小説・耶律大石 第一章(06)

陰山山脈

 足元の荒れ地は赤褐色の表土より 黄色をました礫沙の沙漠と変わり、その先に黒色の陰山が屛風のように 横たわる。

東西が一望でき、視界を遮る一物は無い。 黄河北端の河原、堆積する大小の石 河原は広く、堤らしき起伏は無い。 ただ、樹木の列がその境界を示している。 樹木帯は幅狭く下草が茂るも、背丈のある草は枯れだしていた。

三日前から 耶律楚詞はこの場所にいた。 東に流れていた黄河が気ままに広い河原を蛇行しながら、気が付けば南に向きを変える屈点近くである。 遊牧民はこの地には居ないが 東方からの奇人の姿はないかと 大同を離れてから情報を集めつつ、この地に至り、野営している。 1123年秋 10月中旬の事である。 降りそそぐ星が 連夜の孤独を慰めてくれた。 が、夜半は零度近くに下がり、楚詞は流木の焚火を絶やさなかった。 その弱々しく寒気を防ぐ炎も彼を慰めてくれた。

仮営は六日を過ぎた翌日の昼下がり 陽光は弱く四辺を照らす。 遠望する陰山の山服は灰色の影を這わせ、縦縞を刻んでいる。 何時もの場所 巨木の幹に腰を下ろして、楚詞は自問していた。

≪二日も この河原を西走すれば五原、 五原に入れば祖父には会える・・・・・・・≫              ≪が、このままでは、王庭の門は潜れぬ ≫           ≪耶律さまは 必ずこの地を通るはず、 未だその足跡はないが・・・必ず・・・≫

 

風が出てきた。 ゴビ砂漠の地表に砂塵が舞い、陰山山脈の姿を薄くした。 ふと、 馬の嘶きかと、東方を擬視した。 舞う砂塵が遠方を霞める。 いっとき置いて、再び 馬の嘶き が耳を捉えた。 楚詞は巨木を攀じ登った。 砂塵が地表で乱舞しているが、20尺も登れば視界を遮るものはない。 楚詞は 疎らな樹林帯に沿って東方を窺がい、木々の北側を注意深く 目を移していった。

白馬であろう姿が小さく見えた。 騎馬武者か と 楚詞は緊張した。 こちらに向かって来る。 白馬に跨る騎馬武者の姿が樹木からこぼれる陽光の下に はっきりと見えた。 その後方に 騎馬武者数名 そして 牛二頭が曳く牛車の幌が確認できた。

≪耶律さまだ 耶律様だ≫と声を発すると同時に 巨木の枝から地表に飛んだ。 急いで河原の小屋掛けに戻り、何もないのだが、全てを整理した。 そして 衣服を脱ぎ捨て、肌を切る黄河の水にて水浴を済ませた。 高ぶりは静まり、慧樹大師の衣に 手を通した。

下草を踏み、楚詞は北に歩んで、荒れ地の上を東に進んだ。 砂嵐は止んでいた。 一時の後 二人の騎馬武者が楚詞目指して砂塵をあげ、飛ぶように近づいてくるのを目にすると、 楚詞は片膝を地に付け、低頭した。

「僧 聞くが、この様な場所で なにゆえ 」

「耶律大石軍事統師殿の一行かと これにて待つは 晋王・耶律敖盧斡が一子  耶律楚詞。 耶律大石様を ここにて お待ち申しておりました 」  二人の騎馬武者はその申し出に 慌てて下馬したが、不審が晴れぬ様子にて 剣の柄に手をやり

「その証は・・・・」

「ここに 師の文がございます、 これを・・・・・」  差し出された 一通の封書を受けた取った武人は 裏面の確認もそこそこに、すばやく騎馬するや 馬に鞭を当てて走り出した。

