『光の剣』_闘争の系譜 Ⅰ_12

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 総括すると、マイケル・コリンズは悲劇の人。 IRAの指導者として武力でイギリス支配を打破することに成功したが、彼を知る者は一様に、優しく温厚で平和的な人物だと評しており、本人としても悩むところがあったと思われる。 しかも彼が敵とした相手には、同胞たるアイルランド人(親英派アイルランド人、およびデ・ヴァレラ派)も多く含まれていたのだ。 コリンズが意に沿わぬ戦いで名をはせてしまい、本性に立ち返って平和を取り戻そうとした矢先に殺害されたのは、アイルランドにとっては勿論、彼個人としても大きな悲劇だった。

その後のアイルランドについては簡単に触れれば、内戦は1923年5月にデ・ヴァレラが武力行使の停止を呼びかけるまで続き、4000人の死者を出している。 デ・ヴァレラ派の敗北で終焉したが、しかし、内戦中に自由国政府首班(そしてシン・フェーンの創立者)アーサー・グリフィスが急死していたため、条約派は勢いを無くしてしまう。 そして、約十年後の1932年、エイモン・デ・ヴァレラはアイルランド自由国首相に就任。 1937年、前年のイギリス王室の「王冠を賭けた恋」事件のドサクサのなかで王室への忠誠を破棄して憲法を改正、1938年アイルランド自由国は「エール」として実質的に完全独立を果たします。

ゲール語の研究で有名な言語学者、ダグラス・ハイド博士が大統領に就任し、デ・ヴァレラは引き続き首相を務める。 その後デ・ヴァレラは、アイルランド市民の絶大な支持の下に長く政権を維持し、 =過去のごたごたは、なぜか不問にされた。また、内戦に関する研究は今もアイルランドではタブー視されている= アイルランドの発展に尽力しているが イギリスに対しては常に非妥協的な態度をとり続けた。 アルスターは今も分断されたままで、コリンズはこの件に関しては批難を受けているけど、デ・ヴァレラの態度がイギリスの反発を買ったことが原因のように思える・・・・・・・

マイケル・コリンズは現在、現代式テロリズムの元祖と考えられている。 しかし、一般のテロリストとコリンズには決定的に違う点がある。 それは、コリンズが決して民間人を巻き込まなかったことです。 アイルランド問題をとっても、現代のIRAがイギリス本土でテロ行為を繰り返して一般のイギリス人を巻き込んだのに対し、コリンズは標的を警官や兵士、役人などに限定し、その能力を有しながらも英国本土でのテロは(デ・ヴァレラの脱獄以外)行っていない。 この差は無限とも言えるほど大きいのではないだろうか・・・・・・

今一度、マイケル・コリンズが生きたアイルランドの状況を俯瞰し、現代との繋がりを整理してこの章を終え、第二章《エイモン・デ・ヴァレラ》に移行しよう・

02

 9世紀以降、アイルランドの民族運動が高揚するにつれ、 イギリスではアイルランド人に自治権を付与しようとする意見があらわれてきた。 しかしアイルランド独立運動が高まる中、17世紀にアイルランドに移住したイングランド系・スコットランド系入植者の子孫であるプロテスタント系住民は、カトリック系住民が多数をしめる新国家で少数派となることを恐れ、独立に反対する傾向が強かった。 この傾向は島32州のうちプロテスタント住民が多数派を占める北部のアルスター地方にある6州でもっとも強かった。

ジェームズ・コノリー(James Connolly、1868年6月5日 – 1916年5月12日)は、アイルランドの独立運動指導者。 1916年のイースター蜂起における中心人物の一人。 コノリー自身は、イースター蜂起を企図したアイルランド共和主義同盟 (IRB) やアイルランド義勇軍とは距離を置いていた。 だが、1916年に至りアイルランド市民軍を結成し、独自に武装蜂起の準備を進め、場合によっては市民軍単独での蜂起の構えを見せた。 このためIRBは、直前になってコノリーとの共闘を決めている。 蜂起に際しては軍人の経験を生かして義勇軍と市民軍の指揮を執ったが、重傷を負い逮捕さ、軍法会議を経て 瀕死の重傷のまま救急車でキルメイナム刑務所に搬送され、処刑された。 因みに 妻リリー・レイノルズとの間に一男一女をもうけ、2人とも独立後のシャナズ・エアランで議員を務めた。

