『光の剣』_闘争の系譜 Ⅱ_11

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デ・ヴァレラのもとにおける新憲法
1936年7月、デ・ヴァレラは王に任命されたアイルランド首相という立場から英国王に書簡を送り、新憲法を準備中であると伝えた。 その中で新憲法の骨子が「総督」に代わって「ショールスタット・エレンの大統領」という新しい地位を導入することにあると述べている。 「ショールスタット・エレンの大統領」はまもなく「アイルランド大統領」に言い換えられ、デ・ヴァレラによってアイルランド語で「アイルランド憲法」を意味する「ブンレアハト・ナ・エレン」 (Bunreacht na hÉireann) と名づけられた新憲法の柱となった。 この憲法の中にはデ・ヴァレラの考える「憲法的土着性」(Constitutional Autochthony) といわれる法的な形を持った民族主義が盛り込まれていた。 それは以下のような骨子ものであった。

・「エール」という新国名
・アイルランド島は本来1つの領域であるとし、イギリスによる分割の不当性を主張
・英国王の任命による総督に代わり、アイルランド大統領がアイルランドの最高権力者となる
・長い間イギリスによって差別され、抑圧を受けたカトリック教会へ特別な地位を与えること
・離婚の禁止などカトリックの結婚観の法制化
・英語と並んでアイルランド語を国語とする
・ドイル・エアラン(上院)、ティーショック(首相)など公式用語にアイルランド語を積極使用

このような「憲法的土着性」を示すことで、アイルランドはカトリックでもないし、国教会派でもない、ゲール同盟派でも王党派でもないという新方向をデ・ヴァレラは志向し、英国に通告した。

その後、デ・ヴァレラは労働党や国民同盟と提携して反対派の結集に全力を注ぐ。 一方、コスグレーブは様々な経済改革を行い、一応成功はしたが、貧しくて保守的なアイルランドでは不評も多くあった。 その頃 アメリカを震源とする世界恐慌が発生し、瞬く間に 世界が不況の泥沼に転落する。 もっぱらイギリスとの貿易に依存していたアイルランド経済は、イギリスの経済危機に伴って大打撃を受けて行く。 失業者が増加し、社会不安の拡大と共にIRAが活動を再開し、政治的要求を突き付けて行った。 こうした政府不信・政策反対運動に対して、コスグレーブはまたも強圧的な手段に訴えるが、内戦の時とは違い、今度は致命的に評判を落としてしまった。  そして 1932年2月、総選挙が行われる。テ・ヴァレラとフィアナ・フェイル党は、この期に下記の政策綱領で国民に訴える。

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1. 忠誠条項の破棄
2. 農民が支払う土地代金支払いをアイルランド自由国が徴収する
※イギリス統治時代に農地改革が行われ、小作農に農地が払い下げられたが、その総額300万ポンドにおよぶ年賦はイギリス政府に対して支払われていた。
3. その他、アイルランド経済におけるイギリスの影響力の排除
4. 国内産業育成のための保護貿易主義
5. 雇用の確保
6. ゲール語(アイルランドの土着語)の復活
7. アルスターとの統一

一方、政権の維持を固守しようと コスグレーブは、「忠誠条項もアルスターも、今はそれどころではない。重要なのは経済の回復である」と主張。 ついでに、「アイルランドはモスクワの支援は必要ない」とフィアナ・フェイル党を暗に罵りだした。 デ・ヴァレラは共産主義者ではないが、上記第二項の土地代金の支払いに関する主張を初めとする経済政策に関する主張が、共産主義的政策であると広く誤解させるフィアナ・フェイル党の政策綱領を逆手に取る演説で攻撃に出る。  選挙は、批難合戦になったものと思われる。 その選挙の結果、フィアナ・フェイル党は、労働党との連携で79議席=フィアナ・フェイル72、労働党7労働党は人気の無い小政党)=を獲得。ついに過半数を制し政権を獲得した。 そして、10年の雌伏を経たデ・ヴァレラは、ついにアイルランド自由国首相に就任した。

また戦争
コスグレーブ内閣の経済改革により、アイルランドの中産階級はかなりの恩恵を受けましたが、その一方で、下層階級では不満が蓄積していた。 デ・ヴァレラはそうした不満を汲み取り、下層階級の救済に重点を置いた政策を実行に移した。 公務員の給与をカットする一方、公約通り、イギリスに対する土地年賦の支払いを停止した。 この土地年賦の支払いは、和平条約では支払いが免除されていたのだが、アルスター紛争にからむ財政協定の中で、公債分担義務の例外として、なぜか支払い義務が生じていたものだった。

イギリスは協定に従って支払いを強く要求したが、デ・ヴァレラは、アイルランド議会で一度も審議されていない財政協定は無効であると主張。 イギリス側は、アイルランドの農産物に対する輸入関税引き上げの報復措置をとったが、デ・ヴァレラもイギリスからの輸入品全ての関税を引き上げたため、「経済戦争」が始まる。 この「経済戦争」で打撃を受けたのは、はっきり言ってアイルランド側だけであり、ただでさえ脆弱なアイルランドの経済は壊滅的打撃をこうむった。 が、それでもデ・ヴァレラは、自らの政策、アイルランドからのイギリスの経済的影響力の排除と、自給自足のための国内産業の育成、には好都合だと考え 政策の転換は計らなかった。

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  その間、旧来の土地年賦徴収は再開されたが、デ・ヴァレラの政権はイギリス側には支払わず、貧困救済事業の財源にその徴収金額を転用した。 このような「経済戦争」は1938年まで続いたが、この間 デ・ヴアレラは、イギリスから総督を指名する権利を獲得した上に、念願だっ
た忠誠条項の削除も達成している。 また、1932年以降、アイルランド自由国が国際連盟の理事国になり、国際的な発言力が増したことも追い風でした。 国内では、生活苦に悩みながらもアイルランド市民はデ・ヴァレラ政権を支持し、1933年の選挙で、フィアナ・フェイル党はさらに議席を伸ばしてる。

そして1937年、イギリスで、あの有名なエドワード八世の「王冠を賭けた恋」事件が発生しました。 このような場合、イギリスの法律によると、各自治領、自由国はイギリス議会に対して、国王の退位に関する法律の制定を形式的に要請しなければならないことになっていましたが、デ・ヴァレラに主導されるアイルランド議会は要請を行わず、勝手にエドワード八世の退位を承認したあげく、新国王の権限を「イギリスとの協調関係の象徴」として大幅に削減した。 その上で、憲法改正によって、イギリス国王によって任命される総督を選挙によって選ばれる大統領に置き換え、国名をアイルランド自由国から「エール」に変更した。

初代大統領には、ゲール語復活運動で有名なダグラス・ハイド博士が就任し、アイルランド自由国は「エール『共和国』」として再出発を果たしたのだ。 この時点では、厳密に言ってアイルランドはまだ「共和国」になったわけではなく、憲法にも「共和国」という言葉は使用しておらず、イギリス連邦の枠内から離れたわけではなかったので、イギリス側はアイルランド側の意向を全面的に受け入れたが、ここでデ・ヴァレラは、とんでもないミスをしでかしてしまう・・・・・・

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===== 続く =====

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