北海帝国の興亡 =09=

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永遠に去った最大最強の敵

1306年、イングランドに抵抗する独立闘争の協力者であり、スコットランドに王権を確立する意味でのライバルであるジョン・カミン(John Comyn)を殺害してしまったロバート・ザ・ブルースは、スコットランド国内の反対派をすべて鎮圧しなければならなかった。スコットランド独立など、先の先のこと。とにかく、スコットランドを国としてまとめることが先決だと決意した。そして、ロバートが国王として認められるには、武力闘争に勝つしかないと腹をくくった。

ロバート・ザ・ブルースが王統の根拠 ;ブルース氏族のスコットランド王位請求の根拠は、1219年に第四代アンデイル領主ロバート・ドゥ・ブルースがハインテォドン伯デイヴィッドの娘でスコットランド国王ウィリアム1世獅子王の姪にあたるイゾベル・オブ・ハンティンドンと結婚したことから来ている。 この結婚はイングランド、スコットランド双方の地を添えて両家に莫大な富をもたらした。 2人の息子で、’競合者’ として知られる第五代アナンディル領主ロバート・ドゥ・ブルースは時には王位後継者(タニスト)であった。 スコットランド国王アレグザンダー3世 の死亡時にブルースとジョン・ベリヤルの双方が継承を主張した。 アレグザンダー3世の孫娘であるノルウェーの乙女マルグレーテ(マーガレット)が後継者に指名されたものの、彼女は1290年に王位を求めてスコットランドへ渡航中に亡くなった。

彼女の死から程なくしてブルース家とベイリャル家及びそれぞれの支援者との間での内戦を恐れたことから、スコットランド王国の守護官は内戦を回避するために隣国のイングランド国王エドワード1世長脛王に請求者達の仲裁を求めた。 スコットランドをウェールズと同じように征服してブリテン島全土を支配することを長いこと待っていたエドワード1世はこれを好機と見做した。 1292年にエドワード1世はイングランドに忠誠を誓ったベイリャルの方を選んだ。 しかしながら直にベイリャルはエドワード1世に反旗を翻し、最終的には敗北して1296年のダンバールの戦い後に退位すること余儀なくされた。

ジョン・ベイリャルの廃位によってスコットランドは事実上、君主抜きとなった。ロバート・ザ・ブルースベリック・アポン・ツイードにてエドワード1世に忠誠を誓ったものの、翌年のスコットランドの反乱に加わった際にはこの宣誓を破棄した。 1297年の夏に再びエドワード1世に忠誠を誓い、これはアーバインの降伏として知られている。 ブルースは、スターリング・ブリッジの戦いの期間中はスコットランド側につく姿勢を見せたもののフォルカークの戦い後にエドワード1世に勝利が戻るとイングランド側につき、アナンデイルカリックのブルースの地は、エドワード1世の支配権並びにその従者への譲渡から逃れることが出来た。 ブルースにはエドワード1世への忠誠こそが生き残れると思えたのかもしれない。=

その国内闘争と平行して、イングランド軍が支配する城をひとつひとつ落とす地道な戦いを始めたロバートだったが、まもなく、ロバートは天が自分に味方していることを再認識する。 イングランドのエドワード1世が、即位したばかりのロバート1世の軍をたたきのめそうと北上する途中で急死したのである。 1307年7月7日のことだった。 享年68歳、身長が190cmもあったので「Longshanks」(ロングシャンクス=長脚)と呼ばれ、また、スコットランドに容赦なかったことから「Hammer of the Scots」(ハンマー・オブ・ザ・スコッツ=スコットランド人への鉄槌)との異名を取ったエドワード1世の崩御である。

敵からは恐れられたが、武勇に優れた知将で、イングランド内では名君と称され このエドワード1世がいなくなったことは、ロバートにとっても、スコットランドにとっても、うれしいニュースだった。 跡を継いだエドワード2世が無能だったからである。 ロバートは戦いに戦った。 1308年年には、150年にわたりスコットランド西部を支配してきたカミン派勢力の一掃に成功。 1310年にはリンリスゴウ、同11年にはダンバートン、12年にはパースをそれぞれ自らの管理下に置くに至った。 いよいよ、次に狙うはスターリング城である。

