『光の剣』_闘争の系譜 Ⅱ_07

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英愛条約をめぐって・大黒星
和平交渉におけるアイルランド側の代表団は、デ・ヴァレラと内閣の任命を受けた「全権委員会」であるとされていた。しかしこの交渉において、新生アイルランドの立場は英連邦の中の独立国としての暫定政府を、王の任命を受けた総督によって治められるアイルランド自由国と言い換えただけではないのかという批判が起こっていた。 その見解は国際的に いまだ新生アイルランドは承認されていなかった状況に起因する。

デ・ヴァレラはこの交渉の結果に異議を唱えたが、彼の反対者たちはデ・ヴァレラがこのような展開を見越した上で交渉の席から去ったに違いないと非難した。 1921年12月6日、ロンドン条約=イギリス・アイルランド条約(英愛条約)=がイギリス政府とアイルランド側の間で締結された。 アイルランド側は主にマイケル・コリンズとアーサー・グリフィスとが交渉にあたった。 これによってイギリス連邦自治領アイルランド自由国が成立した。 北アイルランドはイギリス領として残り、アイルランド統一は成就しなかった。

全権委員会には事前に交渉の妥協点についてデ・ヴァレラから秘密裏に指示が与えられていたため、デ・ヴァレラは交渉の結果自体には不満がなかったが、委員会が自分の最終的な承認を得ずに調印したことが気に入らなかった。 しかし、このような事態の最大の原因は、デ・ヴァレラが自ら交渉の席につかなかったことだった。 1922年の交渉批准後、デ・ヴァレラとシン・フェイン党の条約反対派はドイル・エアランを離れ、独自の政府を樹立しようとした。 このためドイルを抜けたデ・ヴァレラに代わり、アーサー・グリフィスが議長に選ばれた。

これまでのイギリス側の態度から、デ・ヴァレラは、イギリス政府が、アイルランドの共和国としての完全独立とアルスターの分離について譲歩の意思がないことを悟っていました。 しかし、停戦を求める国際世論が高まっているこの時、妥協が必要なことも悟っていました。デ・ヴァレラは最初、自らも和平交渉に当たるつもりでいたのですが、10月に入ると態度を変え、健康を損ねていたアーサー・グリフィスに代わる実質的な交渉団長として、マイケル・コリンズを指名する。

このコリンズに条約調印交渉の団長に白羽を立てたのには、イギリスとの妥協が必至となった状況で、共和国としての独立もアルスターとの統一も認められない条約の調印者になりたくなかったデ・ヴァレラが、最大のライバルと認識していたコリンズにババを押し付けたと言うのが定説となっているが・・・・

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  しかし、これは悪意ある解釈かも知れない。 マイケル・コリンズは独立闘争の途上に英雄として戦場の露と消え、デ・ヴァレラは「ロング・フェロー/ ”長身のバカ” 」と呼ばれていたのである。 しかしながら、デ・ヴァレラは交渉者としての手の内が読まれていたので、交渉役の能力は未知数ながら、手の内が読まれていない上に、殺し屋として一目置かれているコリンズの手腕に期待したのではないだろうか。 そして、条約成立後にデ・ヴァレラがとった行動も、この“英愛条約”への失望故のものだろう。

とにかく、アーサー・グリフィスを団長とする5人の代表団はロンドンへと赴き、10月10日(11日?)、和平交渉が始まった。 イギリス側の代表は、ロイド・ジョージ、バーケンヘッド卿、ウインストン・チャーチルなど百戦錬磨の大物政治家達。 イギリス側は、アイルランドに大英帝国の自治領の地位を付与し、「アイルランド自由国」の設立を提示する。

 =この「自由国」とは、カナダやオーストラリアのようなもので、ほとんど独立国なのですが、イギリスの公債の分担義務や、イギリス王室への忠誠、国王代理としての総督(植民地ではないのでイギリス人である必要は無い)の配置などの制約がある=

一方、アイルランドの代表団は、イギリス王室への忠誠、アルスターの分離に関して異議を唱えるが、交渉は押され気味であり、ロイド・ジョージに至っては露骨にアイルランド代表団に脅迫もした。 結局、1921年12月6日、和平条約は調印され、イギリス議会は満場一致で和平条約を批准した。 しかし、アイルランドのデ・ヴァレラは条約の内容に激しく不満を示した。

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1)  アルスターの分離条項 =一応、アルスターはアイルランド自由国の管轄下に入っていたが、1921年の自治法によるアルス     ター議会のみが全ての権限を有しているうえに、自由国からいつでも離脱することが出来るようになっていた=
2)  イギリス王室への忠誠の宣誓
3)  自由国の初代総督がイギリス人に内定したこと
4)  南部海岸にイギリスの海軍基地が残る以上の項目をデ・ヴァレラは激しく攻撃し、共和国への道を閉ざすものだと非難す。

交渉を他人任せにしておきながら、今更なんだと言う気がするのですが・・・

尚、条約の作成に関与したのは次の人物;
・ デビッド・ロイド・ジョージ /イギリスの旗首相イギリス側代表

  • 初代バーケンヘッド伯爵フレデリック・エドウィン・スミス / イギリスの旗
  • ウィンストン・チャーチル / イギリスの旗 植民地相
  • オースティン・チェンバレン / イギリスの旗
  • ゴードン・ヘワート / イギリスの旗
  • アーサー・グリフィス / アイルランドの旗 アイルランド側使節の代表
  • マイケル・コリンズ, TD / アイルランドの旗 アイルランド共和国暫定政府の財政大臣、アイルランド共和同盟(IRB)のリーダー
  • ロバート・バートン / アイルランドの旗
  • イーモン・ダガン / アイルランドの旗
  • ジョージ・ギャヴァン・ダフィ / アイルランドの旗

それはともかく、グリフィス、コリンズらはアイルランドの「自由を達成する自由」を得た、共和国は自由国を通じて達成出来る、と主張してデ・ヴァレラと対立する。 しかし、グリフィス、コリンズら(条約派)の主張が現実的で実際的であるのに対し、デ・ヴァレラ(共和派)は条約を拒否して、その後どうするのか、という具体的な方策をもっていなかった。 しかし、1922年の交渉批准後、デ・ヴァレラとシン・フェイン党の条約反対派はドイル・エアランを離れ、独自の政府を樹立しようとした。 このためドイルを抜けたデ・ヴァレラに代わり、アーサー・グリフィスが議長に選ばれる・・・・・・・

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===== 続く =====

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