小説・耶律大石 第二章(19節)

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 □状字住居棟の中庭には大きなブドウ棚があった。 今は幹と枝のみの寒々とする風景であるが、 中庭には石が敷かれ、砂塵を立てない工夫のようである。 庇の回廊が四辺を回り、宿泊棟への通路と西側の潜り門で外部と繋がっていた。 潜り門脇の部屋には守衛がいるようである。 したがって、商人としての店構えは鳥海では、一、二であろう。

中庭に現れた二人を見つけたのは石隻也であった。  彼は居室が囲む中庭で拳法の型を演じていた。 宋江が目ざとく見つめる視線を感じた隻也が隣に佇む何蕎に気づいたのである。 急ぎ遥が近づき、「何蕎さん、何時こちらに・・・・、こちらの方は・・・・」と驚きをまじえて言う。 朝夕はいまだに寒く、乾燥している当地方の日陰は肌を刺す。 遥は作務服を着こみ、素足であった。 訪れた二人は、それなりの防寒服を羽織っている。

忠弁亮どのはおられるかな、西夏の公務ではなく友としてお世話になるべく来たと、伝えてもらいたいが、いやいや、 勝手知ったこの屋敷、私が行きましょう。 その前に、隻也はどうしてこちらに・・・・、いや 話はあとじゃな、こちらの方は梁山泊の 宋江殿です。 北庭都護府の可敦城におられる大石統帥に会いに行かれる 」

「隻也と言われるのかな、脚の座りがよいのう。 儂は梁山泊を離れた無頼の宋江。 耶律時の弟御ならば、統帥救出の武勇は聞いておるぞ・・・・」

「隻也、 まずは、主人に挨拶せねばならぬ。 後程 久方ぶりの話をいたそう。 あちらの宿棟の応対間にいるのかな。 一人で行くゆえ、温かい小部屋で 宋江から体術の話など聞かしてもらっていなされ。 勝手に中庭まで侵入した責務など誰も言うまい 」 「何蕎さん、 チムギ殿が滞在されておられる。 それと、今 酒泉から来られたミイ・イムルグと言われる方と話しておられると思いますが・・・・」

「オォー、姫御がおられるか、さては 高原の厳しさに逃げてこられたかな、 いや、 姫御のこと 楚詞どのが居られるのに、逃げ出す事はあり得ぬと思われるが・・・・ セデキ殿も可敦城に居るものと思われており、手土産を預かって来ておるのだ。 委細は後ほどとして、されば、姫御を呼んでおいてくだされ、 宋江どの、では 後ほど・・・・・」

何蕎は中庭から建物間の回廊を戻り、 5,6頭を一塊として50数余頭の駱駝が両膝を屈して砂上に寝ている広場に再び出た。 東側の回廊を西日が照らしている。 先ほど繋ぎ止めた三頭の馬の脇を通り、 ただ 首から上部のみを持ち上げているラクダが群れの中を横切り、東側の宿泊棟の中央部の回廊に立ち 西日が腰の高さまで照らす両開きの扉に声をかけた。 「忠弁亮殿、おられますかな、何蕎です。 興慶から参りました。 忠弁亮殿・・・・」

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 開かれた扉の傍に初老と思われる恰幅がよい人物が笑みを浮かべて、何蕎を室内に誘った。 絨毯が敷かれた部屋である。 奥の隅に書机があり、周囲の壁の前には長椅子が回されている。 部屋の中央には平石を並べた上に四脚の鉄製の炉があり、その炉に黒い石が赤く燃えている。 この隊商宿の主人である忠弁亮が更なる黒い石を継ぎ足しながら、「何蕎さま、よく来られました。 先ほど、下僕が『何蕎さまが客人を伴われて、奥に行かれた』と報告にきたが、火種が弱くなっていたので出迎える前にと・・・・」と親しげに言いつつ歩み寄り、大きく手を広げて何蕎を抱きしめた。

「いや、公務ではないにですから わざわざ・・・・・、」と何蕎もそれに答えて抱擁する。  炉の周囲には黒檀であろうか 重厚な小型添机を持つ椅子が四脚配されている。 忠弁亮はその一つに何蕎を導き、今一度 燃える石が煙を立てていないか確認した後に、扉の傍に佇む見事な、艶のある白い顎鬚を蓄えている人物を手招きした。 「して こちらの御仁は、・・・・」 「自己紹介いたしましょう、酒泉のイムルグ、ミイ・イムルグです。  何蕎さまですね。 先ほど あなた様が西夏の丞相 セデキ・ウルフ殿の信任厚き家僕で、今は 遼の皇族 耶律大石さまに仕えておられると伺ったところです。 久方ぶりに ラクダを引いてこの地に参り、 今日で五日に成りましょうか 」

「酒泉といわれましたな、イムルグさん 気に成る事がございます。 それは、後ほどにお話するとして、弁亮どの 今日は旧主が命じた仕事ではなく、北の耶律大石統帥さまの下へ 客人を案内する途上に一夜をお世話願いたく、立ち寄ったのですが・・・・」 「同行の客人はセデキさまの・・・・・」 「いや、燕京の安禄衝の文を携えて、興慶に参られ セデキさまに大石統帥へ安全な面会を依頼された方なのです」

