小説・耶律大石 第二章(12節)

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 宿の主人に耶律康這が宋江の名を知らせたのであろう、主人が直ちに挨拶に現れ 酒席が整う小奇麗な部屋に案内した。 紫檀の円卓に椅子が六脚、見事な陶磁器が四隅に置かれていた。 床全体が暖かいオンドルなのであろうか心地よい。 主人は河南のような魚は無いが、鳥で整えましょうとピータンの前妻と狼酒を卓上において出て行った。 互いの盃に狼酒を注ぎ合い、宋江が話し始めた。

「耶律大石殿の手紙を拝読したのは、確か 四年ほど前の事。 以来、何かにつけて遼の動向をあらゆる事に通じている美型の燕靑に探らせ、情報を集めました。 彼は美型が故に宋の宮廷に上がる女官と通じており、宋の内情が我々の手に漏れて来ていたのです。 また、配下の慕容彦達、彼の妹は宋軍の将軍で西京河南府(洛陽)の長官の妻であることより宋軍の動向は手に取るありさまだったのです」 耶律康阮と康這は手酌で、また 宋江の盃を満たしつつ 聞き 頷いている。

「時折、燕靑が知った情報を燕京の耶律抹只殿にお伝えし、また 耶律抹只殿の耳に入れておりました。 更には 時折、宋軍が北進するとの情報に接すれば 早駆けで燕京に知らせた上で 慕容彦達に進軍路を確認させ 虐げられている村民や土地の破落者を扇動しては、宋軍の背面を攪乱していたのです」

「ある日、確か 3年前の2月初旬の事であったと思い出しますが、天祚帝が山西大同にある雲中の陰山に逃亡し、耶律大石殿が遼の宰相李処温と共に、蕭乾と張琳と計らい 秦晋王・耶律淳さまを「北遼」の皇帝として擁立した事は鮮明に覚えております。 耶律大石殿が立たれたか・・・・ しかし、その半年後に 燕靑が聞き及んだ確かな情報《李処温が政策面で耶律大石殿らと対立、宋と手を組んで謀反を計画》を知らせて来たのです。 そこで、梁山泊の総力を挙げて調べたのです。 すると、李処温は秦王と蕭徳妃の身柄を確保し、 あろうことか、北宋軍総帥であの宦官の童貫と内通している事実を掴みました。 謀反の企ては、時を待たずに進行しているようだったのです。 耶律大石殿に知らせねばと 私くし自ら馬を飛ばし 燕京に向ったのですが、耶律大石殿が阿骨打に捉われていると知ったのです。 無論、この情報は耶律抹只殿に密かに伝えたのです」

「そこまで、我々に肩入れしてくだされていたのですか、知りませんでした」と また、 耶律康這は「それゆえ、蕭乾さまが李処温の動きをなにかと封じ、居庸関長城に囚われの総師さまが帰城と同時の天誅を下されたのですね」と 兄弟の目は親愛の光を帯びて、宋江を見詰めている。

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 「燕京には、安禄衝殿がおられます。 かのソグド人安禄山の末裔に当たられる方、 我々の《光明の父》がお言葉を伝える先導師なのです。 耶律大石殿を推挙されたのでしょうが、それはさて置き 彼の助言で阿骨打の耳に入る様に、燕京の巷の風説として 《李処温が目論む童貫との北遼への謀反と さらに 金とも密通している》と いたる所で吹聴して回ったのです」

「ウムー、 確かに、総師大石さまが居庸関の金軍基地を脱出せれたと同時に、蕭幹らが謀反を露呈して 子の李奭とともに李処温を処刑している。 また、五原の王庭にて 天祚帝に拝謁した総師大石さまは、胸を張って李処温らの粛清理由を説明した上で、天祚帝の自己中心で民を慰撫する政治を執り行わなかった責を言及されていた」

「その後、私くしは、金の女真が我がもの顔で闊歩する燕京 また 金の阿骨打に尾を振り諂う遼の武将や官人に嫌気がさしたと中京大定府に隠居される耶律抹只殿と別れの盃を交わしたり、 安禄衝の紹介で引退されている老将軍の耶律尚さま宅で時を過ごしたりと阿骨打の政つりごとを見ておりました。 偶然、耶律余睹殿とも知り合う機会があり、話を交わしておりますが お会いする度に余睹殿は憂いが増していると感じておりますが・・・・」

