シオンへの夢と闘争-17-

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公式な戦争

「非公式の戦争」の間も、ユダヤ人国家の独立に向けた動きはやむことはありませんでした。 そして、イギリス軍の撤退期限である1948年5月14日に、ベン=グリオンはユダヤ人国家が独立を宣言する予定だった。 周辺アラブ諸国は、独立宣言を延期するように繰り返し警告を発してた。 ユダヤ人達にとって、独立を延期するなど到底考えられないことでした。 もう戦争は必至 回避できない。

独立宣言は、それまでの「義勇兵」や「武装組織」レベルではない、周辺国の正規軍による一斉攻撃を招くのは明白でした。 ベン=グリオンは武器の調達を急ぐ一方、全面戦争を防ぐ最後の努力を続けていた。  5月12日、アブドゥッラー国王とゴルダ・メイヤの会見が行われましたが、アブドゥッラー国王の言い分は、ユダヤ人地区を含むパレスチナ全域で自分の王権を認めろというものであり、交渉は決裂した。 と言うより、デイル・ヤーシン虐殺事件の直後であり、会ってくれただけでもまだ良かったと言える。

※ デイル・ヤシーン事件、その二; 第一次中東戦争直前の1948年4月9日、当時イギリスの任統治領であったパレスチナのエルサレム近郊のデイル・ヤシーン村で起こった住民の虐殺事件。 この事件の当時、イギリス委任統治領パレスチナでは、イスラエル独立前から、ユダヤ人とアラブ人間の武装勢力によるテロが激化し、実質上の戦争状態に入っていた。 デイル・ヤシーン事件はそれだけでも忌まわしい事件であるが、実は隠された目的があった。 それは、ダレット計画と呼ばれる、英国委任統治領パレスチナのアラブ系住民の大量追放計画の実行である。

デイル・ヤシーン事件は、その一環として起こされたものであった。 つまり、地下テロ組織エツェル(Irgun Tzvai Leumi=民族軍事組織の意のヘブライ語頭文字Alef Tzadik lamedの略Etzel)はアラブ系住民の中に意図的にパニックを起こすことを意図して行ったのである。これは、イスラエル独立前後の期間にハガナーが数百のアラブ系住民が住む村々に入り、見せしめの殺戮やレイプを行って恐怖をあおり、短時間の間に百万人を超える「移送」を完成させたことの一部である。

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第一次ラビン内閣時のラビン首相の諜報問題アドバイザーであったレハバム・ゼエビは当時ハガナーの常備部隊であったパルマッハに属しており、この「移送」が行われたことを公然と認めている。 しかも、2005年にイスラエル総理府公文書保管局(Ginzach ha-Medina)から発行された、公開公文書集『イスラエル首相イツハク・ラビン、その生涯の一部からの選集』によると、第二次中東戦争開戦直前、当時若き有力将校であったラビンは、エジプトとの開戦を主張するモーシェ・ダヤン参謀総長(当時)の主張に反対してヨルダンとの開戦を主張し、その際、独立戦争中に行われた計画的大量追放と同様に、当時ヨルダン領であったヨルダン川西岸地区のアラブ人を再びヨルダンに「移送」することをベングリオン首相兼国防相に提言している。

イスラエル軍人の使う俗語シン・ギメル(門番の意。Shomer Gaderのヘブライ語の頭文字、Shin-gimel)とは、地位の高い者が都合が悪いときに立場の弱い者のせいにして責任をなすりつけることを意味する。 そのようなイスラエル軍の思考は、レバノン戦争時、イスラエル軍がベイルートを囲んで、パレスチナ人に恨みを持っているマロン派民兵たちを意図的に難民キャンプに解き放ち、パレスチナ難民の大虐殺を引き起こした事件(サブラー・シャティーラ事件)の説明をシャロン国防相(当時)がイスラエルの国会で行った際、「イスラエル軍の手は汚れていない」と言ってのけたことにも伺える。つまり、ダレット計画においては、非主流派のユダヤ人軍事組織「エツェル」はシン・ギメルであって、真の責任者はベン=グリオンである。

尚、サブラー・シャティーラ事件とは、1982年9月16日から18日の間に行われた、レバノンの親イスラエル政党「ファランヘ党」などで構成される民兵組織「レバノン軍団」によるパレスチナ難民の大量虐殺事件。 1975年から始まったレバノン内戦は泥沼の様相を呈していた。そんな中、1982年6月6日にPLOを撤退させるためと称して隣国イスラエルがレバノンに侵攻する。イスラエルは、レバノンを親イスラエル国家にしようという思惑があり、反シリアでイスラエルと懇意だったバシール・ジェマイエルをレバノン大統領に当選させることに成功する。

