小説・耶律大石 第二章(16節)

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 「それはそれとして、今 お聞きした史孫勝の隊商隊は義兄の欽宇阮が警護している以上、如何なる場所へも商いと在らば向かうであろうし、 彼とて棒術の使い手 西蔵方面に向う以上は腕に自慢の隊員を選んでおりましょう。 セデキさま、他になにか憂いが・・・・・」

「今朝ほど、我らが李乾順王との会談で、国王は酒泉の事を痛く心配しておられた。 酒泉城塞の事ではなく、城塞近郊のソグドの村邑が吐蕃兵団の襲来で破壊されれば国政に齟齬を来たすと申されたのだ。 ソヅドの民は古来より心魂は勇者、女 子供までも吐蕃の刃に立ち向かうであろう。 されば、自滅か四散か 我が交易の手足がもぎ取られる事に成る」

「常ならば、西夏の兵団を西に向ければよいのだが、金の阿骨打が宋を南に追い込んでいる今、我が国に正式な外交使者を送り込み 五原の天祚皇帝が動向を探っている。  少数の騎兵でも蘭州や武威方面に動かせば、燕雲十六州を統括する耶律余睹が兵をこちらにむけるであろう。 阿骨打に家族を人質に取られている余睹将軍は遮二無二に功を計るであろう」

「我らが一門であり、高原に居られる大石統帥や楚詞皇子と血が近い皇族である余睹将軍が如何なる思い出おれようと、敵として立ち会わねばならぬお人。 刃を交わしたくはない・・・・・」と耶律康阮が康這に相槌を求めるように横を向き、目を閉じていた呉用が隣りに座る宋江に向けて、「統領、二人を呼んだのはこの件ですかい、康阮兄を燕雲十六州から遠ざけ、我と燕靑が金と宋の動きを調べ、五原に動きがあれば、金が知る前に西夏が動き 宋との連絡を隔絶する 」

「なるほど、 康阮殿や康這には、バカでのチョンでも 一門の統領たる 未だに遼の天祚皇帝と名乗る人物が宋に逃げ込む情報を掴んでも手は出せない。 我らなら、金の雑兵に密告すれば 山中のどこかで暗殺されようと知らぬが半介 」と燕靑は独り言のように、いや 全員に聞こえるようにと小さい声ながら明確に吐いた。

「流石に、梁山泊の天巧星とよばれる燕靑殿。 一昨日 呉用殿とこの興慶に参られ、ゆっくりと話しを交わす時が無かったのに 今 寸時の話で要点を射抜かれた。 康阮殿、実を申せば、宋江殿が来られ、種々のお話を伺っている内に、呉用殿が指摘された策に考え至り その策の実施について、宋江殿に相談したところ 梁山泊のお二人を文にて下向を促されたのです。 ところで、康阮殿は いかが 思われる。 今 申した策は、我が独断専行であるだろうか?・・・・ 大石統帥には 一切知らせていないし、勿論 康這殿にはなのも相談していない。 先般 何蕎を通じて今後の兵糧と密偵は心配無用とだけしか伝えていないのだから・・・・・ 」とセデキがこの日までの経緯を淡々と披歴した。

 「伺っております。 先日、宋江さまをご案内して兄と望夏邑であった折、委細は伝えております。 従いまして、兄が宋江さまと楡林を離れる際には部下の諸将に兵糧の件は申し送りしているはずです。 ご高配には、お礼の他に言葉がありません 」  「そこで、相談したい事とは・・・・・」とセデキ・ウルフが身を乗り出した。

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 セデキ・ウルフが話す経緯に耶律康阮と康這の兄弟、セデキの重鎮であった何蕎、梁山泊を離れた宋江、呉用、燕靑の六名が車座で聞き入っていた。 この寄り集まりの核心へと、進んで行くであろう。 康阮と康這兄弟は車座の要であるセデキに注目している。 宋江と呉用は目を閉じ、何蕎は己の膝に目を落とし 燕靑は中央の果菜を見詰めている。 床の暖かさが腰から伝わり、体をほぐし 空気すら和らげている。

