南インド人5人、北インド人、セイロン人、クチャ人それぞれ1人、そして日本人3人など、総勢21人であった。 7月24日、弟子の惟暁が長い病の後亡くなる。 8月13日、帰国の許可を求める。 12月、円載の弟子僧2人が新羅人通訳の劉慎言の手配で、日本に帰航したという手紙を受ける。

翌年844年の3月の記載、武宗の宗教観について彼は「ひとえに道教を信じて仏法をにくむ。 僧の姿を見ることを喜ばず、仏法僧三宝の教えを聞きたがらない……経文を焼き、仏像を破壊し、多くの僧を宮中から追い出して、めいめいが帰属する寺に帰してしまった。 そして、道場内には道教の天尊と老子の像を安置し、道士に命じて道教の経典を読ませ、道教の術を修練させている」と述べている。 さらに、7月15日には「全国の山林寺院、普通院(巡礼者のための宿泊所)、仏堂、公共の井戸、村の供養堂などで200間未満のものと、公的に登録されていない寺は破壊し、そこに属する僧や尼僧らはすべて強制的に還俗させて雑役に充てよ」という勅がくだったとも記載。

845(承和12)年に入っても、武宗の仏教迫害は衰えない。 すでに、円仁たちは帰国願いを、841(承和8)年から100余回にわたって仏教迫害担当の功徳使(!?、宗教長官)に出していたが、それが許可されない。 すでに、外国僧に対する身元調べや呼び出しが行われていたが、遂に勅がおり、「[尚書省礼部]祠部の証明書を持っていなれば、[国内僧と]同様に強制的に還俗させて、駅次ぎに出身国に帰せ」、「それに従わないものは死刑」ということになった。

円仁が寄住する資聖寺には証明書を持っていないものが、彼らを含め39人もいた。 武宗は、会昌6年(846年)に丹薬の飲み過ぎで体調を崩し33歳で崩御し、弾圧は収束するも・・・・・・・

徹底されていたこの廃仏においても、長安・洛陽の二京には4ヶ寺を残し、各州の州都にも1寺ずつ残している。 州の場合、大中小の3等級によって、各20人・10人・5人の僧を残した。 その他、武宗の権威が及ばないいわゆる河朔三鎮の節度使の支配地域では、節度使たちが熱心な仏教信者であったこともあって、廃仏が行なわれることはなかったという。

また、モンゴル高原のウイグル、チベットの吐蕃などの分裂が起こっており、対外勢力の動揺もこの政治的弾圧を後押ししたと考えられる。

 

三武一宗の法難;中国で仏教を弾圧した事件の中で、規模も大きく、また後世への影響力も大きかった4人の皇帝による廃仏事件のことである。 各皇帝の廟号や諡号をとってこう呼ばれている。 北魏の太武帝と唐の武宗とは、道教を保護する一方で仏教を弾圧したが、北周の武帝は、道教も仏教もともに弾圧した。 その一方で、通道観という施設を新設し、仏教・道教を研究させている。 唐の武宗の仏教弾圧については、その元号をとって会昌の廃仏と呼ばれる。

弾圧政策の具体的内容は、寺院の破壊と財産の没収、僧の還俗であり、特に後周の世宗の場合は純粋に、寺院の財産を没収するとともに、国家の公認した度僧制度によらず勝手に得度した者(私度僧)や、脱税目的で僧籍を取る者(偽濫僧)を還俗させて税を課そうとする、財政改善を狙った経済政策であった。 銅(貨幣の材料)や鉄(武器の材料)という金属を中心とした物資を仏寺中の仏像や梵鐘などから得ることも、当時の情勢(唐の武宗時代の銅銭不足による経済混乱)からして、差し迫った問題であった。

揚州

・ 《会昌の廃仏》で混乱の長安脱出、楚州から登州へ・・・・

当時の長安の情勢は、唐の衰退等も相まって騒然としていた。 民族混乱の長安 治安の悪化 強制強権的な僧尼の還俗 不審火も相次いでいた。 寄住する資聖寺に於いて 円仁たちは世俗の姿と還装して、旅支度に取りかかる。 曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰らねばならない。 その為 長安の街を夜半に発ったが、夜にも関わらず多くの長安住人の送別を受けている。 送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁の長安暮らしを支えた長安在留の新羅人達が主であった。 餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた。

