『光の剣』_闘争の系譜 Ⅰ_04

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イギリス併合時代(1801年 – 1922年)
1801年、前年に可決された連合法を受けて、アイルランド王国はグレートブリテン王国へ併合され、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国が発足した。 連合法可決前にアイルランドへの譲歩として約束されていたカトリック教徒やプレスビテリアンへの政治的差別解消は、当時のイギリス国王ジョージ3世の反対などもあり実現が遅れた。 結局、アイルランドの地位向上はナポレオン戦争の終結後となる。

「カトリック教徒協会」を率いたダニエル・オコンネルらの尽力によって1828年に審査法が廃止され、1829年にカトリック教徒解放法が定められた。 イギリスに完全に併合されたとはいっても、実際はそれ以前からイギリス国王がアイルランド国王を兼ねていたため、植民地であることには変わりなかったが、形式上連合王国の一員となったことで更なるイギリスへの同化圧力が加えられることになった。

1845年から1849年にはアイルランドを飢饉が襲い、〝ジャガイモ飢饉“とあわせアイルランドからのアメリカ合衆国などへの移民を促進させる原因となった。 飢饉以前に800万人を数えた人口は1911年には410万人にまで減少している。 そして、アイルランド語の使用は19世紀に急激に減少した。 これは飢饉の影響にあわせイギリスによる国民学校の設立、当時のアイルランド人政治家による排斥などが影響している。

1870年ごろにはアイルランド自治が再び取り上げられるようになった。 政治活動を指揮したのはプロテスタントの大地主であったチャールズ・スチュワート・パーネルと彼が作り上げた自治同盟である。 イギリスの首相ウィリアム・グラッドストンはパーネルと協力し1886年と1893年の2度にわたり自治法導入を図ったが、いずれも上院での反対により失敗に終わった。 アイルランドにおけるパーネルの絶大な影響力は、彼が友人の妻と内縁の関係にあったことが発覚したことにより終わりを告げた。

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これらの自治権付与への流れのなかで、アイルランド民族主義者、ナショナリストとイギリスへの帰属を求めるユニオニストの対立が激化していった。 アイルランド島全体では圧倒的に優勢を占めていたナショナリスト・カトリック教徒が要求する自治に対し、北東部のアルスター6州で多数を占めていたユニオニスト・国教徒は自らの経済的、政治的特権が奪われる事を恐れていた。

ナショナリスト中の過激派はイギリスから実力で独立を勝ち取ろうと目論んでいた。 1803年にはロバート・エメットが率いる共和主義者が、1848年にはトーマス・フランシス・マハーなどのアイルランド青年団が反乱を起こした。 そして1868年には後のIRAの前身となるアイルランド共和同盟(IRB)の暴動が発生した。 これらの事件は皆鎮圧されたが暴力的政治活動という伝統は以後のアイルランド史にも引き継がれる事になる。

19世紀後半にはアイルランドの土地改革が図られた。 マイケル・デイヴィットの率いる土地連盟は1870年頃から地主の所有地を分割し、小作農に分け与える政策を押し進めた。 農村の状況が改善していったにもかかわらず、アイルランドの首都ダブリンでは当時のイギリス帝国最悪とも言われた貧富の差が発生していた。 モントと呼ばれる治安の悪い歓楽街はジェイムズ・ジョイスを始めとする多くの小説の舞台となる。

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イースター蜂起と独立戦争
1914年9月、第一次世界大戦の勃発に際してイギリス議会はアイルランド自治法を成立させたが、当初この大戦は短期戦に終わると予想されたため、施行は一時停止された。 1916年にはドイツの支援を受けたアイルランド義勇軍によりイースター蜂起が企てられ、不十分な計画のまま開始されたダブリン市内での蜂起は英軍により直ちに鎮圧されたが、英軍の軍法会議により首謀者が即刻処刑されたため、蜂起を企てたナショナリストへ同情が集まった。

徴兵の導入が検討されるようになるとナショナリストへの支持がさらに増した。 戦後の1918年12月に行われたアイルランド総選挙ではイースター蜂起に関与したとされたシン・フェイン党=1905年にアーサー・グリフィスらによって結成されたアイルランドのナショナリズム政党=が議席の4分の3を獲得し、翌年1919年1月21日に開催されたアイルランド共和国議会では自らの権限がアイルランド島全域に及ぶと宣言した。

国際法上はイギリス統治下にとどまっていたことに不満を持つナショナリストは1919年から1921年までアイルランド独立戦争=英愛戦争=を起こしアイルランド駐留英軍に対してゲリラ攻撃を行った。 1921年11月に休戦が同意され、12月には英愛条約が調印された。 これらの交渉には独立戦争の英雄であるアーサー・グリフィスとマイケル・コリンズなどがいた。

条約により南アイルランドにイギリス連邦下のアイルランド自由国が成立したが、アルスター地方の内6州は北アイルランドとしてイギリスの直接統治下にとどまることになった。 これが現在も続く北アイルランドの帰属問題の起因であり、この条約で民族闘争が激化していく。

ジャガイモ飢饉WWI勃発

===== 続く =====

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