シオンへの夢と闘争-05-

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バルフォア宣言、もしくはイギリスの三枚の舌

ベン=グリオンとベンツビの二人が“シオンの労働者”のアメリカ支部の招きでニューヨークへと旅立ちアメリカで暮らしている頃、イギリスでシオニズムの実現に非常に重要な働きをした人物がいた。 後にイスラエルの初代大統領となるハイム・ワイツマン博士です。 1874年、ポーランドで生まれた彼は、少年の頃、姉がパレスチナへ移住していた関係からパレスチナのユダヤ人支援のために寄付集めをしていた。 シオニストに傾倒する素地は十分にあったわけです。

彼はドイツとスイスで化学を学び、1899年、スイスのフリブール大学の有機化学博士課程を卒業した後、1901年-1903年、ジュネーヴ大学で化学を教えている。 彼の経歴には ドイツの大学で教育を受けていた頃、ヘルツルの呼びかけに答えてシオニスト会議に出席したとある。 また、 ジュネーブ大学でしばらく講師をしていた際に、そこでユダヤ人学生による「シオニスト・クラブ」を設立している。 このスイス時代に未来の妻ヴェラ (Vera) に出会い、「シオニスト・クラブ」を通じてシオニズム運動に参加している。 1903年には、実践的シオニズムを主張しているのです。その後、1904年、奇しくもヘルツルが死去したその日、イギリスへ移住しています。

ワイツマン博士は「不思議な力に引かれた」と言っていますが、本当の所は専門が染料の研究だったので、織物工業の中心地であったマンチェスターに住みたかったのでしょう。 また、イスラエル建国候補地の一つの“ウガンダ案(1894年にイギリス領ウガンダ植民地)”に見られるように、イギリスはユダヤ人の苦境に理解を示していたので、政治的な働きかけがしやすいと踏んだのかも知れません。 イギリスに移住後、シオニスト評議会の議長に就任する一方、マンチェスター大学で化学を教えている。 そして、1906年にヴェラと結婚。

ワイツマン博士はマンチェスターの有力新聞の編集者と友人になり、そこを通じて多くの政府要人と知り合う機会を得ました。 そこで知り合った一人が、首相も努めた大物政治家アーサー・バルフォア卿でした。 バルフォア卿はシオニスト会議がウガンダ案を蹴った経緯からシオニズム不信感を抱いていたが、ワイツマン博士が「ロンドンの代わりにパリに住めるか?」と説得してシオニズムの理解者にすることに成功しています。

1907年、パレスチナを訪れて移民の状況を見て、ユダヤ人国家建設には政治的解決と植民の両方が必要だと確信する。 そして この年のシオニスト会議でワイツマン博士は、政治的な働きかけとパレスチナ移住の両方を推進するという提案を示し、「政治的シオニズム」と「実践シオニズム」の統一に成功する。 しかし、 彼が提唱する「統合シオニズム/ 合成シオニズム (synthetic Zionism)」と呼んだ運動はまだ名前だけの統一で、実際に足並みがそろうのは1920年代以降に成らざるを得なかった。 当たり前の提案なのですが、先にも述べたように政治思想面での確執や宗教上の見解もあって、なかなかユダヤ人の事情は複雑怪奇で、理論と実践が噛み合わなかったようです。

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 シオニストであると同時にワイツマン博士は、化学者として 砂糖にバクテリアを作用させて発酵させ、合成ゴムを得ようと研究していた。 ゴムの合成には失敗したが、研究の副産物として、1910年ごろ、バクテリアの1種クロストリジウム・アセトブチリクム (Clostridium acetobutylicum) を使ってデンプンからアセトンを合成するバクテリア発酵法の開発に成功している。

そうこうしている内に第一次世界大戦(1914年から1918年)が勃発。 当然、火薬の需要が一気に高まった。 コルダイト火薬の原料として大量のアセトンが必要になった。 しかし、当時主流の製法では大量の木材が必要で、戦争により安定供給ができなくなった。 火薬の製造過程では、膠化剤として有機溶媒のアセトンが必要なのですが、この手の有機物は常に製造が難しく、イギリスにはアセトンを大量に精製する技術がありませんでした。

