シオンへの夢と闘争-01-

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 ダビッド・ベン=グリオンとハイム・ヴァイツマン。 イスラエル建国の父にして初代首相のダビッド・ベン=グリオン、化学者でシオニスト運動の指導者のハイム・ヴァイツマン(初代イスラエル大統領)。 二人は、日本ではほとんど知られていない人物でしょう。 中東地域の専門書でも無い限りまず目にしない名前であり、教科書にはまず載っていない名前です。 中東ではまだ果てしない戦いが続いている時ではあり、臭い物にはフタ式に誰も触れたがらないのかも知れません。 しかし、今も戦いが続いているからこそ、彼の事をよく知る必要があるのではないでしょうか?   シオニズムについて 

シオニズムヘブライ語: ציונות‎, Zionism)は、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュイスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動。後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがある。「シオン」(エルサレム市街の丘の名前、英語ではザイオン)の地に帰るという意味である。

本題に入る前に、まず「シオニズム」について簡単に触れておきます。  「ユダヤ人」とは遺伝学的な人種を指す呼称ではなく、一般にはユダヤ教を信仰する人々を指します。 従って、所謂、「ユダヤ系」でもキリスト教徒への改宗者であれば、「ユダヤ人」ではないことになります。 また、エチオピアにもユダヤ教を信仰する少数民族=黒人=が存在していますが、彼らは「ユダヤ人」と認定されています。 ユダヤ人はもともとパレスチナに住んでいましたが、いわゆる「ディアスポラ」でヨーロッパ各地に離散してしまいました。

シオニズム(Zionism)は、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動です。 後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがあります。 “シオン”=エルサレム市街の丘の名前 英語ではザイオン= の地に帰るという意味です。

各地に離散した“ユダヤ人”の苦難の歴史についてはわざわざ触れるまでもありませんが、ユダヤ教の思想は選民意識が強烈であり、ユダヤ人も独自の生活習慣に固執する傾向があって、現地の人々と常に激しい摩擦を起こしました。 また、キリストを告発した民族の子孫ということで、教会の権力が強いヨーロッパではさまざまな迫害を受けたのです。

とは言え、パレスチナにユダヤ人の姿が亡くなったわけではありません。 1518年、トルコ帝国はパレスチナを占領しました。 その後、1520年頃からエルサレム周辺に城壁と門を建設し、この城壁内においてキリスト教徒やユダヤ教徒の居住が許可されました。 この区域が、現在「旧市街」と呼ばれている地域です。 その後、20世紀までパレスチナのムスリムとユダヤ人は、揉め事が皆無とは言えませんが、平和に共存して来ました。

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 宗教的寛容というイスラム教の良き伝統のおかげですが、エルサレムのユダヤ人社会が維持できたのは、「ハルカー」と呼ばれるヨーロッパ各地のユダヤ人からの寄付のおかげでもあります。 19世紀後半になると、西欧では宗教の影響力が減退するにつれて、ユダヤ人の社会的地位が向上して行きます。 しかし、ロシアや東欧 =スラブ人は伝統的に人種偏見は無いのですが、ユダヤ人に対する差別だけは非常に激しかった= ではそうした動きは見られず、1880年代には「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人排斥運動が激化しました。

このような背景の下で、このエルサレム(ユダヤ人の間では「シオンの丘」)に、ユダヤ人国家を再建しようという運動が始まりました。 「シオニズム」という名称が使われ始めたのは、どうやら1890年頃からのようです。 1862年、ドイツ系ユダヤ人、モーゼス・ヘスがその著書の中で、ユダヤ人のエルサレム帰還を説いています。 ただこの本はあまり有名にはならなかったようです。

元来 シオニズムという呼称は、オーストリアの同化ユダヤ人であるナータン・ビルンバウムにより考案され、彼は 思想的にシオニズム指導者であり、ユダヤ人を民族として定義した人物である。

彼は、1881年・1882年のロシアにおけるポグロムはウィーンのユダヤ人社会や世界に衝撃を与え、ブロディ(現ウクライナ西部の都市)などに難民を殺到させたが、ナータン・ビルンバウムはそれらの衝撃の中から活動を起こしていった。 のちにシオニズムではなくディアスポラ民族主義(現在の居住地でユダヤ教徒の権利を獲得し、独自の文化を発展させていく)に傾いていった。

=モーゼス・ヘス(Moses Hess, 1812年6月21日 – 1875年4月6日)は、ドイツのユダヤ系社会主義者、哲学者。 「モーゼス」とヘブライ名で名乗るのは1862年からであり、それまでは「モリッツ」というドイツ名だった。 カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス、フェルディナント・ラッサールとともに、ドイツにおける社会主義の祖とされている。 テオドール・ヘルツルに影響を与えた政治的シオニズムの創設者でもある=