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 「お話の途中、 誠に失礼ですが 何蕎どの、今 燕京の安禄衝様のお名前を口にされましたな。 禄衝様は我等が総代で在られる大尽方、北が商圏とする弁亮も聞き知っていよう。 シルクロードの我等には神に等しきお方が文を携えて、西夏の丞相にお会いされたのちに北に向かわれるとのこと、如何なるお方か 土産話に聞かせてくれませんか 」  「聞かせるも何もない、イムルグさん 日の暮れる前に お会いし、お知恵を借りなさい 」 「何蕎さま、 なにか ございましたか・・・・・、 申し遅れましたがイムルグさんは酒泉城郭の郊外に入植地を開き、その交易邑地の長を勤めているのだが・・・、 」

「先ほど、見事な白髭と明瞭な鼻梁 深い目窪 それと その 包皮のような白く美しい帽子でソグドの方と判じた上で、 その日焼けした顔より、長旅に慣れ 隊商を率いて来られているからには鳩を携帯されていると考えたのです。 そして、 酒泉に連絡を取らねばと思ったのですが 」 「何蕎さま、 話が見えません。 その客人とイムルグさんとに如何なる関わりが、 また 話では聞いております燕京の安禄衝様とどのような繋がりがあるのですか、 いやはや、気を揉む話をされる 」 「 いや、宋江さまは 今 奥で隻也がお相手しているはず、すぐにでも来ていただこう 」

「安禄衝様と宋江様・・・・・、それに耶律大石統帥さま・・・・ ウゥ・・・・ 宋江様とは、もしや 河南の梁山泊は天魁星の宋江首領ですね、何蕎さま 」と酒泉のミイ・イムルグは宋に楯突く梁山泊の無頼を牽引する巨魁が身近にいる事実に驚きの声をはっして、安禄衝を見つめている。

「誰かあらん、 奥に行って何蕎さまの客人と石隻也さまを 直ちにこちらへ 」と忠弁亮は下僕を走らせ、何蕎に体を向け直して 改めて口を開く 「何蕎さま、 先ほど一夜の世話を頼むと 言われましたな、 お客人が梁山泊の宋江さまと聞くまでのなく 水臭いではございませんか。 大石統帥さまが北帰なされ、私くしを北庭都護府は可敦城の兵糧を賄う者にご推挙して頂いたお礼も 今日まで申しておりません。 お急ぎの旅ではないご様子、 お聞きでしょうがチムギさまも当家にご滞在、家内は王家の作法などを教えてもらっております。 いかがですか、宋江さまのご都合もお在りでしょうが、ひとつ 少なくとも4,5日のご逗留を宋江さまに進言してくだされませんか」

「私くしも、宋江さまより、広州 泉州、福州など 南の話をぜひ聞きたい。 それにしても、唐突に言われました鳩の件、先ほどの伝鳩は旅に出る折は何時も帯同しておりますが・・・・」

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  ところで、今後の展開のために 蛇足なららも、書き添えますが・・・・・シルクロードと呼ばれるルートは大きく三つあった。 中国から北上して、モンゴルやカザフスタンの草原(ステップ地帯)を通り、アラル海やカスピ海の北側から黒海に至る、最も古いとみなされている交易路が「草原の道」。この地に住むスキタイや匈奴、突厥といった多くの遊牧民(騎馬民族)が、文化交流の役割をも担った。

  東トルキスタンを横切って東西を結ぶ隊商路が、リヒトホーフェンが名付けたところの「シルクロード」は「オアシスの道」とも言う。  長安を発って、今日の蘭州市のあたりで黄河を渡り、河西回廊を経て敦煌・酒泉に至る。 ここから先の主要な路線は次の3本である。 西トルキスタン(現在のウズベキスタン、トルキスタンなどを含む地域)以西は多数の路線に分岐している。 このルート上に住んでいたソグド人が、シルクロード交易を支配していたといわれている。 彼らの興亡史が、「西域」「楼蘭」「歴代の中国王朝」を彩った。

 中国の南から海に乗り出し、東シナ海、南シナ海、インド洋を経てインドへ、さらにアラビア半島へと至る海路は「海のシルクロード」とも呼ばれ、宋の時代から活発に成るが、明は朝貢貿易しか認めない海禁政策を取り、鄭和艦隊で知られるように、海上交易路を海賊から保護した。 鄭和はアフリカのマリンディまで航海している。 その後インド洋は、オスマン帝国・マムルーク朝・ヴェネツィア共和国が制海権を握っていたが、16世紀に喜望峰経由でポルトガルが進出し、1509年のディーラ沖海戦で敗れたため、イスラム商人の交易ルートは衰えた。

 ・・・・・・・・・

 宋江と石隻也が下僕に案内され、回廊を渡って広い庭に出た。 先ほど通過したはずなのに、宋江の習癖であろうか 来た折には庭に散在するラクダの数を的確に数え、駱駝の瘤を擬視して それらのラクダの滞在日数を判断したのだが、下僕に急がせられながらも宿舎棟の屋根の構造を駱駝の脇を抜けながら確認している。 向かう前面には 回廊上部の下屋には西向きに鳩小屋が設けられているのを確認している。 下僕はその鳩小屋がある東棟中央部の回廊の部屋に導いた。 そして、声をかけることなく、扉を開き 二人を室内に押しやった。

  室内に三名は待っていたのであろう、 宋江を紫檀の椅子に手招き、石隻也が忠弁亮とミイ・イムルグに宋江を紹介し、相互に初見の挨拶を交わした後 燃え盛る炉を囲んで何蕎、宋江、忠弁亮とミイ・イムルグが紫檀の椅子に座した。 隻也は書机用の椅子を引き寄せ何蕎と宋江の間のやや後ろにそれを置き座した。 全員が相互の顔が見える。

黄河中流

===== 続く =====

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