「何蕎、康阮殿が率いられる将兵は40名 康這殿も同数であったな 」  「間違いはありません。 確かに、武具を揃える騎馬武者でございます。 控えの馬はそれぞれ十頭と聞いております 」

「間違いございません。 欽宇阮が20名を率いて 合わせて百名がセデキ殿、いや丞相殿のお世話を賜り、興慶にて 春まで陰住しろとの統帥が下知でございました」  「康阮殿、耶律大石統帥は厳冬の蒙古高原に居られると聞いたが 取り巻く諸将の数は? 」

「呉用殿、耶律敖盧斡の皇子である耶律楚詞さまを弟のように傍に置かれて、警護の諸将は30名 」  「それは、如何にも少ない。  オルドス以南に100名が春まで待機状態では統帥の身辺が・・・・・・」

「いや、宋江殿。 陰山山麓、五原北東部に砦を築き 金軍への備えに50騎が伏せております。 また、統帥の右腕である参謀 耶律時が常に20騎の精鋭を率いて長城に沿って伏せています。 また、 蒙古高原の東部で金に尾を振るタタルの虚を突いて、大興山脈に入り込めば 我らが契丹の故地。 北への回路は自ずと開けます 」

「耶律時???・・・・確か、耶律時とな・・・・ 確か、詩人で武将の耶律良殿の正嗣と覚えるが・・・・康這、違ったかな・・・もし そうであるならば、確か二人兄弟のはず。 もし そのようでれば、耶律良殿には恩義がある。 貧家の出身であった良殿が南山に入って習業を積まれて居られた時の事、 血気盛んで、宋の高官に噛みついていた俺は、官警に追われるこの身を南山に逃れた。 そこで 耶律良殿に襟首を掴まれ 一喝されたのだが 何も言わずに、匿ってくれた。 以来、陰ながら武運を願っていた」

「はい、宋江さま 耶律良殿が南山にて就学されたと伺っております。 そして、耶律良殿は佞臣の耶律撒八がでっち上げた誣告の罪で慙死され、残された時、遥の兄弟を大石統帥さまが引き取られたのです。 そして、遥は統帥さまの親衛隊隊長と自称しておりますがが・・・・・」

「されば、三年前に金の阿骨打に囚われの計略をもって、居庸関の金基地から大石統帥を救いだしたと聞く耶律兄弟とは、耶律良殿の忘れ形見であったか。 呉用、儂は一刻も早く 北庭都護府可敦城に向かう。 呉用と燕靑がおれば 先きほどの策に臍を噛む心配はない。 それに、何蕎が通事として道案内してくれれば一石三鳥だ。 一には、金の間諜がうろつくこの地に大石統帥の息がかかる者は居らぬが良い。 二には、儂は北方の言葉が判らぬし西夏語も話せぬ。 三には、無聊な時を過ごすのは、性に合わぬ」

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 「ハッハッハー、宋江殿 この拙宅の居心地は さようなほどに悪かったとは思いも至らなかった。 何蕎、大石統帥殿への手土産が揃い次第にご案内致せ、文も認めておく。 ついでに、鳥海のチムギに送る衣裳も準備させておく。 さて、話は思わぬ方向に進んだが、康阮殿、康這殿、呉用殿、燕靑殿 無頼の統領は相愛のお人に会いに行くそうな、話をすすめよう」

「セデキ殿、我らは当家にお世話になる寄宿舎。 あれこれと要望を申し上げるは筋ではござらん」

 

「いや、遼の天祚帝の動向は我が西夏を左右する大事。 三国の国境に間諜を放ち、偵察するは、西夏王国が務めである事に異論を挟む余地はない。 この事は李乾順国王も憂慮されており、金の使者が来朝し居座っている事に神経をとがらせられておられる。 早く打開策を献策しろと 今朝ほど 重ねて強く叱咤申された 」

「先ほど、呉用殿が話された、我等 大石統帥の80名が はや二月も三国の緩衝地帯を回遊している。 身元が露呈するには時間の問題かとも愚考します。 されど、野に伏すも 馬や兵糧の問題・・・・・まして、この城郭に蟄居するも金の使者や密偵の目を欺くことは叶わぬ事 」  「俺と燕靑の二人に二十人程の手足があれば、楡林に腰をすえて 網を張り南北の動向を探る・・・・康阮殿、如何 思われる」