前記のように 1916年、ジェームズ・コノリー(James Connolly)が指導する復活祭蜂起(イースター蜂起)が起き、アイルランド全島が単一の独立共和国と宣言された。 だがこれは英国軍に鎮圧された。 1920年、イギリス政府はアイルランド統治法を制定し、北部6州はアイルランド議会で定める法の適用を受けないことを定め、アイルランドを北アイルランドと南アイルランドの2つに分割し、独自の議会を認め、それぞれの自治権を認めた。=これらの経緯は前節に記載=

1922年12月6日、英愛条約に基づいてアイルランド全島がアイルランド自由国としてイギリスの自治領となった。 しかしその翌日、北アイルランド政府はアイルランド自由国 (後にアイルランド共和国として完全独立) からの離脱を決定し、イギリス (連合王国) への再編入を希望することをイギリス政府に公式に通告した。 これにより、北アイルランドは独自の議会と政府を持つ、イギリス連合王国の構成国の1つとなった。 他方 独立戦争を戦ったアイルランド共和軍(IRA)の一部はアイルランド国防軍に加わったが、一部は英愛条約に反対し、非正規軍としてアイルランド内戦で国防軍と戦ったのです。

その後、1921年から1971年にかけて北アイルランドは東ベルファストに基盤を置くアルスター統一党(北アイルランドの保守政党。北アイルランドのイギリスとの統合維持を主張)政府により統治されていた。 創設者のジェームズ・クレイグは北アイルランドを「プロテスタントによるプロテスタント国家」であると述べ、カトリック教徒が被っていた就職や住居そして政治上の差別は多数派に有利な選挙システムにより成り立っていた。

1960年代アメリカ合衆国における公民権運動の活発化により差別撤廃への関心が強まった。 カトリックによるデモが右派ユニオニストの影響下にあるロイヤル・アルスター警察(RUC)により暴力を用いて鎮圧されたため社会不安が増加した。 騒乱を鎮めるために英軍部隊が北アイルランドに派遣され現地の警察に変わり街の警備につくことになった。

紛争は血の日曜日事件と血の金曜日事件が発生した1970年代前半に頂点を迎えた。 これらの北アイルランド問題は英語ではシンプルにThe Troublesと呼ばれている。 紛争に対しなす術のないストーモント議会(北アイルランド議会)は1972年に閉会し翌年正式に廃止された。 北アイルランドではIRA暫定派、IRA、INLA、アルスター防衛同盟、アルスター義勇軍、RUCと英軍が互いに攻撃・テロを繰りかえし、これらの事件による死者は3,000名にも及ぶ。 テロは北アイルランドのみならず、イギリス、アイルランドにも伝播していった。

03

  以後の27年間、北アイルランドはイギリス政府に設けられた北アイルランド担当大臣による直接統治下に置かれ地方分権を指向していたが、北アイルランド問題解決の試みは全て世論の支持を得られず失敗に終わった。 1970年代イギリス政府はアルスター化の方針のもとIRAに対する対決姿勢を維持。 政府の強硬姿勢によりIRAによるテロは減少したものの、長期的にはどちらの勝利も望めないことは明らかであった。

IRAのテロ活動に反対するカトリックも存在したが、差別措置を撤廃しない北アイルランド政府に対して彼らが好意的になることはなかった。1980年代になるとIRAはリビアから大量の武器を調達して攻勢にでようとこころみた。IRAに浸透していたMI5の諜報活動によりこの計画が失敗すると、IRAはその目標を準軍事的なものから政治的な方向へシフトするようになる。IRAの”停戦”はこの動きの一部であった。 70年代から80年代にかけて行われたイギリス政府のてこ入れによる公共サービスの近代化も遅々として進まなかった。 90年代に入るとイギリス・アイルランド両国の経済が好転し紛争も沈静化する傾向が見えてきた。 しかし、近年 北アイルランドではカトリックの人口が増加しつつあり、全人口の40%以上を占めるように成り 「プロテスタントによるプロテスタント国家」が揺らぎ北アイルランド問題を複雑にしている。

1998年4月10日のベルファスト合意により北アイルランド統治に関する取り決めがなされ、ユニオニストとナショナリストの双方が北アイルランド政府に参加することとなった。 しかし両党の党首と北アイルランド議会は総選挙の延期を決定。 現在は各テロ組織の武装解除、北アイルランドの政治体制の変革、イギリス軍基地の撤退問題などが注目されているが、これまでの和平を担ってきた穏健派のアルスター統一党(ユニオニスト)と社会民主労働党(ナショナリスト)両党よりも急進的な民主統一党とシン・フェイン党の党勢が拡大しており今後も予断を許さない状況にある。

04

===== 続く =====

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