コルダイト (cordite) は、フレデリック・エイベルとジェイムズ・デュワーによって1889年に発明された無煙火薬の1種である。ニトログリセリンとニトロセルロース(綿火薬)からなり、安定剤のワセリンを添加した物をアセトンで溶かして練って粒子状に加工することで製造される=

しかし、化学工業の先進国であるドイツはアセトン精製の技術を既に確立しており、イギリスにとってアセトン製造法の発見は急務でした。 海軍省の技術顧問を勤めていたワイツマン博士はバクテリア発酵法を利用したアセトン製造法を開発に成功。 イギリスは大量の火薬を手にすることが可能な状況を創り上げたのです。 その結果、ワイツマン博士のイギリス政府に対する影響力は増大して行ったのです。

事実、彼の製法により年間3万トンのアセトンが供給されている。 また このことで、ワイツマン博士はイギリス政府内のウィンストン・チャーチルロイド・ジョージの知己を得、“統合シオニズム”の実践に足掛かりを得て行くのです。 さらに1917年11月2日、外務大臣アーサー・バルフォアに協力してバルフォア宣言を出させ、パレスチナでのユダヤ国家建設をイギリスに約束させています。 そして、1918年にはイギリス政府の後援で、シオニスト委員会代表としてパレスチナに向かい、テルアヴィヴのユダヤ人入植地を視察しているのです。

更に 1919年、パリ講和会議にて、アラブ民族運動の指導者だったイラクの王子、後に王として戴冠するファイサル1世との間でファイサル・ヴァイツマン合意に調印し、互いの民族国家建設のために協力することを約束している。 イギリスへの移住以降、ワイツマン博士が実行してきたこれら一連の行動とその成果が これ以降、彼をして世界的なシオニスト運動の指導者に押し上げて行ったのです。

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バルフォア宣言(Balfour Declaration)とは、第一次世界大戦中の1917年11月に、イギリス外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーである第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、イギリス政府のシオニズム支持表明。

バルフォア宣言では、イギリス政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、その支援を約束している。 しかし、この方針は、1915年10月に、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンが、アラブ人の領袖であるメッカ太守フサイン・イブン・アリーと結んだフサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)と矛盾しているように見えたことが問題になった。

すなわち、この協定でイギリス政府は、オスマン帝国との戦争(第一次世界大戦)に協力することを条件に、オスマン帝国の配下にあったアラブ人の独立を承認すると表明していた。 フサインは、このイギリス政府の支援約束を受けて、ヒジャーズ王国を建国した。

一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギリス政府の二重外交が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になったといわれる。 だが、フサイン・マクマホン協定に規定されたアラブ人国家の範囲にパレスチナは含まれていないため、この二つは矛盾していない。 フサイン・イブン・アリーも、エルサレム市の施政権以外は地中海側のパレスチナへの関心は無かったことが、後の息子ファイサルとハイム・ワイツマン博士との会談で証明されている。

なお、バルフォア宣言の原文では「ユダヤ国家」ではなく、あくまで「ユダヤ人居住地」として解釈の余地を残す「national home」(ナショナル・ホーム、民族郷土)と表現されており、パレスチナ先住民における権利を確保することが明記されている。加えて、もし民族自決の原則が厳格に適用されるならば、大多数がアラビア人である以上は主権がアラビア人のものであることは明示的であり、少なくとも移民(ユダヤ人)のものにならないことは、特に協定の必要なく理解されていた。

さらに、この2つの約束は、1916年5月にイギリスフランスロシアの間で結ばれた秘密協定、サイクス・ピコ協定とも矛盾しているように見えたために問題になったが、内容を読めば実際のところはシリアのダマスカス付近の線引きが曖昧なこと以外、特に矛盾していないことがわかる。バルフォアは議会の追及に対して、はっきりと内容に矛盾が無いことを説明している。