「策は良い、 だが、今 話したように北遼の兵ではすぐに顔がわれる・・・・」 「なれば、西夏の間者20名程を呉用殿の配下に回そう。 明日にも可能な容易い事」

「兄者、我らの幾名かを不在中の何蕎さまのお宅に住まわせてもらい、当地に於ける連絡基地にさせてもらい、残る者は陰山の基地に向かうか 時さまの部隊に合流しては如何ですか 」 「康這、兵糧をいかがする。 80余名と兵馬約100頭 春まで二ヶ月もある。 兵站無き戦略など絵に描いた餅じゃ」

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   「丞相さま、王庭から帰られる折に算段された策とはいかがなものだったのですか」

「まず、酒泉のソグド邑を吐藩兵の略奪から如何にして守るか。 欽宇阮殿に蘭州から武威に抜け、酒泉に向かわれるように宮中から 急使を出した。 100名の諸将を黄河沿いの間道を中衛、郭家台、北台子、梁家庄と走らせ 10日で武威に到達、14日目が張掖、16日で酒泉に着かせると伝えてある。 無論、この城下を隠密の出発する必要はある。 金だけではなく西蔵の吐藩も城内に間者を放っておるのは当然であろう。 従って、馬上で思い至った策は、康阮殿の勇者も欽宇阮殿同様に旅に出てもらうしかないという二番煎じの策しかないと結論して帰宅した。 隊商の護衛である。 幸い、アラシャン王府へ遣使一行を向かわせねばならない。 例年 30名の警護兵を連ねて、春が来る前の到達しておる。 旅程に三週間は要する。 また、史孫勝が襲われたと知った商家が 己が送り出す隊商の護衛を交易商府に嘆願して来よう。 等々 考えながら 」

「丞相さま、昊忠にある砦に康阮さまの兵馬を繋ぎ、将兵の方々は昊忠や晟武の商家に散泊し 十数名の方々はオルドス長城の南域を散遊する。 隊商の護衛の話が挙がれば、その任に就くと言う策はいかがですか・・・・・」

「成れば、話の結論は視えましたな、 セデキ丞相殿、我等70名は直ちに武威に向かいましょう。 康這と残る10名は昊忠にて偵察と連絡の任に就きます。 さすれば、西夏の偵察兵20名を呉用殿にお付け下さい。 楡林に散在する手の者40名と昊忠の30名が黄河の黄庄河原に誰知れず集結するのに四五日、この城下からの諸将30騎と一体になるのは容易な事。 早がけ五日で武威、一週間で酒泉到達は容易な道程。 欽宇阮との合力に齟齬は来たしますまい 」

「セデキ殿、相談事は煮詰まりましたな。 喉が渇き、意のままに言葉が出なくなった。 ここでは百薬で喉を潤すわけには、行くまい。 何蕎どの、忙しくなり申した。 腰を上げて、そろそろ 帰ろうではないか、康阮殿もいかがですかな 」

 

「ハッハッハー、宋江殿 郷に入っては郷に従えとは 貴君が故郷の童子の教えであったと思うが、先ほど下僕にムセレシとシャラプとキミズを準備しておくように申して居る」

「宋江さま、ムセレシとはブドウの酒を鹿の角茸に一年以上漬け込んだ薬酒、サフランとカルダモンの実で香りを高めた王者の薬酒。 シャラプはこの地の棗で醸造した果実酒、キミズは蒙古高原では馬乳酒と呼ぶのであろうが、西夏では駱駝の乳を皮袋に入れて醗酵させた酒。 ムセレシを口にできる機会など王宮の祝宴でしか 望めない宝酒、この機を逃せば 百年の憂いに成りましょう 」

「なれば、先ほどの詳細までをも、相談されるが宜しかろう。 我は喉を潤しながら、拝聴するといたそうか・・・・・・愉快、愉快 」

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