小説・耶律大石 第一章(12)

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 「統師殿、 僭越ではございますが、今 一言申上げたいと・・・・ この地に参り 早や半月、 王庭とは申せ、ここは砦 だが、諸将や兵は楽しみは無く、望郷の念にこころここに在らずと見受けられます。 また、 今 聞かせて頂いた”北帰”策の準備等 万全のように思われますが、・・・・・・・」 大石は何蕎が話そうとする筋が読めない。

「さて、 緊張する必要は無い。 客人としてではなく、我らが策に なにか・・・」

「この地は西夏の中興府に比すれば、荒廃の原野に佇む砦。 寒さは厳しく、これより 日増しに寒さが強くなりましょう。 予測だにしなかった西行で、帝都よりこの地に来た天祚帝を警備する諸兵は二年目の冬に望郷の念に不満を募らせ、耐えがたき寒さは警護を鈍らせますが 当方とて、夜陰に紛れての行動が鈍りましょう。 そこで、いかがでしょうか、我ら四名は楽士の触込みで この地に滞在する者、 明晩より、城門近くの広場にて 大きな焚火を五六ヶ所設けて 楽を奏でましょう、 楽しみを忘れている将兵が多く集まり来れば、伺いました行動の一助に成ろうかと考えますが・・・・」

「蕎殿、若さに似ずとは失礼ながら、その策 儂は乗る。 隻也、明日から湖面にて鳥を射ぬいて参れ、 篝火の下 楽が流れれば、歌う兵士も出てこよう、されば 彼等への賞金として焼き鳥を与えれば、なお 兵は集まって来ようと言うのじゃ、四五日毎の宴の決行として、算段いたせ ・・・・・  ところで・・・・」

 

「・・・ ところで、 隻也 汝のこの任務を なんと読む・・・・・・」

「鳥打ちに 行け とは・・・・・ 道を作れとの事でしょうか・・・・」

「その道とは・・・・」

「砦を離れれば、南は葦原 私を見出すことはできますまい、 馬とて 首を下げれば見つかりません、狭き馬道があれば、 夜陰の事 葦が少々そよごうとも 馬に布を履かせて葦の中を進めば、音も聞こえず、姿もみえず 行動は捗りましょ 」

この会話を聞くともなく、耳にした楚詞は安禄明の屋敷裏で弓矢に励んでいた若者がここまで成長したのかと 驚きの顔で振り返っている。 石隻也と耶律時の師弟関係は 打てば響くごとくに何時しかなっていた。 楚詞は耶律時の指導者としての器を感じていた。

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 「 まず、何蕎殿にお礼を申さねばならぬ、200名の勇者を危険に晒らさぬ策、我ながら 思いは至らなかった。 先ほどのように 我々の行動は明日の打ち合わせ事として、時よ、明日20名を選び 別働隊を任せる。 四五名の隊に分け、燕京方面に向え。 この地を安全に離れた後 別働隊は東に走り、 阿骨打が追遼軍の後方攪乱しつつ金の動向を探り 金軍のつぶさな状況報告を定期的に送ってもろおぅ・・・・・」

「 また 時は折を見て 慕田峪長城の金軍が兵站基地に向え、燕京に居る遥には秦王の動向を見届け次第に 兵站基地にて合流する旨連絡を取っておく。 また、梁山泊の宋江との打ち合わせに漢南へ遣わした耶律抹只もそろそろ戻って来よう。 時が率いる別働隊が去る翌日から 全てが始まる。 阿骨打の動向が北帰行の成否を決するであろう 」

「 天祚帝には 最後の最後まで儂の首は打てまい。 この地を離れる事を策しておるが、西夏には亡命は出来まい。 チムギ殿の御尊父・石抹言殿や安禄衝殿が手を打って下されたお陰じゃが、なれば、天祚皇帝は金が攻め来る前に、必ず南宋に走る。 南宋に亡命するには 南宋を痛めつけた この首が必要 当面は動けまい。 更には 耶律抹只に託した梁山泊の宋江が仲間を率いて西夏に入り、我らを支援するはずだ 」

「この王庭に 大石ある限り、皆に手を下す者は居らぬであろう。 我が一人して この印旗を掲げ城門を出るつもりである。 それは、我が遠祖 太祖が諭した将の規範であり 我が意志の誇示 天祚帝は何もできまい。 最も安全な策であろう。 更に、チムギ殿と共に城門を出るは、僧と女人 楽士達四名だけ。 泰然と進む我らに天祚皇帝は時を失するであろうし、 例え 捕獲の命を出そうとも、刃を差し向ける将は居るまい すでに 諸将は皇帝を離れておる。 200名の勇者が この王庭から 何時とも解らぬ間に姿を消せば、この策は成る。 今一度 申せば、阿骨打の意向だ。 」