会昌6年(846年)5月15日 旧知の人々に見送られて、円仁たちは長安を出る。 ただ、大理卿(司法長官)楊敬之の紹介状があったため丁重に扱われ、卞州(現、開封)、泗州、揚州を経て、45日間 歩き続けた後の7月3日 楚州に着いている。 円仁のこの旅程は割愛するが、以降・・・・・

楚州では、「まず、新羅坊(新羅人街)に行って、惣管(総管、居留民団長)でこの州の同十将(駐屯部隊下級将校)の薛詮と新羅人通訳の劉慎言に会った。 2人はわれわれを迎えて親切にねぎらってくれた」。 彼らは「日本国の朝貢使は帰国の際、皆ここから船に乗って大海を渡り、日本に帰りました。円仁らは駅次ぎに送られて、長安からここに来ました。 帰国するにはどうか、ここから大海を渡らせていただきたい」と申し述べ、また「劉慎言は自ら県の役所に行き、賄賂を使って、この件がうまくいくよう計画をめぐらした」が、県知事から了承をえられなかった、と綴る。

 

7月3日楚州を出発し、新羅人のつてをたどりながら、海州、密州を経て、8月16日登州(山東省)に着く。 さらに、登州の文登県に移動している。 円仁『入唐求法巡礼行記』には、「我らは 山を越え野を渡って衣服はぼろぼろに破れ使い果たした。 県の役所に行き県令(県の長官)に会い、『当県の東端にある勾当新羅所(青寧郷にある新羅居留民の世話所)に行って、食べ物を求め乞うてただ命を延べつなぎ、その間に自ら舟を求めて日本国に帰らしてほしい』と請願した」という ぼろぼろに困窮した状態に 今や 陥っていた。

「登州は大唐の最も東北の涯の地域である。 北海に突き出し海に臨んで州城[蓬莱城か]が設けられ……都から遠く離れたところであったが、勅令による法規によって僧尼を強制還俗させ寺院を破壊し、経の所持を禁じ、仏像をこわし、寺の所有物を官に没収することは 長安の都と何ら変わるところがない。 まして仏像の上についている金を剥ぎ取り、銅鉄仏を打ち砕いて、その目方をはかるとはまさに何ともしがたい痛ましいことである。 天下の銅鉄の仏、金の仏はどれほど数に限りのある貴重なものかわかっているのに 勅に従ってすべて破壌し尽くしてただの金屑にしてしまった」と混迷を極める唐土を嘆いている。

長安を出発して45日で楚州に辿り着き、直ちの楚州出発後 43日を費やして登州(山東省)に至っている。 長安以降 混乱する街道をひたすら歩き通し 歩くこと107日間、山東半島の新羅人の町・赤山まで戻っている。

なお、会昌の廃仏は仏教教団の腐敗や堕落を糾弾し、脱税目的で僧尼になったり寺に入ることを取締る廃仏運動であった。 また 仏教と共に、長安を中心に盛んであった「唐代三夷教」(マニ教・ゾロアスター教・ネストリウス派キリスト教)も排斥された。 そのもとで県ごとに数寺が残されたが、廃寺は4600寺、還俗者は26万人に及んだとされる。 しかし、モンゴル高原のウイグル、チベットの吐蕃などの分裂が起こっており、対外勢力の動揺も宗教弾圧を後押ししたと考えられている。 その結果、唐王朝の崩落に拍車がかかる。

開封※  会昌の廃仏; 「会昌」は、その時の年号。 開成5年(840年)に即位した武宗は道教に傾斜して宮中に道士を入れ、道教保護の一方で教団が肥大化していた仏教や、景教などの外来宗教に対する弾圧を行なう。 弾圧は会昌5年(845年)4月から8月まで行われ、7月には武宗によって詔が下され、寺院4,600ヶ所余り、招提・蘭若40,000ヶ所余りが廃止され、還俗させられた僧尼は260,500人、没収寺田は数千万頃、寺の奴婢を民に編入した数が150,000人という。 しかし、長安・洛陽の二京には4ヶ寺を残し 各州の州都にも1寺ずつ残している。 州の場合、大中小の3等級によって、各20人・10人・5人の僧を残した。 その他、武宗の権威が及ばないいわゆる河朔三鎮の節度使の支配地域では、節度使たちが熱心な仏教信者であったこともあって、廃仏が行なわれることはなかったという。

・・・・・・・続く

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