シオンへの夢と闘争-06-

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 1916年末、ロイド・ジョージの新内閣が成立すると、ワイツマン博士の長年の友人であるバルフォア卿が外務大臣に就任しました。 ワイツマン博士は、ぐずぐすしていればドイツが親シオニズム宣言を出し、スエズ運河に近いパレスチナが一気に親ドイツに傾いてしまうだろう、今、シオニズムを擁護すれば、パレスチナは親英的になる、と友人のロイド・ジョージに最後の一押しをかけます。

そして1917年11月2日、外務大臣バルフォア卿から、英国シオニスト連合会長、ロスチャイルド卿宛ての書簡という形で、パレスチナにおけるユダヤ人国家建設をうたった公式声明が発せられました。 これが世に言う「バルフォア宣言」(※前節参照)です。  ただ、その文面は「シオニストの願望に同情を示す」「ユダヤ人国家建設に好感を抱いて」「最善を尽くす」など、表現はかなりあいまいであり、パレスチナ在住の非ユダヤ人の権利や利益を侵害しない旨も(これはなかなか無理なことですし、ユダヤ人国家建設の意図とも矛盾します)明記されていましたが、シオニスト達は大いに勇気付けられ、パレスチナのユダヤ人は勿論、シオニズム自体が親イギリスへと傾きました。

しかし、これはパレスチナを巡るイギリスの三枚舌の三枚目に過ぎなかったのです。 1915年、中東地域からトルコの勢力を駆逐するため、カイロ駐在弁務官、ヘンリー・マクマホン卿は、マホメットの血を引く名門ハーシム家の当主で、アラブ人のリーダー、フセイン・イブン・アリー =彼の三男が映画「アラビアのロレンス」でもおなじみのファイサル王子= にイギリスへの協力を求めます。 フセインは「ダマスカス、ホムス、ハマ、アレッポを結ぶ領域内をアラブ人国家として独立させる」ことを条件に出し、1915年10月、マクマホン卿はフセイン師の要求受け入れを約束しました。 尚、相互に地図で確認しあっている。

※ 初代ロイド・ジョージ・オブ・ドワィフォー伯爵デビッド・ロイド・ジョージDavid Lloyd George, 1st Earl Lloyd George of Dwyfor, OM, PC1863年1月17日1945年3月26日)は、イギリス政治家貴族

1890年自由党議員として政界入り。1905年以降の自由党政権下で急進派閣僚として社会改良政策に尽くす。彼の主導によりイギリスに老齢年金制度や健康保険制度、失業保険制度が導入された。

第一次世界大戦中の1916年12月に総辞職したアスキス首相に代わって首相に就任。強力な戦争指導体制と総力戦体制を構築してイギリスを勝利に導いた。パリ講和会議に出席するなど戦後処理も指導し、戦間期ヴェルサイユ体制の構築に大きな役割を果たした。1921年にはアイルランド大英帝国自治領としての独立を認めた(アイルランド自由国)。1922年大連立を組んでいた保守党の離反で総辞職に追い込まれた。

首相退任後は自由党の没落もあって権力から遠ざかっていったが、政治活動は衰えず、ケインズ主義経済政策を確立して公共事業の拡大を訴えた。また晩年には反独派から親独派に転じた。

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このことに関する十通の書簡がいわゆる「フセイン・マクマホン書簡」です。 ここで注意しなければならないのは、フセイン師の要求する線には、地理学的にパレスチナが含まれていないことです。 フセイン師は、聖地アル・ドゥクス(エルサレム)の重要性を考えて、わざわざ要求するまでも無くパレスチナはアラブ国家に含まれると考えていたようで、パレスチナに関するイギリスの考えを確認しなかったのです。 それに、マクマホン卿もフセイン師も、イギリスの残り二枚の舌に関する動きは全く知りませんでした。

フサイン=マクマホン協定は、1915年にイギリスが、オスマン帝国の支配下にあったアラブ地域の独立と、アラブ人のパレスチナでの居住を認めた協定。決定的に重要とされているマクマホンの第二の手紙(1915年10月24日付)は以下のように述べている。

