小説・耶律大石 第二章(03節)

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 北庭都護府・可敦城を目指して陰山山脈西端域の谷筋を遡行する隊商交易路を蒙古高原へと北上する一行。 後方を 耶律楚詞、石ツムギを両側にして耶律大石が ゆっくりと 白馬を歩ませた。 白馬の名は“華麟”、駿馬である。 緩やかな坂道続いていた。 昨日は そそり立つ岩壁が両岸から迫りくる廊下状の谷底の坂道を終日登りつめた。 日が差し込まない陰湿な谷底だった。 一昨日の午後、人の笑い声を確かめに行った曹舜と畢厳劉が耶律磨魯古を伴って乱舞する雪の白き幕を突いて 駆け降って来て話すに、小一時間ほど登り行けば 谷は狭まり両岸は岩壁が迫る場所に至るとのこと。  三十騎の将兵と60頭の馬の運送隊はその岩の廊下が始まる地点を野営地とすべく、整地しているとの事であった。 大石一行がその場所に合流した折には、適当な岩穴をもつ広場に燃える“黒き岩”を砕いて、燃やす炉が小さな炎を上げていた。 流木などは一切見当たらず、石隻也が手配した“黒き岩”が無ければ大石一行はともかくとしても 耶律磨魯古が率いる一隊は凍えてしまったであろう。 向うべき前方を覗えば、小雪が舞う谷、その谷底に足を踏み入れるには 日中とて勇気がいるようであった。 ここの野営地は、鳥加河にて遊牧民が教えてくれていたという。 この先の陰湿なゴルジュ帯を抜けるには半日を要するとの事である。

 

翌日、大石一行が先行して陰湿なゴルジュ帯を登行した。 先頭を曹舜と厳劉兄弟、耶律遥が進む。 耶律大石、耶律楚詞、石チムギと続き 何亨理と耶律磨魯古が一隊を率いて後続して行った。 両岸 そそり立つ岩壁が迫る。 一頭ずつ足元を確認しつつ、薄氷が張り詰めた岩肌を踏んでの登行を強いられる箇所が髄所にあった。 大石と楚詞がチムギの馬を挟み込むように登って行く。

その夜も鳥加河にて聞き込んだ岩の廊下の上部出口近くの野営地で横に成り、暖をとった。 燃える黒い石が無ければ、この酷寒の時期に陰山山脈を越えるなどできるものではない。 大石は五原東方の包頭村落の近隣の原野にこの燃える黒い石が産出する事を聞き知っており、石隻也に調べさせ、調達させていたのだ。

 

今朝、その野営地を早朝にたち 開けた蛇行する谷を登っている。 耶律遥と耶律磨魯古が先行している。 諸将三十騎が兵糧を積んだ60頭を囲むように続く。 大石たちが最後尾で登って行く。 刻々と前方が開け、隊商路の傾斜が緩んできた。 日が天空頭上に現れ出した頃、「大石様―、 統師さまー、 着きました。 着きました、早く、早く・・・」と耶律遥の叫び声が届いた。 陰山山脈西端部の谷筋を登り詰めたのであろう。

小半時の後、大石、チムギ、楚詞が開けた空間の峠に立った。 峠と言っても前方にはだらだらと登り気味の隊商路らしき道跡が伸びていた。 周辺は、浅い雪に覆われた草原、その表面をキラキラと太陽が輝かせている。 100mほど先であろうか 耶律磨魯古が率いる60頭の荷を積む馬。 その周囲には30名の兵士と 北遼軍事統師の印旗を高く掲げる曹舜、畢厳劉、何亨理が皮と毛で作った遮光ネガネをして 先頭を進んでいた。

耶律遥の姿が見えぬが 一人、その先の確認に先行しているのであろう。

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 大石一行が蒙古高原にあしを踏み入れたころ 石隻也は五原から燕京に向かい、旧主である安禄明への委細報告を済ませ、チムギの父・石抹言のセデキ・ウルフへの親書 と安禄明の父・安禄衝の文を油紙に慎重に包み、衣服の襟に縫込み込んだ服の上に 狼の毛皮の半衣着込む旅姿で 太行山脈を越えていた。 石隻也は鳥加河での兵糧の手配と集積任務を終え、可敦城への運搬と搬入の任務を担う耶律磨魯古に全て移管していた。 帝都の政商・安禄衝の豪商家培った経験が役に立った。 彼には商人の知恵と持って生まれた敏捷性が備わっていた。