スターリングは、スコットランドの首都だったこともある古い町。南部のローランド(Lowlands)と北部のハイランド(Highlands)を つなぐ主要路がここを通ることから、『ハイランドへの鍵』と呼ばれ、交通の要衝であるとともに、軍事上の重要ポイントとして、時には スコットランドの部族・貴族同士が、あるいはイングランドとスコットランドが、盗ったり盗られたりを繰り返してきた血なまぐさい場所でもある。

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  1272年に王座についたエドワード1世はイングランドの最も偉大な戦士王の一人であり、ウェールズの征服者、また「スコットランドへの鉄槌」であることを周囲に示した。 エドワード1世はウェールズ戦争での経験から弓兵の価値を確信し、王国全土から多数の弓兵を募った。 イングランド軍による1296年のスコットランド侵攻では、エドワード1世がフランスとの戦いで不在のときにウィリアム・ウォレスの地形を利用した戦術に敗れた(1297年、スターリング・ブリッジの戦い)が、1298年のファルカークの戦いでは重装騎兵と弓兵の連携によってスコットランド軍を撃破した。

 当時のスコットランド軍はシルトロン隊形を保つ大勢の槍兵と、剣と円盾を持つ兵で構成されていたが、装備は貧弱でイングランド軍と正面から激突するには限界があったからである。ファルカークの戦いによって大惨敗を喫したスコットランド軍は、ロバート1世も服従の申し出をしなければならない状況になり、エドワード1世は戦略的に重要な拠点であるスターリング城を占拠した。

その後、ロバート・ブルースはイングランドへの服従と反乱を繰り返し、一時はラスリン島に逃げるまで追い詰められたが、1307年にエドワード1世が死去すると、急速に勢力を盛り返してスコットランド全土で権威を確立した。 2月にロバート1世(ロバート・ブルース)とその配下の者たちは、2グループに分かれた形でスコットランド本土に帰還した。 一隊はロバート1世とその弟であるエドワードが率いてターンベリー城に上陸し、スコットランド南西部でゲリラ戦を開始した。 別の一隊は弟トマスとアレグザンダーが率いて、それより少し南のロッホ・リアン (Loch Ryan) に上陸したものの、すぐに捕えられて処刑された。

※ 1306年から1307年にかけての冬の間、ロバート1世がどこで過ごしていたかは定かではない。 最も可能性が高いのがヘブリディーズ諸島であり、そこでガーモランのクリスティーナ (Christina of Garmoran) のもとで匿われていた可能性がある。 他にも有力な可能性としてアイルランドが挙げられており、また当時ノルウェーが支配していたオークニー諸島や、ノルウェー王の未亡人である自身の姉妹イザベルがいるノルウェーの領地であった可能性も否定でない。

エドワード1世の後を継いだエドワード2世は父の軍才を受け継いでおらず、決戦を避けてゲリラ戦術を駆使し、孤立した城を占領するロバート1世の戦略の前に後手に回った。 そして、1314年にスコットランド軍がスターリングを包囲する状況に陥ると、エドワード2世は大軍を編成してスターリングの救援に向かった。 バノックバーンはスターリング城の南西に位置し、名称が意味する「小川」や池がいくつもある湿地帯であり、南側(イングランド側)からスターリング城へ向かうには、ここを通過する必要があった。

いよいよ、1314年6月24日にスコットランド王国とイングランド王国の間で合戦が行われる。歴史的なエポックとして記録される戦いが始まる。 スコットランドに侵攻したエドワード2世率いるイングランド軍が、スターリング近郊でロバート1世(ロバート・ブルース)のスコットランド軍とバノックバーンの戦い(Battle of Bannockburn)を仕掛けた。

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・・・・・・資料・・・・・バノックバーンの戦いBattle of Bannockburn)は、1272年に王座についたエドワード1世はイングランドの最も偉大な戦士王の一人であり、ウェールズの征服者、また「スコットランドへの鉄槌」であることを周囲に示した。 エドワード1世はウェールズ戦争での経験から弓兵の価値を確信し、王国全土から多数の弓兵を募った。 イングランド軍による1296年のスコットランド侵攻では、エドワード1世がフランスとの戦いで不在のときにウィリアム・ウォレスの地形を利用した戦術に敗れた(1297年、スターリング・ブリッジの戦い)が、1298年のファルカークの戦いでは重装騎兵と弓兵の連携によってスコットランド軍を撃破した。