耶律大石は 諭すように 話を続ける 「我がこの地を離れる折 隻也はあの印旗を高く掲げて 儂と共に出る。 無論、楚詞殿は僧衣のままにてチムギ殿に付き 儂と共に城門を出る、 何蕎殿・曹舜殿・畢厳劉殿・何亨理殿も相前後して この地を離れていただこう。 さて、夜も深まった お開きにいたそうか・・・・・ 」

 

「何蕎殿 一献傾けたいが、 いかがでござろう、・・・北遼軍事統師殿の酒がござるで、 北遼軍事統師よろしいでしょうか・・・・・」

「・・・・酒の話になれば、統師、統師と呼びおって、・・・・・・」

草庵の外、下弦の月が 陰山の上にあった。

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 1124年初冬 金の阿骨打は燕京を陥落し、 入京を果たしている。

耶律大石は”北帰”は急がねばならぬが、 過酷な冬が まじかに迫りくる今、 春まで待つべきか 自問していた。 200有余名が草原で越冬できるであろうか、草原の民は冬営地で殻に籠り、没交渉の生活 なれば、半年間の兵糧を運び込まねばならない。

春まで勇者たちをいかにすべきか・・・・ 急ぐ必要があるのか・・・・

耶律大石は、ゴビ砂漠の北、陰山山脈の北麓にある遼王朝の北庭故城を北帰行の拠点に考えていた。 大蒙古高原中央部の南部に位置し、遊牧の民との交易を執り行う砦であった。 北庭故城から草原を東に移動すれば小興安嶺山脈の故地に、容易に辿り着ける。 200名の兵団でも二十日の行軍、金軍の側腹後背面を突く進路であり、危険はない。 だが、故地にて契丹人を集握して遼の政権を鼓舞できるであろうか、以降は・・・・・

大石は四辺の状況を考え続けていた・・・・・ 南宋は阿骨打を”海上の盟”で誘って、遼に進軍させたのだが、金の騎馬軍団は我の予想以上に猛勇果敢だった。 遼の国土を侵食した。 そして、気付けば 遼と宋の確執に金に漁夫の利を得た。 結果 宋は黄河の南に閉じ込められた。 今 金と西夏が盟約すれば、宋は北進して己が旧領すらをも奪回できかねる状態に追いやられる。

南宋は、未だに 50万以上の将兵を燕雲十六州攻撃に北上させているも、 金の阿骨打は南下し、燕京を陥落せしめて入京を果たしている。 遼の皇帝・天祚帝を五原に追いやり、中華に新政権を打ち立てている。 天祚帝は南宋に向かうであろうが、今は 阿骨打の客将と成った耶律余睹が南宋対策の将軍として立ち振る舞っている以上は天祚帝の挙動は容易でない。 宋の北進も・・・・・黄河を挟んで金と南宋が覇権を争う・・・・

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 我は、二年前、居庸関・八達嶺長城で阿骨打の迎撃を試みが失敗し、金軍に捕らえられた。 あの折、阿骨打は捕虜である我を厚遇した。 彼は金軍の南攻統師将軍として宋を攻めろと言った。 宰相・李処温が宋と密約を交わし、北遼と南宋で金の南下を阻止する陰謀を計っているとも言った。 それゆえの我は宰相・李処温を誅殺したのだが・・・・・

阿骨打の考えていることは見える。 今、 海上の盟は破棄され、阿骨打は南宋の侵略を考えているに違いない。 されば、南宋は将兵を北東方に進軍させ、阿骨打と対峙しなければならぬはず。 なれば、当面、阿骨打は燕京の差配と南宋との戦いに 思惑を集中しなければならず、遼の討伐に親征はおろか大量の将兵を向けることはできまい。 遼の存在など眼中になく、鼠をいたぶる猫のはず 天祚帝が動く瞬時が殺される瞬間に成るはずだ。 それゆえの、”北帰”策なのだが・・・・・・この冬を如何にせん、故地に辿り着くまで如何にせん・・・・・・・燕京の安禄明や安禄衝殿は動けまい・・・・・・・草原が緑で覆われている時なら・・・・・耶律大石の思考は 同道巡りのようであった。

===== 続く =====

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