小説・耶律大石 第一章(15)

2015-02-09_03

 「そうよ なー  それにしても、何蕎・・・・・チムギ殿は西蔵のラマが言う 観音菩薩かも知れん、だが 夜回りのとき 一度 観音菩薩様が長剣を振っておられるのを見た。 隙の無い動きをされていたが ウイグルのおなごは恐ろしいかも知れんなー 」と宇阮が物思いから我に返ったのか呟いた。 そして、石隻也を見据えて 言う。

「話は違うが、楚詞王子の拳法は 並ではないらしい、 五台山の免許皆伝 嵩山少林寺の正統。 隻也よ、一つ 正式の弟子入りしてみてはどうかのー 24時間 王子殿の身近でお世話できるというものだが・・・・」

「それは 耳寄りな話。 時さまより弓矢の手ほどきを受け、 嵩山少林寺の拳法を身に付ければ・・・・・して、 私くしのような下僕が・・・・楚詞王子に直接 お願いの頭を下げる訳にはいかず・・・・ 」

「今は我らは大石総師の将兵。 歳の上下はあろうが、みな下僕と言えば下僕で楚詞さまとて同じ思いであろう。 まして、体技の収得に また 研鑚に何の遠慮があろうか。 よし、話は決まった。 統師さまにそれとなく耳打ちをしておくが、 隻也よ おぬしは 時に頭を下げて、お願いしろ。 時のこと、 ひと肌もふた肌もぬいでくれよう 」         「あのー 欽殿・・・ 私の名前も ソノー 時殿にお願いできませんか・・・・ 」

「これは つい、隻也と話し込み、失礼いたした。 先ほどの話より、明日からの事、 お任せすると共に大いに安堵しており、 また 拳法を身に着けたいとのお話 楚詞王子に限って 拒まれることはないでしょう。 隻也と競われるは お互いに修得の早道かも知れん。 それに、天狗党の総統を辞任されている時の事、 喜ばないことは決して あるまい」

「それは 嬉しい 私も西夏にぐずぐずせずに 欽殿の責務の目鼻が立てば、直ちに 時殿が帰還されるまでに 我々の城にはいりましょう 隻也弟よ おねがいしますよ 」

 

「明日も 早立ち 隻也よ、一時会えぬが 無理をするなよ いや、楚詞王子のお傍なら・・・いやいや、お傍に居るから おまえの張り切りすぎが心配になる・・・・お開きにしよう 何蕎殿 明日からのこと よろしく、な・・・」

「殿はよしてください・・・・・・、とにかく セデキ・ウルフさまが総て差配してくださるでしょう。 安心して、西夏に向かいましょう」

2015-02-08_03

  寒風すさび 星煌々と天空に在り、見渡す限りの荒野の中 耶律大石を信奉する四名の騎馬武者姿が談笑していた。 彼等が囲む炎を中心に よく見ると8ヶ所の竃を作り、流木を燃やして暖を取りながら 騎馬武者50名が取り囲んでいる。 流木が燻ぶる円陣の外側には繋がれた馬60余頭が 星の明るさの下で休んでいた。 明日から、欽宇阮が20騎の将兵を率いて西夏の都に向かう。 何蕎が案内するのである。 耶律磨魯古が残る将兵30騎と兵馬を率いて、蒙古高原の北庭都護府・可敦城に兵糧を運び込むのだが、耶律磨魯古の出発は、石隻也が包頭で買い付ける燃える石が揃ってからであり、石隻也は包頭を経て燕京に向かうのである。

1224年12月15日 その日の朝、日はすでに昇り、黄河の河原は東方の地平に太陽が赤く染める帯状の薄い雲が在った。 左手には薄明りの中に陰山が低い地形で横たわり、右手の南方には灌木らしき遮蔽の奥にオルドスの丘陵が覗えた。 鳥加河の河原で仮設のパオから眠気眼を擦りながら将兵が三々五々と河原に消えて行く頃・・・・・

小一時間前、 昇り来た太陽が 赤く燃える雲間に 黄金の線光放っていた。 耶律大石は朝餉を取っていた。 薄い雲があり、寒気は厳しいが刻一刻とその厳しさが和らぐような日和であった。 彼の表情は穏やか、安堵の思いが表情に出ていたのかも知れない。 一昨夜の未明 腹心の耶律時が選りすぐれの若き勇者・騎馬武者20名を引き連れて去って以来の連絡があった。 二十二日目に連絡の将が牧民に姿を変えて伝達に現れたのだ。

この一ヶ月の間 事が露呈することに 大石は万全の配慮をしてきている。 露呈すれば天祚皇帝への対応は 総べてが、欺瞞に成ってしまう。 自己を貫くにはこの方法しかなく、これから起こそうとする行動以外にないと確信し 不動であった。 しかし、心の片隅に、帝都燕京に向かった秦王・耶律定皇太子への哀憐はあった。 天祚帝の理不尽な振る舞いで殺害された皇太子の生母蕭徳妃皇后との約束を思えば、 また 蕭徳妃皇后の切実な懇願を いや 拝命した約束を履行できなった己を取り巻く状況に沈黙を守って来た。 己の心中に蠢く怒りが静まる事は無いと自覚している。 自覚するが故に、天祚帝の顔を見れば直言して天祚帝の責を 言葉鋭く 攻めて来たのだ。

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昨夜、帝都に向かった時が寄越した連絡は、その耶律定皇太子一行の事であった。 金軍の動向偵察に向かった先遣隊の兵が牧民に変装して時の情報をもたらしたのだ。 今や燕京は阿骨打に開城した北稜の臣たちで満ち、少数の侵略者である金の諸将に従僕していると伝えてきた。 予測できたことである。 ただ、今は 阿骨打に従足する将軍に変転している耶律余睹が長城を越えてきた皇子に秘密の使者を送り、「軍門に降るか西蔵か西夏に亡命するしか身を置く場所がない」と助言したと言う。 秦王を養護して燕京に入城しようとした耶律阿思は、この内密の助言に 率いる50数名の将兵と共に西に向ったが、太行山脈の山中にて全員殺害されたとの報告であった。

耶律大石は夜明けと共に伝書鳩を燕京の安禄明に放ち、引退している耶律資忠老将軍から耶律定皇太子一行に関する情報の確認と殺害の追認してもらいたいと依頼の文を送ったのだ。 親友禄明からの伝鳩がもたらす返書によって彼の憂いはすべて消え、ここ一か月の配慮と行動への最終的な結論がくだせると思いつつ、東方の天空に消えて行った鳩を見送っていた。 寒気が身を刺す。 石隻也を燕京に走らせたが、彼の脚でも二三日後の到着になろう。 鳥加河での蒙古高原可敦城に運び込む兵糧の手配が順調でなければ、更に遅くなる。 今、大石には決断すべき北帰を決行する日への情報が欲しかった。

2015-02-08_05

===== 続く =====

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