小説・耶律大石 第一章(11)

匈奴ー4-1-

 「おおー、これは、お美しい 石抹言殿がご息女殿ですね・・・・安禄明殿から文がありました」

「お会いできて嬉しゅうございます。 耶律大石様 軍事統師さまですね、父よりかねがね伺っております。 このたび、晋王子さま、失礼申しました、楚詞さまに無理を願って 参りました。  楚詞さまには 燕京よりの長き道中 大変お世話に成りました。 また、 今日から 同道いたしましたあれら四名も お世話にならなければなりません。 ご無理を承知で まいりました 」

「ここは、ご覧のような砦 よろしければいつまでも、 して ご尊父はご承知のことで・・・・  こちらから 文を送りましょうか な 」

「 父は はや、 私がここに居ることを知っておりましょう。 西夏の中興府(銀川市)に旅立つ折、『叶えば、晋王子に付いて 何処までも行け』と申しておりました・・・・・ 」 凛として、答える チムギに大石は好感を持った。 チムギは淀みなく続ける。

「また、中興府の出立の時に、四名の武者を楽士として同行させ、私が歌わぬ歌姫と成れば、楚詞さまには迷惑が及ぶまい とのセデキ・ウルフ殿のご配慮がございました 」

「そうでしたか、 安禄明から 聞き知っておったが、儂には ソグドの民、ウイグルの民の繋がりは想像以上のように思えてきます・・・ 」 耶律大石と石チムギが初対面とは思えぬ談笑を重ねる傍で 耶律楚詞を中心に耶律時・石隻也に四人の若者が 笑い声をあげている。 天空蒼く、風はない。 しかし、都は・・・・・

ウイグル民族

 その頃 燕京は金軍に包囲され、北遼の第四代君主・英宗は内訌によって家臣たちに殺害されていた。 安禄明が伝書鳩に託した通信文が昨日届いていた。 天空から舞い降りた文には、耶律定秦王は帝都燕京から雲中に向かっている模様と追記してあった。

11月末 燕京の安禄明からの急使が駆け込んできた。 耶律大石が開いた文面には ただ 一行 【金の阿骨打が入城】と 走り書きの墨痕が浮かんでいた。

耶律大石の行動は早い、 直ちに 耶律時に 隊の確認をさせる、石隻也に王庭内の状況を探らせ、 耶律楚詞にチムギ一行を呼ばせた。 諸事の命を発した後 王庭に足を向け 歩み出している。 日が陰り始めていた。

久しぶりの拝謁である。 大石は 正面を睨むように きざはしを登る。 一足進めるごとに 決意は固まっていく。 先ほど 大石の風圧に恐れ、奥に走った側近が駆け戻り、 扉をひらいた。 室内には衛兵が立ち並び、将四名が玉座の傍に立っていた。 皇帝・天祚帝は玉座に座り、玉座の周りのみ 明るく照らされている。

「大石、 事前の断りなきは、無礼であろう 」 耶律大石は今春から、もはや 皇帝の器を見切り、見下しっていた。 無論 諸将や側近は眼中にない。 皇帝を睨めつける大石の声が響く、その態度 諸将には高圧的に映るかも知れない。 傲然たる音量で声を放った。

「 北遼は金の差配を受ける事になった こと 承知いたされておられようか 」

「北遼は北遼のこと、 遼の皇帝はここにおる 」

「されば、 北遼が軍事統師、申し上げる。 金の阿骨打が遼を攻めるは 造次顛沛でありましょう。 急ぎ、北帰策にのっとり、北の草原に兵を集め 小興安嶺山脈に出るは、我らが故地にて お家再興を図る最高の策 このこと再度 申すべく ここに参上に越しておる 」

「余にも 策がある 汝が献策とは 相容れぬが・・・・・ 」

「されば、 太祖より受け継ぐ 我が血 幾瀬まで繋がねばならぬ、閣下とて同じでござろう。 また 武運つたなく、敵に屈する時に至らば、潔く自害するか 敵将と刺し違えるが将の誉れ。 北遼が軍事統師として、 今 ここに至らば、我が道を進むまでのこと 」

頑然と胸を張る巨体に 皇帝は腰を玉座に沈め、大石から眼をそらした。 怒りの眼差しは長く続かなかった。 立ち並ぶ将軍の中で誰一人として抗ずる口を開く将はいなかった。 無論、左右の側近は 終始 下に目を落としたままであった。 ただ一人、天祚皇帝の佞臣が猜疑の目で大石を覗い、何事かを皇帝に囁いていた。