1882年、ロシア系ユダヤ人のレオン・ピンスケルの著書「自力解放」の中で、ユダヤ人が安心して暮らせる「故郷」の必要性を説きましたが、この本もあまり有名になりませんでした。 ヘスの本も「自力解放」も、祖国再建というかっこいい目標を語っていますが、その内容は理想論に終始していて、具体的な方法に関しては言及されていなかったため、「シオニズム」は最初、かなりマイナーな運動であり、故郷を追われたユダヤ人達は、パレスチナではなく、アメリカやオーストラリアへの移住という現実的な選択をしました。

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=レオン・ピンスケル(Leon Pinsker、1821年-1891年)は、ユダヤ人の医師。19世紀末のロシア帝国においてシオニズム運動を展開した。1821年、当時ロシア領であったポーランドで生まれた。 その後、大規模なユダヤ人コミュニティがあった黒海沿岸のオデッサに渡り、大学で法学を学んだ。 しかし、ユダヤ系住民が官吏になることが困難になっていったため、医学の道へと進むことになった。 当時のロシアではユダヤ系住民に対するポグロムが横行していた。 1881年のアレクサンドル2世暗殺は、帝国内の反ユダヤ主義を一層強めた上、新帝アレクサンドル3世はユダヤ系住民の社会進出を阻害する法を制定した。 こうしたなか、匿名で『自力解放/Autoemanzipation』を発行し、ユダヤ人国家の建設を主張した。 また、オデッサを拠点とした「シオンを愛するものたち」の運動を展開した=

しかし、オーストリアのジャーナリスト、テオドール・ヘルツル(1860-1904)が登場すると、状況は大きく変わります。 彼はパリ特派員時代、「ドレフュス事件=フランス陸軍におけるスパイ冤罪事件=」の取材で、これまでユダヤ人には寛容と思われていたフランスにおいても、凶悪な反ユダヤ感情が存在する事を知って強い衝撃を受けました。 そして、ユダヤ人国家の必要性を痛感したヘルツルは、急いで一冊の書物を書き上げました。 これはきわどい偶然で、ヘルツル自身がピンケルの「自力解放」を知っていたら本は書かなかった、と述べている。

=テオドール・ヘルツル(Binyamin Ze’ev Herzl、1860年5月2日 – 1904年7月3日)は、失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした一人。 1968年発行の旧100イスラエル・リラ紙幣から1978年発行の旧10シェケル紙幣まで肖像が使用されていた=

ヘルツルの著書タイトルも「ユダヤ人国家」。100ページちょっとの薄い本でしたが、列強からの主権の承認を取り付けた後、どこでも良いから開いている土地に、時間をかけて継続的にユダヤ人の移住を進めること、国際会議の席でユダヤ人問題を取り上げてもらうこと、などユダヤ人国家再建の具体的な手段について言及されていました。

1896年2月に出版された ヘルツルの「ユダヤ人国家」は、ユダヤ人社会に感銘を与えシオニズムが一気に盛り上がった・・・・・・、わけではありませんでした。 むしろその逆で、一部のシオニズム信奉者以外、ユダヤ人の間では激烈に不評でした。 西欧やアメリカでは既にユダヤ人の社会的地位は向上していたので、このような過激?な思想が、反ユダヤ感情の再燃につながると考えられたためです。  また、理不尽な暴力にさらされながらも、ユダヤ人の苦境は神が与えた試練なので人為的な祖国再建は神の意思に反する、と無茶苦茶な事を言うユダヤ人も多くいたのです。 現在でも、ユダヤ 教超正統派の高位聖職者や原理主義者は、旧約聖書の言う「神の国」では無い、としてイスラエルの存在を認めていません。

しかし、ヘルツルは、翌1897年8月にヘルツルはスイスのバーゼルにおいて最初のシオニスト会議を主宰します。 第1回シオニスト会議では、各国のユダヤ評議会によって選出された代表200人が参加し、参加者達はヘルツルの威厳のある立居振舞いに「ユダヤ人の王」 もしくは ヘルツルは非常にハンサムで天性のカリスマを持っていたために「ユダヤのプリンス」と呼ぶなど、好意的に受け入れ 彼が主張する“ユダヤ人国家建設”の会議は成功しました。 この会議の結果、ヘルツルを議長とする「世界シオニスト機構」が設立され、さらに、パレスチナにおけるユダヤ人国家建設を最終目標とする「バーゼル綱領」が採択されたのです。

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===== 続く =====

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