『光の剣』_闘争の系譜 Ⅱ_03

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 1914年8月 アイルランド独立を支援していたアメリカの秘密結社、クラン・ナ・ゲールが必要な資金を調達し、クラン・ナ・ゲールのメンバー、ロジャー・ケースメント卿がドイツに派遣されて、35000人分のライフルと弾薬を調達した。

ところが、アイルランドの世論はIRBの思惑とは反対の方向に進んで行く。 アイルランドが第一次世界大戦に関わるイギリス参戦への徴兵法の対象外となったことで、アイルランド人の多くが戦争をどこか他人事のように捉えているところがあった。 もともと、なんだかんだ言いつつも英国に親しみを感じるアイルランド人は多かった上に、ベルギー侵攻をきっかけに、ドイツ帝国はイギリス以上の「悪者」と見なされるようになってしまった。 それに、小国ベルギーが大国ドイツに蹂躙されるのを目の当たりにすると、イギリスとの連合も悪くないと考えるアイルランド人が増えて行った。 そしてIRBは、蜂起の計画に頭が一杯だったのか アイルランド人の反戦気運を盛り上げることに失敗してしまった。

このため、民族主義者の活動はいやがうえにも低調になり、シン・フェーンやゲール語連盟のような穏健な組織は活動停止に追い込まれた。 その上、イギリス側は武装蜂起の計画を掴んでいた。 ただし、蜂起の計画はあくまでデモンストレーションだと考えたようで弾圧はせず、却ってイギリス政府は態度を軟化させていた。 そして  1914年に施行されることになっていた自治法施行までの空白期間を統治するため、1915年から、アイルランド人による暫定自治政府樹立に関しての協議を始めた。 このことがきっかけで、穏健派はより積極的に英国に協力するような変化が起こり変質していった。

蜂起を計画する革新派は、このような逆風が吹く政治的世論の中で、IRBは裏工作でレッドモンドをアイルランド義勇軍の司令官職から引き摺り下ろすことに成功する。 この時、大部分の義勇軍兵士は既にフランスに派遣されていて、国内に残っていたのは相変わらず装備も訓練も不十分な2万人程度だった。 しかしこれは、レッドモンドの息のかかった義勇兵が国内に残っていないことを意味しており、残った兵士達は蜂起の首謀者であるオーエン・マクニールとパトリック・ピアースが掌握していたため、却って好都合な状況が発生していた。 また、著名な社会主義者の労働運動家でもあるジェームズ・コノリーは、「市民軍」と言う、小さいながらも労使紛争で経験を積んだ強力な私兵団を持っており、義勇軍に呼応して蜂起に参加することになりました。

一方のイギリス側の兵力は、駐留英国軍は削減されていたので、ほぼ完全にアイルランド人で構成されている王室アイルランド警察軍の約一万人が中心と成っていた。 加えてダブリン市には千人の警官が配置されていたが、彼らはスコットランドヤードをモデルにしているために非武装だった。 そして 蜂起の計画は 盲目的にも着々と進み、予定通り1916年のイースターに、それは義勇軍の軍事演習を隠れ蓑に実行 蜂起の狼煙を打ち上げる運びと成った。

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イースター蜂起 
ところが、イギリス政府に情報をつかまれている以上、客観視すれば最初から蜂起が成功する見込みは無かった。 まず、武器を運んできたドイツの輸送船が撃沈されてしまう。 そもそも、世界最大の海軍国の哨戒網を突破出来ると考えたのか? 教師であり弁護士のパトリック・ピアースやジェームズ・コノリーたちは、この時点で考えが甘かった!。 これを受けて、蜂起の中止を訴えるべく、Uボートでこっそりドイツから帰って来たケースメント卿は、暗号が解読されていたので、上陸したその場で逮捕された。 形勢不利と見たアイルランド義勇軍の指導者、オーエン・マクニールは、独断で蜂起の中止を決定して、各地の義勇軍幹部に連絡すると共に、新聞広告でも「軍事演習の中止」を発表する。 元来が憲政論者で、蜂起にはあまり熱心でなかったシン・フェーンの党首アーサー・グリフィスも、その決定を支持した。

しかし、パトリック・ピアースら過激派が大暴走、「蜂起は一日遅れになっただけ」と勝手に声明を発するとともに、仲間内でアイルランド共和国臨時政府の樹立を決定した。 勿論、ピアースは蜂起に成功の見込みが無いことを認識していたが、それでも率先して勇気を見せることで、後に続く者が出てくるのでは、と期待したようです。
そして1916年4月24日月曜日の正午、ついに蜂起は決行された。 これがいわゆる「イースター蜂起」で、後に「歴史を変えた一週間」と呼ばれる戦いが始まる。 しかし、リーダー間の足並みの乱れは決定的であり、集まったのは訓練も経験も、ついでに武器も不足な男女が1000~1500人程度のみ。 それでも反乱軍は、中央郵便局、鉄道駅を初めとするダブリン市内の要所の制圧に成功し、ピアースはアイルランド共和国独立を宣言しました。

ところが、第一次世界大戦のドサクサの中での反乱は、当のアイルランド人から大顰蹙を買ってしう。 また、義勇軍の死者六十数人に対してイギリス軍の損害440人の数字を鑑みれば なかなかの戦いぶりだったが、かれこれ数千人のダブリン市民を巻き添えにした上に、イギリス軍の砲撃で市の中心部は廃墟と化しました。これでは当然、アイルランド人の支持は皆無である。 更には、 本土からのイギリス軍の展開も素早く、水曜日には反乱軍は包囲されてしまう。 結局、土曜日の昼にはピアースが降伏。 反乱軍兵士達はダブリン市民の罵声を浴びながら連行され、共和国の夢はわずか六日で消滅しました。

H_Pearse

A_Griffith

===== 続く =====

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