走り去る騎馬武者が起こす砂塵が舞う、疎らな樹林の間で消えずに漂っている。 一時の後 散在する樹林の奥に砂塵を突いて、白馬が疾走して来るのが見えた。 砂塵が再び舞い上がる。 白馬のみぐんぐんと砂塵を背後に巻き上げて迫りくる。 騎者は伺えない、 が 白馬を確認できるや、楚詞は飛翔していた。

「馬を借りる、ごめん」  僧のすばやい挙動に 制することも叶わず、騎馬武者は圧倒され ただ 大きく目を開いたままである。 しかし 急いで後を追った。

 

耶律大石は 疾走して来る伝令のただならぬ様子に 馬を進め、 馬上で封書を受け取っていた。 封書を受け、裏を覗った大石は 時を置かずに 『時 あとは頼む』と大声の指令を後方にいる腹心に発し、一目散に 馬を走らせていた。 彼が見た封書の裏に書かれた墨痕【慧樹】に 大石の心が躍っていた。

楚詞は大きく迫りくる 白馬が≪大石様だ≫と確認できるや、手綱を引き、下馬した。 そして、片膝を付け 髭が生えそろわぬ顔を上げ、白馬の主から目を離さなかった。 やや 歩みを落とした馬上から 凛とした声が飛んだ。

「晋王が長子 楚詞王子でござろう 立たれよ 立たれよ」

楚詞の 日に焼けた秀麗な顔に一条の涙が落ちた。

陰山山脈_2_

 身の丈を越す葦原の海 近くまで陰山の黒き山肌が迫り、葦原はその麓まで続くようであった。 馬上からは四方が見渡せ、穏やかではあるが寒風がそよぐ。 厳冬になれば、マイナス30度近くの厳しい原野に変貌するが、牛車の轍は乾いた地表に支えられ、二頭の牛が曳くのを 容易にしていた。 冬に架かろうとする黄河北方の五原が葦原を騎馬武者二十数名が北上していた。 黄河が気ままに奔走した跡の湖面が散在し、南に馬の鼻を向ければ 蛇行する黄河の河原である。 対岸がオルドス。

耶律時は騎馬武者二十数名と共に 牛車を護衛しつつ 耶律大石の後を追っていた。 彼の背には美しい指物旗が垂直に掲げられている。 北遼・軍事統師の印旗である。 穂先が純白の毛で飾られている。 それは あたかも葦原の海に浮ぶ小舟が帆のように、また 耶律大石の存在を誇示するがごとく 葦原の海を北に向かって進んでいた。

耶律大石は白馬に跨り、一隊を先導していく。 その傍には僧衣姿の耶律楚詞が寄り添うように轡を並べて進んでいた。 彼の顔は晴れ晴れとし、目には輝きがあった。

大石は時折、温かい目を楚詞に注ぐも、顔には憂いがあった。 時折 吹く風が二人の会話を四散した。 耶律時には その笑い声のみ聞こえてきた。

「耶律楚詞王子、 この地を いかが見る・・・・」

「西夏へ10日も要せず、 あの陰山が切れる西方より北に向かえば蒙古の大草原に至るも10日でありましょう。 草原を東向すれば 騎馬にてこれも10日で小興安嶺山脈は我らが故地に至りましょう 」 何らの躊躇いもなく 答える楚詞は 不満顔で言葉を続けた。

「軍事統師さま、約束ではございませんか 王子と呼ばないことは・・・・」

「忘れてはいぬ、 王子の いや 楚詞の僧衣を見ると つい普王の事を思い出してのぉ・・・・ それで、この地は 仮寓の王庭に相応しいか 」 大石の眼は 優しく注がれ、 また 前方を覗うように 陰山を眺めている。