太行山脈は彼にとって 初めて足を踏み入れる地域の通過であったが、安禄衝の執事である父の証書と 安禄衝が裏書きする通行手形が有効に働き、旅の滞りは無く、進んでいた。 西夏では 興慶に入っている何蕎と欽宇 阮に会い、 康阮殿 康這殿の御兄弟の動向や 西夏潜伏の方策 等を耶律大石に報告する使命を負っていた。

 

峠を離れ、何時しか上下のない草原地帯を一隊は北進していた。 大石とチムギに楚詞が先頭に三馬が並び、曹舜、畢厳劉、何亨理の騎馬が統師旗を掲げ続いている。 その後を耶律磨魯古が率いる三十騎の諸将が兵糧を積む60頭馬追い立てて行く。 大きな太陽が傾き、薄く残る草原の雪面を照らしていた。

「統師さまー、統師さまー」と遠方より先行する耶律遥の声が流れてきた、 その声に釣られた大石、楚詞、ツムギは前方を眺めた。 傾いた太陽の下の地平に、黒い点を見いだした。 その黒い点に歩みを速めた一隊が一直線に進んで行き 黒い点と一体と成った。 遥が指し示した遠方に砦のような陰影が覗えたが、遥が立つ足元よりその陰影に近づくまでの草原は起伏が大きく、河川のように蛇行している幅の広い窪みも現れ消えていた。

一行は速度を速めて目指す陰影に前進した。 大きな太陽が燃えてその傾きを増して行く。 木で作られているらしい城壁が確認できる地点で 日が落ち始める、西の空が燃えた。 その残光に赤く照らされた大石が大きな窪みに馬を進め、その窪を野営地にすると遥に伝えた。

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  五原の王庭を離れた耶律大石、耶律楚詞、石チムギが先行する耶律遥、曹舜・厳劉兄弟と何亨理にバヤンノールの 臨河村落で落ち合い、旅の支度を整えて北西に間道を辿って北庭都護府・可敦城への交易路に向かったのは七日前であった。 厳冬期の騎馬での旅、隊商宿無き陰山越えの旅程は過酷。 馬の食料、野営の暖、生理の処理からしてマイナス40度の世界では、まして 女性のチムギには拷問であった。 陰山山脈の山中で、耶律磨魯古が率いる兵糧運搬先遣隊の三十騎と60頭の兵馬は鳥加河から隊商路を北上した五日目に大石一行が追いついたのであった。 そして、ゆとりが生まれた大石一行が先遣隊と共に蒙古高原に辿り着き、可敦城の城壁が確認できる大きな 窪みで野営している。

  陰山を抜けて出た時 広大無辺の白き大海に狂喜したツムギを楚詞は 今 思い出している。 一時の前 彼は一人で窪みを抜け出し、拳法の型を復し その動作に専念して 一汗かいていた。 今はその余韻を楽しんでいる。 陰山の山裾が緩やかに足元まで続いている。 星空が二夜続いて こぼれんばかりの見事さである。 その肌を刺す静寂の中、楚詞は寒気を大きく吸い、ゆっくりと吐き また吸っている。 戻ろうとした視線の先に、 窪みの底に繋がれている馬群の近くで 剣を振るツムギの姿があった。 青白き半月がそれを認めさせてくれた。 彼の中に 彼女への愛おしさがこみあげて来たようである。

 

日が昇る前に朝餉を終えた兵士たちは もどがしげに荷を馬に積み、勇んで窪地を離れようと 進み始めた。 大石は笑みを浮かべ、 その群れの中にいる曹舜、畢厳劉、何亨理と耶律遥を呼んだ。 四名が馬を曳いて 駆けるように大石の傍に寄ってきた。

「今から、騎馬にて 曹舜、畢厳劉、何亨理、耶律遥と 楚詞 五名は この窪みの底を砦の方向に進んでもらおう。 一人は必ず、上部で砦の方向を確認しながら進み、大きく枝分かれがあれば 別れるもよし。  楚詞は四名の動きに目をそらせずに、全体を見てもらおう。 我らはゆっくりと駒を進める。 日が落ちる前に あの砦に着けるであろう。 磨魯古が率いる兵糧運搬先遣隊は楚詞を追いつつ、夕刻までには どの道を進もうとも 砦に入ってもらう。 今宵は 我々が城の開城祝いじゃー」

「遥 なんだか 嬉しそうな顔をして おるのぉー」  「はい、統師さま、楚詞皇子と 行動できるかと 思えば・・・はい 」

「オォ、 武者と荷が上で待っておるわー  チムギ殿 いきましょうかな 」

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===== 続く =====

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