ガイ・フォークスの陰謀=04=

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宿命の対決 カソリックvsプロテスタント=資料=

◆キリスト教は大きく2つの教会に分かれる。ローマ=カトリック(以降「カトリック」と記す)およびプロテスタントの属する西方教会と、正教会をはじめとした東方教会である。
◆西方教会を構成するうちのプロテスタントは、カトリック教会から分離した諸派の総称。分離のきっかけとなったのが1517年以降のマルティン・ルター=肖像画=率いる宗教改革運動であることは、世界史の時間に学んだ読者も多いはず。ルター派がローマ帝国カール5世に対してカトリック教会の改革を求める「抗議書(プロテスタティオ)」を送付。「抗議者(プロテスタント)」という名はこれに由来する。また、カトリックを「旧教」、プロテスタントを「新教」と呼ぶことも多い。

◆ルター派は聖書に基づく福音主義を唱え、カトリック教会の7つの秘蹟(Sacrament=洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、告解、病者の塗油)を廃止することを訴えた。また、それまでラテン語だけだった聖書や典礼をドイツ語に翻訳。これが大きく影響し、ルター派の教えはドイツ全体へ、そして北ヨーロッパに一気に広まっていった。

◆イングランドに目を向ければ1520年代、世継ぎ問題に悩む国王ヘンリー8世=肖像画=は、ローマ法王に離婚の許しを得られなかったことから宗教改革を断行。そして英国国教会(Church of England、日本では「聖公会」とも言う)の長となり、自らカトリックから決別。さらにイングランド国内のカトリック勢力を駆逐しようと努め、修道院や教会を破壊したり、土地をはじめとする所有財産を没収したりし(これにより、イングランド国庫は大いにうるおった)、カトリック教会と完全に対立した。

◆実はヘンリー8世の設立した英国国教会は、伝統的なカトリック信仰に近いものだったが、プロテスタントであることに変わりはなく、当時、まだ弱小国だったイングランドは、カトリック大国スペインなどからの圧力と戦うことを余儀なくされる。

◆ヘンリー8世の死後しばらくは、英国国教会の立場は不安定だった。次期国王エドワード6世がプロテスタントへの移行を強化しようとしたが、病弱だったため若くして逝去すると、その次の統治者(腹違いの姉)メアリー1世=右下の肖像画=はカトリック国家に戻そうと、スペインのフェリペ2世と結婚するかたわら、プロテスタントを徹底的に弾圧。多くのプロテスタントが処刑され、メアリー1世は『ブラディ・メアリー(血まみれメアリー)』と揶揄され、後世には、その名前のカクテルまで作られた。

◆ようやくエリザベス1世(メアリー1世の腹違いの妹)の時代となり、イングランドは再び英国国教会の国家へと舵を切る。メアリー1世時代ほど残虐な方法ではなかったものの、カトリック弾圧が行われた。この後に、やはりプロテスタントのジェームズ1世(スコットランド王としてはジェームズ6世)が王位に就き、これがガイ・フォークスらの陰謀へとつながる。

◆現在の英国国教会は、教義はプロテスタントに大きく影響を受ける反面、カトリックの典礼などを重視する。一般的には英国国教会をプロテスタントに含むが、信徒個人や教団によってはカトリックとプロテスタントの中道とみなすなど、意見の分かれるところであるようだ。

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 ○●○ 信念を貫く情熱の人 ○●○ 

 フォークスはイングランドに帰国した。ロンドンのストランドにあるダック&ドレイク・インの一室で、1604年5月、4人の共謀者と顔を合わせた。 ウィンターの従兄弟であるケイツビーがリーダーで、議事堂を、国王と議会もろとも爆破し、イングランドを再びカトリック教国にするという計画の詳細を告げた。 5人は神の前で秘密を守る誓いを交わした。その後、隣の部屋に移り、友人の司祭によって秘密のミサが執り行われた。

繰り返しになるが、フォークスは最初から計画に参加していたわけではなかった。 しかし、後世、この陰謀計画は「ガイ・フォークス」の仕組んだものとして語り継がれる。 火薬担当であったこと、そして、計画実行の直前に火薬の詰まった樽の前で逮捕されたのが、他でもなく、フォークスその人だったことが大きく関係していると考えられる。

ケイツビーたちに「議事堂爆破、国王暗殺しかカトリック教徒を救う道はない」と言われ、フォークスの持つ火薬の知識が必要だと頼られ、「同胞の危機を救わねば」と、彼は強い使命感を抱いたに違いなかった。 ヨーロッパでは、同じキリスト教徒同士でありながら、カトリックとプロテスタントに分かれ、血で血を洗う戦いが至るところで繰り広げられていた。 その頃の異常なまでに高まっていた緊張の中、信仰に命をかける者が後を絶たなかったのである。 フォークスは、そうした『殉教者』のひとりであったが、その陰謀の規模の大きさが破格であったため、比類なき国家反逆者というレッテルをはられてしまったといえる。

選んだ方法は、決して正当化されるものではないが、フォークスの信念と信仰心の強さは誰にもひけをとらなかった。 情熱の人であったと断言して良いだろう。

○●○ 皮肉な予言 ○●○ 

年は1605年に移り、準備はさらに進められた。 5人の主犯格に数人のカトリック教徒が新たに加わった。スペイン軍での爆薬の経験の豊富なフォークスが運搬・貯蔵責任者だった。 「ジョン・ジョンソン」を名乗り、議事堂の隣の家を借りた。 一方、火薬の詰まった36の樽は、テムズ川対岸にケイツビーの借りた家に保管。 船でフォークスの待機する家にまず運び、トンネルを掘って隣の議事堂へ運ぶ予定だった。 しかし、トンネルを掘る作業は、辛いばかりで遅々として進まず、フォークスたちを焦らせていた。