《メルスィン地区およびアレクサンドレッタ地区、およびシリアのうちダマスカス・ホムス・ハマー・アレッポの各地区より西の部分は純粋にアラブ人の地とはいえない。それゆえ、提案される決定からは除かれなければならない。この修正に従い、また我々と特定のアラブ人首長との間で結ばれた諸条約を侵さないような形で、我々はこの決定を受け入れる。提案の境界線の内側にある地域については、イギリスがその同盟国フランスの権益に損害を与えることなく自由に振舞える地域であり、私は貴殿に対しイギリス政府の名において次の通り誓約を行い、貴殿の書簡に対し次の通り返答する権限を与えられている:上記で述べた修正を条件に、イギリスはメッカの太守が提案した境界線の内側にあるすべての地域におけるアラブ人の独立を承認し支持する用意がある》=

1915年から1916年にかけて、イギリス政府の中東問題担当顧問マーク・サイクスとフランスの外交官シャルル・ピコが何度か会見し、1916年5月、英仏間でレバノンとシリアをフランス領に、イラクをイギリスの支配圏として、パレスチナは英仏露で共同管理するという秘密協定「サイクス・ピコ協定」が成立しました。 これが当時のイギリスの本音だったのでしょう。

ワイツマン博士もフセイン師も、イギリスの意図は知る由もありませんでした。 フセイン師は1916年6月10日、自ら先頭に立ってトルコに対する蜂起を決行します。 もっとも、これ以後の指揮はファイサル王子が執ったのですが、この後の戦いで活躍したのが「アラビアのロレンス」ことトマス・エドワーズ・ロレンスです。 ワイツマン博士もシオニズムへの理解と支援を求める政界工作を精力的に行っていたのですから、かなり哀れなピエロ役を演じていたと言えるのです。

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 「バルフォア宣言」が発表されると、当然ながらパレスチナのアラブ社会に衝撃が走りました。イギリス政府のフセイン師に対する釈明は要領を得ないものでしたが、フセイン師は本質的に好人物であり、ユダヤ人のパレスチナ入植は、迫害から逃れるための緊急避難で過渡的な措置であろうと釈明を受け入れたので、アラブ社会も、疑いつつこの線で納得しました。 しかし、この時もまたフセイン師は、将来的にパレスチナの領有権はどうなるのかという問題を突っ込まなかったため、後々に大きな禍根を残すことに成ったのです。

ユダヤ人社会の発展と三枚舌外交の破綻

パレスチナを追放されたベン=グリオンイツハク・ベンツビ(前節参照)は、アメリカ合衆国、ニューヨークへとやってきました。 1915年にニューヨークに移住したのです。 二人はパレスチナにおける労働運動のリーダーとしてアメリカでも有名であり、労働シオニストの大歓迎を受けます。 当時、アメリカの世論はシオニズムに好意的で、特に在米ユダヤ人の半数が居住しているニューヨーク市とその近辺ではその傾向が顕著でした。 ベン=グリオンはニューヨークを拠点にアメリカ各地のシオニスト団体を講演して回り、アメリカにおける労働シオニズムの普及に力を注ぎ、公演は盛況を呈し聴衆は運動に賛同して行きました。 しかし、当時アメリカに居住していた、後にイスラエル首相となる ゴルダ・メイア氏がいました。 彼女はベン=グリオンの講演会をすっぽかしてボーイフレンドとのデートにはしり、組織から譴責されているのですが・・・・・・

在米中のベン=グリオンは、後の妻となるロシア生まれのポーラ・ムンワイスと出会う。 彼らは1917年に結婚し、彼らの間には3人の子供を授かります。 新婚の熱冷めぬ1917年11月2日、 “バルフォア宣言”が発せられた一大変換点となる事件も米国で一報を受けている。 シオニスト達はユダヤ人国家の実現性を見出して大いに勇気付けられ、ベン=グリオンも例外ではありませんでした。 翌年早々 ベン=グリオン一家は第一次世界大戦後イギリスの委任統治領となったパレスチナに帰還したのです。 ベン=グリオンは後に、当時のパレスチナでの生活について「自力で土地を開拓しなければ、土地は我々のものにならないので、ユダヤ人の村でアラブ人が働くのは危険だと考えていた。 だが、我々はそこでアラブ人と衝突したことは一度もなく、アラブ人の憎しみを買うこともなかった」と書いている。

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===== 続く =====

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