当時のスコットランド軍はシルトロン隊形を保つ大勢の槍兵と、剣と円盾を持つ兵で構成されていたが、装備は貧弱でイングランド軍と正面から激突するには限界があったからである。ファルカークの戦いによって大惨敗を喫したスコットランド軍は、ロバート1世も服従の申し出をしなければならない状況になり、エドワード1世は戦略的に重要な拠点であるスターリング城を占拠した。

その後、ロバート・ブルースはイングランドへの服従と反乱を繰り返し、一時はラスリン島に逃げるまで追い詰められたが、1307年にエドワード1世が死去すると、急速に勢力を盛り返してスコットランド全土で権威を確立した。 エドワード1世の後を継いだエドワード2世は父の軍才を受け継いでおらず、決戦を避けてゲリラ戦術を駆使し、孤立した城を占領するロバート1世の戦略の前に後手に回った。 1314年にスコットランド軍がスターリングを包囲する状況に陥ると、エドワード2世は大軍を編成してスターリングの救援に向かった。 バノックバーンはスターリング城の南西に位置し、名称が意味する「小川」や池がいくつもある湿地帯であり、南側(イングランド側)からスターリング城へ向かうには、ここを通過する必要があった。

エドワード2世はウェールズ、イングランド中部、北部諸州から2万を超える軍を召集した。 主力となるのは弓兵と重装騎兵であり、この二つはスコットランド軍に対して優位を誇っていた。 一方、ロバート1世も1万の軍勢を率いていたが、その大半が歩兵で騎兵は数百人しかいなかった。 ロバート1世は数的不利と味方の脆弱さを補うために、戦場をバノックバーンに選んだ。また、イングランド軍の重装騎兵に対抗するため、小さな落とし穴を幾つも掘らせた。

1日目

イングランド軍は南西の方向からローマ街道に由来する道を進み、バノックバーンの野原に軍を展開した。対峙するスコットランド軍はロバート1世自身が陣頭に立って、騎兵で構成されたイングランド軍の先鋒に応戦した。 このとき、ロバート1世はイングランド軍のヘンリー・ド・ブーンと一騎打ちを行い、自らの戦斧でヘンリーを討ち取っている。戦意の低い歩兵主体のスコットランド軍は、ロバート1世の英雄的な行動に士気を高め、これがイングランド軍の敗北に繋がる。 300騎ほどのイングランド軍は小川を渡り、スターリング城を目指したが、スコットランド軍のシルトロン隊形と槍衾がこれを阻止した。 日没頃になると、エドワード2世が率いる本隊がバノックバーンに到着したが、それ以上の攻撃は難しかったので野営に入った。

2日目

エドワード2世の本隊が到着したことで対応を迫られたロバート1世は、イングランド軍が強行軍によって疲弊し、士気も弱いという情報を得たことで、夜明けと同時に攻撃することを決意した。 イングランド軍は重装騎兵が小川を渡っている一方、弓兵の多くが対岸に留まっていたので、ファルカークの戦いのように連携した戦術が採れなくなっていた。 前日のロバート1世の奮戦で士気が上がっていたスコットランド軍の攻撃を受けて、野営中のイングランド軍は態勢を建て直すことができなかった。 イングランド軍は背後に湿地帯があり、効果的な隊形を組む前にスコットランド軍のシルトロン隊形によって押し込まれた。 その中でもイングランド軍の弓兵は勇敢に戦ったが、ロバート1世は配下の騎兵を使って危険を取り払った。

スコットランド軍はイングランド軍に猛攻撃をかけて、もう少しでエドワード2世を捕らえるほどだった。 エドワード2世は自ら槌矛で応戦し、馬を失い、盾持ちまで捕らえられたが、ペンブルック伯ジャイルズ・ドゥ・アルジェンタンにより助けられた。 ペンブルック伯は王をスターリング城に向かわせると、引き返して戦死した。エドワード2世はスターリング城に辿り着いたが、落城を予見していた城主によって入城を拒否された。 そのためエドワード2世は戦いの場から逃亡し、イングランド軍は大敗した。スコットランドの詩人ジョン・バーバーによる叙事詩『ブルース』によると、壊滅したイングランド軍の死体で湿地帯が埋まったため、勝利したスコットランド軍は足を濡らさずにバノックバーンを渡れるほどだったという。

 Holkham_Bible

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===== 続く =====

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