  • メソポタミアはイギリスの自由裁量→保護国としてのアラブ人主権国家イラク誕生
  • レバノンはフランスの植民地→レバノンはフサイン・マクマホン書簡で規定されたアラブ人国家の範囲外である(フサイン=マクマホン協定も参照のこと)
  • シリアはフランスの保護下でアラブ人主権国家となる→これまたフサイン・マクマホン書簡の内容とはそれほど矛盾しない。ただしシリアの首府ダマスカス近辺については、フランス統治領なのかアラブ人地域なのか曖昧な部分が残った。
  • パレスチナに関しては、上記のとおり「居住地」としての解釈もあり、またフサイン・マクマホン書簡で規定されたアラブ人国家の範囲外である。あくまで居住地である以上、国際管理を規定するサイクス・ピコ協定とは矛盾しない。従って、少なくともバルフォア宣言と他の二つの協定の間には、文面上は何の矛盾もない。

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※ フサイン=マクマホン協定は、1915年イギリスが、オスマン帝国の支配下にあったアラブ地域の独立と、アラブ人パレスチナでの居住を認めた協定。

メッカの太守であるフサイン・イブン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンとの間でやりとりされた書簡の中で、イギリスは対トルコ戦協力(アラブ反乱)を条件にアラブ人居住地の独立支持を約束した。これは、翌年のアラブ地域を分割を決定したサイクス・ピコ協定、翌々年のパレスチナへのユダヤ人入植を認めるバルフォア宣言と矛盾しているように見えたため、一連のイギリスの行動を指して「イギリスの三枚舌外交」とも言われる。

しかし下記の通り、線引きを厳密に適用すればパレスチナはそもそもアラブ人国家のエリア内に含まれないこと、またサイクス・ピコ協定で規定されたフランス支配地域も、フランス直接統治領に限っていえば(ダマスカス近辺は被るものの)概ねフサイン=マクマホン協定のエリア内に含まれないことから、それぞれの内容は、実はそれほど矛盾していない。 しかし、このイギリスの秘密外交がシオニストらの反発を買い、パレスチナ問題の要因となったことも否めない。

決定的に重要とされているマクマホンの第二の手紙(1915年10月24日付)は、以下のように述べている。

メルスィン地区およびアレクサンドレッタ地区、およびシリアのうちダマスカスホムスハマーアレッポの各地区より西の部分は純粋にアラブ人の地とはいえない。それゆえ、提案される決定からは除かれなければならない。この修正に従い、また我々と特定のアラブ人首長との間で結ばれた諸条約を侵さないような形で、我々はこの決定を受け入れる。提案の境界線の内側にある地域については、イギリスがその同盟国フランスの権益に損害を与えることなく自由に振舞える地域であり、私は貴殿に対しイギリス政府の名において次の通り誓約を行い、貴殿の書簡に対し次の通り返答する権限を与えられている:上記で述べた修正を条件に、イギリスはメッカの太守が提案した境界線の内側にあるすべての地域におけるアラブ人の独立を承認し支持する用意がある。

ここで語られている線引きには、南のパレスチナ地域は含まれていない。したがって、少なくともこの協定とバルフォア宣言の間には矛盾はない。ただサイクス・ピコ協定との間では、同協定にてフランスの勢力圏下にあるとされたシリアおよび北メソポタミア(Aゾーン)をめぐって矛盾が生じた。フサインが最初に提示したエリアにはパレスチナが含まれていたが、フサインはバルフォア宣言が出されるまで、このパレスチナが含まれない線引きに関して、パレスチナの所属の確認をしていない。

また、レバノンから地続きでありユダヤ教徒やキリスト教徒が一定数は居住しているパレスチナ地域は、イギリス側の提示した「純粋にアラブ人の地とは言えない」という条件に当てはまる。そして1919年のファイサル(フサインの息子)・ワイツマン会談では、パレスチナへのユダヤ人入植を促進させることで合意している。

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