「さすがに、梁山泊の豪傑たちを率いておられる宋江さま、交友の幅が日々広まっていくのですね。 羨ましいが、耶律余睹は遼の皇族でありながら阿骨打の手綱を曳く身に自分を貶めた人物。 私くしには高位の武将だが、顔すら見たくない人となっている」

「そのように言われるものではない、耶律康這殿は まだ お若い。 聞けば遼への忠臣の情は天祚帝に打ち砕かれたようですね・・・・・・・私くしは、安禄衝さまより

ウイグル族の長 契丹貴族蕭氏の要であられる石抹言にぜひ会って於けと言われ、昵懇にして頂きました。 無論、ご子息の石抹胡呂殿 また 安禄明殿とは直ちに竹馬の如き遊行を楽しみ、彼等が誉めそやして止まない耶律大石殿に一見せねばと心に誓ったのです」

「やっと、総師さまの話がでてきました・・・・・・ これは、失言・・・・・」

 阿骨打 1

「今宵のお酒は美味しい、また 宿の主人が差配した鶏の肉 柔らかくて口に会う。 耶律康阮殿、この小麦で作った菜は遊牧の民の料理であろうか・・・・昨年の初め、安禄明殿の屋敷で石隻也と言う若者に会った。 耶律大石殿の命で旧主への連絡に立ち寄ったと言っていた。 その折に、耶律大石殿が無事に北庭都護府・可敦城に入られたと知ったのです。 自由の身で居られると知った以上、何としてもお会いしたい。 なれば、追うしかないと 寒さが厳しくなった燕京を 一旦 離れ、古巣の梁山泊に舞い戻った」

「一ヶ年半の不在だったが、仲間に語らい、《光の王国》を耶律大石殿と共に築くと決意を述べた。 そして 晁蓋(ちょうがい)を新生梁山泊の初代首領に定めると、大石殿を追って蒙古高原に向かうと決別したのです。 直ちに 燕京に再入して石抹言殿から西夏の重鎮であるセデキ・ウルフ殿への紹介状を拝領したしだいです。 西夏から蒙古高原に脚を踏み入れる事は、愚生はもとより 新生梁山泊にとっても都合が良いわけです 」

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 喉を焼くような狼酒は蒙古高原や満州の大地に相応しい。 契丹や女真の民がコーリャン(高粱)から造る。 白酒(パイチュウ)は雑穀酒であり、宋江の故郷には高粱の茅台酒(マオタイ酒)が名産である。 鄂爾多斯(オルドス)長城の南東に接する望夏邑の商人宿で語らう耶律康阮と康這の兄弟が宋江を挟むように円卓の座している。 小奇麗な部屋な暖かいが外は駱駝すら凍死する寒気である。 春が訪れる、その直前が一番厳しいのであろう。 しかし、部屋の暖かさに増して 三人の身体は狼酒が内部から温めている。 耶律康阮は、宋江に一時前に初めて会い 酒を注ぎ合っているのだ。

宋江は、一見 風采のあがらない小男に視えるが梁山泊の好漢百八人中の序列第一位の好漢と呼ばれた人物。 今は首領の地位を晁蓋に委ね耶律大石の下に向かおうとしている。 康阮は如何にも武将に相応しい巨体、北方遊牧民の顔たちで口髭と顎鬚が一体と成って唇の赤さが目立つ。 康阮の弟康這は西夏の都興慶で宋江に会いったのは五日前であった。 康阮ははち切れんばかりの筋肉が上着を通して知れる身躯、棒術と弓矢の名人である。 四日前の早朝に興慶を出立した康阮と宋江の二人は、黄河右岸の昊忠から長城沿いに交易路を東に旅し、ここ望夏邑に二日前に来ていた。 宋江は酒を 到着以来 身辺から離さないから 子柄とは言え酒豪である。

「宋江殿、我らが軍師 欽宇阮に会われましたかな?」 「欽宇阮殿とな・・・・? いや、興慶のセデキ・ウルフ殿宅に五日ほどお世話になっていましたが・・・・・、何蕎殿からも・・・・・」