 

大石が草庵に戻ると、全員が集まっていた。 草庵と 言えども、黄河が凍てつく世界。 日干し煉瓦が二重の壁を造り、壁に煙道を設け暖を取る構造。 屋根は葦を幾重にも葺かれ、夏は涼しく、葦を燃やす煙が部屋全体を暖める。 床にも煙道があり、高床である。 その床に耶律大石に対面するように耶律楚詞と耶律時が座し、その後方に石チムギが 左右に何蕎・曹舜・畢厳劉・何亨理 そして 石隻也は最後列に座っている。

部屋は暖かく、大石の左右に蠟燭が立ち、入口に二本、 部屋の四隅にそれぞれ一本。 大石の背後には北遼軍事統師の旗が立て掛けてある。 室内は明るい。

耶律大石は 奢りなく、明朗な声で 静かに話しだしている。 「天祚皇帝には お別れの話を申し上げてきた。 摂政皇后殺害事件以降 内密理に推し進めてきた”北帰”を断行するべき時に至った。 ついては、時殿、我らが内密の兵はいかがであった、 まずそれを聞こう 」

阿骨打

   「皇后さま殺害事件後、我ら200名の結束は一段と高まり、50名の小隊に分け、馬は勿論の事、二十日程度の兵糧の準備は既に終えてあると、 また 何時いかなる時にでも行動に移せる」と耶律巖が胸を張っておりました。 言うには及びませんが、統師殿を信奉する兵士たちのこと、他の諸兵や将に気付かれている気配は無論ありません。

「・・・ では、今後の各隊が行動は 今日明日に急変する事はなおが、明晩 各隊の将官と相談するとして・・・・・・、 チムギ殿 そなたは いかがされる・・・。  今聞いかれたように 我々と勇者200名はここを離れる。 寒風吹き荒ぶ夜陰に紛れての行動となるかも知れぬ、 また、厳冬の時期に陰山山脈の間道を突いての北帰行に成るやかも知れぬ。 女人には過酷な旅になろう・・・・・」 突然、わが名を呼ばれたチムギは動揺した。 思わず、耶律楚詞にすくいを求めるように彼の背を見た。 しかし、長く伸びた髪は微動だにしない。 大石のチムギを見詰める温情溢れる目には、厳しさは無く笑みが漂う。

「十分なお世話が叶わず心苦しい上でのこの状況、都には戻れぬことであろうから 西夏の中興府に戻られてはいかがだろうか・・・・チムギ殿 」

「大石様 私くしが 燕京を離れる折、父が申しました 『耶律楚詞王子が許されるなら、どこまでも そなたは王子に付き従い 同行しろ。 金がこの燕京を差配しようとも我が家には手を出せまい。 が、 万が一 お前を盾に取られると、困難を払うすべをなくす。 戻ることは父が許さぬ 心して行くがいい』と 話されました、・・・・・」

「・・・・ して、 今 どうさなされる・・・・・」

「ツムギ殿は 雪の残る太行山脈は小五山の険しき間道を歩き抜かれた、伴する男すら音を上げた難所 我々と行動を共にされても、手足纏いにはならないでしょう 」と耶律楚詞が大石を見詰めて口を開いた。

「・・・ さりとて 北は草原の地、 漢中やり燕雲十六州とは・・・・・・」

「私くは、ウイグルの一族、ウイグルの民は草原の民、 ”北帰”は楚詞さまの献策と伺っております。 ウイグルの私くしにしても 帰郷でございます。 北の蒙古高原はウイグルの故地。 ウイグルは騎馬の民でございます 」凛とした 声が 静寂の部屋に何時までも留まっている。

「そこに居られる 何蕎殿・曹舜殿・畢厳劉殿・何亨理殿 方々のお考えは・・・」

「申すまでもない事、我らが主命はチムギ殿をお守り致す事、 たとえ、北遼軍事統師が反対されようとも、チムギ殿の意が”北帰”に随行することである以上 背負ってでも後を追いましょうぞ 」

言い終えた何蕎は 部屋に流れる沈黙を破るように、言葉を継いだ。

遊牧の里

===== 続く =====

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