「この葦原、身を隠すには適地 また 葦のそよぎが敵の動向を知らせてくれます、が、この時期に火責めで包囲さるれば 適地が死地に変わりましょう 」

「我は 慧樹大師殿に感謝申し上げねばならぬのぉ、楚詞よく見た 」

「三っ日もすれば、王庭に至るであろうが 楚詞 汝 天祚皇帝に めどうりするか・・・」 質する大石の眼は 楚詞から離れなかった。 楚詞もその眼に答えた。

「父の無念は考えません。 皇帝としての立場がさせた事でしょう、 しかし 秦王殿下をいかが遇されるか、また 蕭徳妃皇后の拝謁をお認めに成られるだろうか それに 北遼を差配された 大石さま 軍事統師さまを厚遇なされるでしょうか・・・・私には祖父が判りかねます。 ただ、 この度は 大石様の客僧として、大石様の傍にて 王庭の一隅に住まわせて頂き 明日を考えとう思います 」 楚詞は 眼をそらせることなく、 考え考え 明朗に答えていく。

「勧める我が衣服に着替えぬは その為だったか、 河原で会った日から はや七日が過ぎ、二日前から 時に旗を掲げ差している。 このまま 王庭の門前に至らば、この身への処遇は予測出来る。 王庭には間諜が走っている事であろうし・・・  旗を掲げた時から、我らが意志は伝わっていよう。 処遇はともかくとして このそよぐ風のように 我らは振舞えばいい。 また、秦王殿下は天祚皇帝の第五子 しかも 晩年生まれた皇子 愛しかろう。 天錫皇帝の皇后さまは 今は皇太后として秦王殿下を慈しみ、擁護されているお方 心配は杞憂であろうが・・・・・」 話す大石の顔には憂いが 消えなかった。 が、 楚詞に向ける顔には喜びがあった。

「楚詞 嬉しく思う、 それに 頼みが一つある 」

「いかような事でも・・・・・・」

「王庭の様子を ふみにしたためるゆえ、 安禄明に届けてもらいたい 」

「安禄明さまに 嬉しゅうございます、 それに ご尊父・安禄衝さまは 私が父とも思うお方 喜んで参りましょう 」

「ありがたい、 安禄明との連絡は密に取らねばならぬが もはや 敵陣。 先日 兵の一人が 汝の飛翔に驚いたと申して居った。 これから後、嵩山少林寺での修業が役に立つかも知れぬが、 王子である身は忘れるではない。 」   日が陰り始め、 一行は 湖面の水場に向きを変えて、葦原を進んで行った。

E'erduosi

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【 遼の皇帝 遼時代・北遼時代 】 ※ 青色文字のクリックにて 詳細説明を開示します

_遼_

太祖  907-926/ 太宗 926-947/  世宗  947-952/  穆宗  951-969/ 景宗  969-982/

聖宗 982-1031/ 興宗 1031-1055/ 道宗 1055-1101/ 紹宗 1101-1125/※天祚帝

_北遼_

宣宗 1122/   秦王 1122-1123/ 梁王 1123/ 英宗 1123

*登場人物の皇室関係*

耶律大石; 建国皇帝・太祖の第四子 耶律牙里果皇子の直系子孫、1087年生まれ

耶律楚詞; 天祚帝の孫 秦王の叔父にあたる、1098年生まれ

※オルドス(鄂爾多斯)は、近世以降にあらわれるモンゴル遊牧民の部族集団の呼称であり この集団が明代以降、中国の黄河屈曲部・「河套」に居住したことからこの地域は現在オルドス高原と呼ばれる。 オルドスの名は、蒙古語で「宮廷」を意味する。 この部族集団はモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンの生前の宮廷をチンギスの霊廟として奉祀していた。 元の時代、チンギス・ハーンの霊廟はモンゴル高原北東部のケルレン川流域にあり、オルドス部の先祖たちもこの地域で遊牧していたが、15世紀頃、オルドス部は霊廟とともに南下して、漢民族が古来「河套」と呼んできた黄河の屈曲部に入り、のちにオルドス高原と呼ばれる高原に移住した。

カラ・キタイ

===== 続く =====

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