「兄者、私は何蕎さまから 宇阮さまの一団は、西蔵に向かうソグドの隊商の護衛として旅に出ていると聞きました。 これはセデキ・ウルフさまのお計らいとのこと。 なんでも、宋の南下、西夏の東進で吐蕃が北東へ勢力を伸ばそうと動き出しているとの事。 いま、金との関係で西夏が表だって吐蕃の動向偵察に向かうわけにゆかず、宇阮さまにその任を依頼されたのです。 二ヶ月を要すると言っておられました 」

「なれば、五月の新緑の折には北庭都護府・可敦城に戻られるわけか、我らの苦労もそれまで続こうと腹を決めねばならぬ」 手にする杯を置いた宋江が髭面をしげしげと見つめ 改めて気づいたと言う風情で・・・・・

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 「似ておられる、その言いよう そして その豪傑髭、いや 褒め言葉ですよ、山東の百姓にはドジョウ髭は生えても虎髭は・・・・・・ いや 失礼。 康阮殿、実は 康這殿が興慶に来られる前にセデキ・ウルフ殿から康阮殿に伝言を頼まれていたのです。 何蕎殿が『居城を持たぬ流浪の大石総師の弱点は兵糧確保』とセデキ・ウルフ殿に申され、康阮殿を興慶に至急に呼ぶようにと、 私は快諾し 梁山泊の呉用をこの地に来るように文を送り、旅の支度をしている内に 康這殿が興慶に来られたしだい 」

「兄者、 そのことを話そうとしていたのですよ・・・・何蕎さまから、兵糧と兄弟の任務の件はセデキ様が総て善処される故 急ぎ兄者を伴ってセデキ様に会えとの伝言でした・・・・・また、宋江殿が同行されると言われたのです 」

「そうであったか、 梁山泊の首領で酒量、失礼、の豪傑が現れた旨は判ったが、先ほど 『似ておられる、その言いよう そして その豪傑髭・・・・』と我が顔に能書きを貼られましたな・・・・・・ いや、この程度の酒では頭脳は冴える一方」と 康阮が問い返した。

「なんの、今 申したように セデキ・ウルフ殿にお会いした翌日 梁山泊の呉用に この地に来るように文を出した。 彼は梁山泊の軍師、荒くれ者が多い梁山泊の中で我が心情を最も良く理解してくれる人物。 江南の方臘討伐は全て彼の献策、また 村民や土地の破落者を扇動しての宋軍後方攪乱など不可能であったろう・・・・元は寒村下に隠棲していた書生だったのだ・・・・・」

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 「セデキ殿は新生梁山泊の晁蓋に宋と金の緩衝地帯、東西の幹線交易路の偵察活動を任せるお積もりらしい。 晁蓋には挙人(郷貢進士)の王進が軍師として仕えている。 王進は武術師範でもあり、彼の命に服する者は多い。 されば、我が軍師の呉用は浮き上がる。 それゆえ、呉用と燕靑を呼び寄せた。 三人で耶律大石殿の夢を支えるつもりでいる・・・・・ 」康阮と康這は圧倒され、ただ 互いに視線を合わせている。

「その呉用が間もなく現れる。 呉用は寡黙だが、口を開けば 猪突猛進 雷獣の叫び。 だが、失敗もすれば冗談も飛ばす。 しかし、手段を選ばない策を用いて失策を逆転する機転など、かえって 仲間内での信頼度は比類がない。 諸葛亮孔明のような神懸り的な人物ではなく、ハッハッハー、失礼、失礼・・・・・、康阮と瓜二つなのです 」

「なれば、私は二人の兄を持つことになる。 楽しみが増えた。 兄者、明日 宋江殿を案内して楡林に戻って下され。 副将の耶律虎古に後を任せて 雁門関から燕雲十六州を北に抜け 三関口長城 鄂爾多斯を横断して沙谷津に渡り、興慶に来てもらいたい。 私は何蕎さまお世話で興慶にて兄者と呉用殿、燕靑殿を出迎えます。 また、宋江殿が懐に納めておられるセデキ・ウルフ殿の文にてから預かった文にて、楡林のウイグルの商屋が虎古以下50余名の兵糧を賄ってくれるはず。 昊忠に居る耶律胡呂には兵糧は心配無用と伝えてあります。 胡呂と虎古との連絡もこの宿にて決まられた日に行うことも」

「承知した。 まだ 宵の口、康這 酒が空に成っている。 それに、当ての追加じゃ・・・・」

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===== 続く =====

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