彼らの計画は、王宮近くに活動拠点を置くことから始まった。 トマス・パーシーは第9代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー (Henry Percy, 9th Earl of Northumberland) の遠縁であり、比較的宮廷に近い位置にいた。 王宮周辺に最も顔の利くパーシーの働きによって、彼らは上院に隣接した家を見つけ、5月24日に年12ポンドで賃貸契約を締結することに成功した。 この借家から上院直下の地下室に至るトンネルを掘り進め、その地下室に火薬を仕掛けることを試みたのである。

借家の鍵はガイ・フォークスに渡された。 以後、フォークスはパーシーの使用人を装い、「ジョン・ジョンソン (John Johnson)」という偽名を名乗って地下活動に従事することとなった。 火薬の保管場所として使用するためにランベス区でも家を借り、ロバート・キーズが担当として置かれた。 一味は一旦解散して、ミカエル祭の時に再び会うことにした。 再会した彼らは、掘削を始めるべき時が到来したとの見解を互いに確認する。
掘削作業は12月11日から開始した。 家への出入りを頻繁に行うと周囲に怪しまれるので、彼らはあらかじめ大量の食料を用意し、泊り込みで立ち塞がる土や岩盤と格闘した。 慣れない肉体労働に苦しみながらも、彼らは絶えず働いた。 この時期に、クリストファー・ライト、ロバート・ウィンターが計画に加わった。

その後、彼らは夜の闇に乗じて、ランベスから小舟で運んだ火薬をパーシーが借りた家に搬入した。 1605年のイースターの頃、作業中であった一味の真上で轟音が鳴った。 彼らは計画が発覚したのかと思い、不安に駆られた。 しかし調べた結果、王宮の地下貯蔵庫に置かれていた石炭を除去する音であったことが判明。 トンネルを掘削するという当初の計画を放棄して、彼らはこの地下貯蔵庫を年4ポンドで借りることを決めた。 早速火薬の入った樽が次々に運び込まれ、最初に20樽の火薬が運び込み ついで7月20日に16樽が運び込まれた。 爆発の威力を増加させるため、中に鉄片や石を混ぜ込むという念の入れようであった。 上院直下の地下室は、うずたかく積まれた燃料用の薪束の下に隠された36樽もの火薬で満たされた。

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ガイ・フォークスは、他者が偶然あるいは故意に家に入った場合に疑いを持たれぬよう、地下室を整理した。 フォークスはその後、かねてより助力を仰いでいたウィリアム・スタンリー (William Stanley) 及びヒュー・オーウェン (Hugh Owen) に経過を通知するためにフランドルに入り、8月に戻った。 一方ケイツビーはパーシーに対し、人手や資金が不足しているため、信頼できる者を引き入れねばならないと提案した。 彼は、エヴァラード・ディグビー、フランシス・トレシャム、アンブロー・ルークウッド、及びジョン・グラントに計画を伝えた。 ディグビーは1,500ポンドの寄付を、またトレシャムは2,000ポンドの寄付を申し出た。パーシーは、10頭の駿馬を調達することを約束した。

それだけに、貴族院本会議室の真下の貸し貯蔵庫の空室に計画した資材で満たされ、準備が整ったという知らせが入った時には、フォークスらは飛び上がらんばかりに喜び、神の導きだと感謝した。 貯蔵庫に入れるものに対してのチェックは厳しくなかったらしく、36の樽が一つずつ、ケイツビーの家から船で貯蔵庫に運び込まれていた。 ところが、ここで想定外のことが起こる。 ロンドンがペスト(黒死病)に襲われたのである。 このため次期国会開始日が秋まで延期された。 この時間を利用し、フォークスは再びオランダに渡り、スペイン軍の友人に計画遂行後の支援を頼んだ。 ところが、交渉が済み、ロンドンに戻ったフォークスをショッキングな知らせが待っていた。 当時の火薬には使用期限があり、それが切れたというのだ。 36樽の火薬が無駄になり、全てを再調達しなければならなかった。

このような回り道もあったものの、10月に入る頃には、準備作業は無事完了した。 フォークスは36樽の火薬を薪木と石炭で完璧に隠した。 ケイツビーはフォークスの仕事ぶりに大いに満足し、計画日に爆薬に点火する栄誉ある役割を彼に任じた。 点火後の段取りも固まっていた。 フォークスはテムズ川を渡って逃げ、主要メンバーの数人は、国王ジェームズ1世の9歳の娘エリザベスを名目上の女王にするため誘拐し、ミッドランドに馬を走らせることが決まっていた。

ケイツビーはフォークスに言った。 「君の名は長く語り継がれることになるだろう」。しかし皮肉にも、歴史は計画とは異なる方向へと進み始めており、この予言は別の意味で実現されることになる。 共謀者の間では不安が高まっていた。 何ヵ月にも及ぶ準備期間中、ケイツビーは富裕層の信者達から陰謀計画への支援を募っていた。 現金、武器、馬などの寄付が約束されたのは有り難かったが、しかし同時に多くの人が知れば知るほど、陰謀計画が漏れる可能性も高まることを共謀者たちも認めていた。そしてその懸念は現実のものとなってしまう。

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===== 続く =====

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