イスラエルの目論見は成功したかに見えたが、1982年9月にジェマイエルは何者かに爆弾暗殺される。イスラエルはこれをPLO残党の犯行とみなした。ジェマイエル殺害に憤慨した民兵組織「レバノン軍団」は、パレスチナ人への報復を実行する。

1982年9月16日午後6時、イスラエル国防軍の部隊がレバノンのサブラーとシャティーラにあったパレスチナ難民キャンプへ向けて照明弾を発射(レバノン軍団の要請に応えたものであるとされる[1])、これを合図としてレバノン軍団の民兵たちが一斉にキャンプに突入、虐殺を開始した。 虐殺は2日間に及び、犠牲者数は762人から3500人と言われている。 事件が公に明るみに出るや、パレスチナ、イスラエル、そして国際社会全体に大きな衝撃を与えた。 1982年12月16日、国連総会はこの事件を「ジェノサイド」として非難する決議を反対なしの123か国の賛成多数で可決した。

虐殺を手助けしたとも言えるイスラエルの国内でも共産党やできて間もないピース・ナウなどの左派勢力から批判が噴出。しかし、当時国防相として最高責任者の地位にあったアリエル・シャロンは「イスラエルの手は汚れていない」などと言った。しかし、結局シャロンと参謀総長を務めていたラファエル・エイタンが責任を取らされ辞職した。・・・・・・・・・

イスラエルの目論見は成功したかに見えたが、1982年9月にジェマイエルは何者かに爆弾で暗殺される。 イスラエルはこれをPLO残党の犯行とみなした。ジェマイエル殺害に憤慨した民兵組織「レバノン軍団」は、パレスチナ人への報復を実行する。 1982年9月16日午後6時、イスラエル国防軍の部隊がレバノンのサブラーとシャティーラにあったパレスチナ難民キャンプへ向けて照明弾を発射(レバノン軍団の要請に応えたものであるとされる)、これを合図としてレバノン軍団の民兵たちが一斉にキャンプに突入、虐殺を開始した。 虐殺は2日間に及び、犠牲者数は762人から3500人と言われている。

事件が公に明るみに出るや、パレスチナ、イスラエル、そして国際社会全体に大きな衝撃を与えた。 1982年12月16日、国連総会はこの事件を「ジェノサイド」として非難する決議を反対なしの123か国の賛成多数で可決した(アメリカ、イスラエル、カナダ、イギリスなどは棄権。日本は賛成)。 虐殺を手助けしたとも言えるイスラエルの国内でも共産党やできて間もないピース・ナウなどの左派勢力から批判が噴出。 しかし、当時国防相として最高責任者の地位にあったアリエル・シャロンは「イスラエルの手は汚れていない」などと言った。 しかし、結局シャロンと参謀総長を務めていたラファエル・エイタンが責任を取らされ辞職した。

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1948年5月14日の夕刻、テルアビブの美術館のホールに、ユダヤ国民評議会のメンバー300人が集まっている。 ベン=グリオンは、ホールに掲げられたテオドール・ヘルツルの肖像の前に立ち、厳かにイスラエルの独立宣言を読み上げたのです。

「我々、ユダヤ市民およびシオニズム運動の代表たる国民評議会は、イギリスによる委任統治が終わるこの日、自然的および歴史的権利、そして国連総会決議に基づいて、ここパレスチナに「イスラエル国」と号するユダヤ人国家の建設を宣言する。(後略)」

独立宣言書のサインの筆頭には、ダビッド・ベン=グリオンの名前があった。 =因みに、イスラエル第二代大統領のイツハク・ベンツビは4番目、ゴルダ・メイヤは25番目。 ほとんどはマパイ党かヒスタドルートのメンバーであり、イルグンのような極右組織のメンバーは勿論、ハイム・ワイツマン博士も独立宣言にはサインしていない=  初代大統領にはハイム・ワイツマン博士が就任し、首相にはダビッド・ベン=グリオンが任命された。

独立宣言の三時間後、アメリカはイスラエルを承認、ソ連と東欧諸国は4日後に承認。 だがしかし、アメリカの承認とほぼ同時に、エジプト空軍がテルアビブを空襲した。 14日中にエジプト、シリア、トランスヨルダン、レバノン、イラクはイスラエルに宣戦布告し、翌日には、それぞれの軍隊が国境を突破して、三方からイスラエルになだれ込んだ。 「公式な」戦争の始まりです。

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===== 続く =====

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