『光の剣』_闘争の系譜 Ⅰ_10

国民投票

  交渉の結果、英愛条約(イギリス・アイルランド条約)が締結され、アイルランドはついに独立を達成することができた。 こうして生まれたのがアイルランド自由国である。 アイルランド自由国の独立は、北部六州(北アイルランド)にアイルランド自由国へ加入するか、大英帝国へ帰属するかの自由を与えることを条件に認められた=結果的に六州はすぐに大英帝国へ帰属した=。 もし六州が大英帝国に帰属した場合、アイルランド国境委員会が設けられて、イギリスとアイルランドの国境確定のための話し合いを行う運びになっていた。

コリンズは、たとえ北部六州がアイルランド自由国に加わらずとも、国境委員会で北アイルランド部分の領域を最小限に抑えることが出来れば、いずれは経済的に立ち行かなくなってアイルランドに組み込むことができるだろうと考えていた。 北アイルランドの中でも、イギリスへの帰属を強硬に主張する人々は東アルスターのみに集中していたからである。

英愛条約の締結を自ら行ったコリンズは帰国した。 が、予想されたように、条約の内容を巡り、アイルランド国民評議会は紛糾する。 ここでもまたデ・ヴァレラ氏がやってくれる。 攻撃の急先鋒に立ったのは、なんとコリンズに全権を委任して交渉に送り出したエイモン・デ・ヴァレラその人。 条約がアイルランドの分断を規定していることと、英国王室への忠誠条項を激しく批難して 共和国への道を閉ざすものだと鋭く攻撃し、こともあろうにコリンズを裏切り者と罵りだした。

英愛条約

デ・ヴァレラはまだ臨時政府首班であり、確かにおいそれと考えを変えるわけには行かなかったのでしょうが、これはあまりにも無茶苦茶。  だったらなんでてめえが交渉しなかったんだ、人に押し付けたくせにその言い草はなんだ、煮え湯を飲まされたコリンズは猛反発する。 自由国を足がかりに共和国は達成できる=「自由を達成するための自由」=、今は平和が必要だ、またアイルランドに流血事態を引き起こすのか! とコリンズは主張している。

アーサー・グリフィス、マイケル・コリンズらに代表される条約承認派とデ・ヴァレラら反条約派は激しく対立、結局、64対57で条約はアイルランド議会で承認される。 これに対してデ・ヴァレラ一派は議会をボイコットする。 そのため、アーサー・グリフィスが臨時政府議長の後任となり、コリンズは首相として、自由国への移行の実務を担当するのだが、政治の世界は一寸先は闇。  皮肉なことに かつては嫌っていて決して仲は良くなかったグリフィスと手を組み、親しかったデ・ヴァレラと戦うことになったわけです。 なお、コリンズの親友、ハリー・ボーランドはデ・ヴァレラ派につく。 キティ・キアナンとの三角関係に敗れたせいか・・・・・・

議会での議決が僅差だったためか、デ・ヴァレラはまだ負けたとは思っていなかった。 条約は承認されたが、それでも条約を認めないデ・ヴァレラは、また 政治的な狂言をやっている。 1922年3月、デ・ヴァレラはシン・フェーンから脱党して新グループを設立する。 何を思ったか、ついに武装蜂起を決行! 自分を支持するIRAゲリラを動員した=現在、北アイルランドで活動しているIRAやシン・フェーン党は、このデ・ヴァレラ派の流れを汲む組織、コリンズを支持する一派は、自由国政府軍に編入されていた=。

また、IRAのメンバーの中にもデ・ヴァレラに同調する者が現れ、同年4月、IRAの一団がダブリンの最高裁判所に乱入し、占拠する事件が発生した。 ダブリンの最高裁判所、中央郵便局(イースター蜂起の因縁の場所)を初めとするダブリン市内の要所や、各州の行政庁舎を占拠する。 アイルランド自由国は無政府状態に陥った。 グリフィスは武力討伐を主張、しかしコリンズは内戦には断固反対し、交渉による和解を主張する。 デ・ヴァレラをはじめとする独立運動の仲間達と戦うことなど、コリンズにはもっての他だった。 しかし、イギリスが支援の名のもとに干渉する気配を見せ、6月中に共和派を鎮圧せよと要求してきたため、結局は、コリンズも武力によるデ・ヴァレラ派の討伐の決意を内外からせがまれる。

Sinn Fein Leaders at First Dail Eireann

  コリンズとしては、1月の時点で議会を解散して総選挙を行い、条約に関する民意を問うつもりだったのが、デ・ヴァレラがいろいろと反対にて、ずれ込んでいた国民投票を内戦状況の打開策として強行する。 1922年6月上旬、条約承認をかけた国民投票とアイルランド自由国議会選挙が行われた。

「条約は共和国への道を閉ざすものだ!アイルランド人の血がまた流されるだろうが、内戦によってしか独立を得られないのなら、そうしよう!!」、
「義勇軍はアイルランド人の血を浴びることになるだろう。 しかし、自由国政府は打倒する。アイルランドの真の自由を達成するためだ!」

デ・ヴァレラの演説はおよそ正気とは思えない内容だが、彼は本気だった。 戦いを甘く見るところは性癖であろうか? 治っていない。 反対にコリンズら条約承認派の訴えは、共和国は、自由国からも達成できる。 今は平和が必要、条約を拒否すればまた戦争だ、という常識的なものだった。 そして国民投票の結果、条約は承認されてアイルランド自由国が成立。 自由国臨時政府首班にはアーサー・グリフィスが指名された。 また、選挙でもコリンズら条約派がデ・ヴァレラ一派を抑えて勝利する。 そして、

1922年6月28日、コリンズ自ら指揮する自由国政府軍は、4月以来、共和派が立てこもる最高裁判所を砲撃、内戦=これ、イースター蜂起と同じ展開=が始まった。 自由国政府軍はただでさえ数と装備で勝っており、英国からの武器援助も受け その上、マイケル・コリンズを司令官にいただいているとくれば、共和派のゲリラに勝ち目があろうはずは無く、あっという間に掃討されてしまった。 この時のダブリン市内の戦闘で、政敵カサール・ブルッハーが戦死し、コリンズの親友だったハリー・ボーランドも射殺されている。

こうして成立したアイルランド自由国は、国際的には大英帝国の自治領という位置づけであった。議会として二院制を持ち、名目的にイギリス国王を君主としているが、統治の実体はドイル・エアランから選ばれる内閣にあった。 しかし、共和主義者の中でも急進派たちから見ればこのような条約はまやかしであり、独立主義者たちへの裏切りであると映った。 彼らにとっては、いくら名目上であれ大英帝国に従属し、国王への忠誠誓約事項が盛り込まれていることが許せないのであった。

コリンズの死

===== 続く =====

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