香辛料戦争;英国Vs和蘭=03=

Dutch Attack on the Medway, June 1667

大航海時代の終焉・・・・・

ナツメグ、そしてクローブ。 どちらも強烈に甘い香りを放つスパイスだ。 これらの香料を日常的に料理に使う日本人は少ない。 カレー類には普通に使われているスパイス類だが、他にはせいぜいハンバーグやミートローフといった料理の肉のニオイ消しとして粉末のナツメグを混ぜ込む程度かと思う。 しかし、この二つの香料は16世紀のヨーロッパ人たちを色々な意味で熱狂させた。

まだヨーロッパに中南米からイモやトウモロコシ、トマトや砂糖、唐辛子といった野菜類が紹介される以前のこと。 当時のヨーロッパでは肉中心の食生活が営まれていた。 保存技術が未熟であった時代、肉はすぐに傷む。 その腐敗臭をかき消すだけでなく殺菌効果もあると人気だったのが胡椒であり、それに加えて独特の甘い風味を加えるものとして珍重されたのがナツメグ、そしてクローブである。 ナツメグは別の理由で特に珍重された。 エリザベス朝の医者たちが、粉末のナツメグを丸めた匂い玉を、死に至る恐ろしい伝染病に効く唯一の特効薬だと騒ぎ立てたため、たちまち爆発的なインフレーションを巻き起こした。

ナツメグもクローブも、実際に整胃作用があり、生薬として今も使われているが、病気を治すほどの薬効はほぼみられない。 しかしこの時代の人たちはそれを信じた。 胡椒がインドを中心に、比較的広い地域で収穫されたのに比べ、このナツメグとクローブはこの当時、なぜか東インド諸島のマルク諸島にしか存在せず、何度も他の島への移植が試みられたが、当時の知識と技術ではうまくいかなかった。 それがまた、この2つのスパイスの価値を高める結果ともなる。 今ではどれもスーパーマーケットの棚に並び、せいぜい2ポンド前後で売られているこれらのスパイスを、当時の人たちは命がけで求め、そして現地の人たちを巻き込み、その結果何千という人たちが命を落とすこととなる。

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   ポルトガル人がアジアに進出する以前から、スパイス類はヨーロッパに出回っていたが、それは幾多の商人の手を経て陸路、海路でコンスタンチノープルに運ばれたものをヴェネチアの商人たちが買い付けてきたものであり、人の手を経れば経るほど、末端価格は跳ね上がっていた。 当然のこと、アラブの商人もヴェネチアの商人も、ナツメグやクローブといった貴重なスパイス類が一体どこで栽培・収穫されているのか、ヨーロッパ人に一切教えなかった。 そのため彼らは長い間、商人らの言い値で買わされ続けた訳だが、商人らが欲張って中間マージンを搾取し過ぎた結果、皮肉にもヨーロッパ人たちがスパイスを求めて直接、現地にまでやってくることになる。

1204年第4回十字軍とともにヴェネツィア艦隊は東ローマ帝国首都のコンスタンティノープルを攻略、援助への代償としてクレタ島などの海外領土を得て東地中海最強の海軍国家となり、アドリア海沿岸の港市の多くがヴェネツィアの影響下におかれた。ヴェネツィア共和国は東ローマ帝国分割で莫大な利益を獲得し、政治的にも地中海地域でヨーロッパ最大の勢力をほこるようになった。 東地中海から黒海にかけての海域が、いわば「イタリア商人の海」ともいうべき状況になったことは、おなじ13世紀に、ヴェネツィアのマルコ・ポーロが黒海北岸から中央アジアを経てへ向かうことを容易にさせた。

富裕な貴族たちは政治の支配権の獲得をくわだて、13世紀末ごろには寡頭政治がおこなわれるようになった。 13〜14世紀には商業上の宿敵であるジェノヴァとの戦いがつづいた。 1378〜81年の戦いで、ジェノヴァはヴェネツィアの優位を認めた。 その後も侵略戦争で周辺地域に領土を獲得したヴェネツィアは、15世紀後半にはキリスト教世界でも屈指の海軍力をもつ都市国家となった。
15世紀半ばのオスマン帝国の進出により、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、最盛期は終わりを告げた。 1538年におけるプレヴェザの海戦で、オスマン帝国は地中海の制海権をほぼおさえ、さらにヴェネツィアにとっての圧力となった。 その上、大砲の登場により干潟に住むメリットがなくなってしまった。 その後の諸外国の侵略や、ほかのイタリア都市の攻撃で、ヴェネツィアの力は弱まった。 また、1497〜98年にポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマ喜望峰をまわるインド航路を発見したため、貿易の対象がアジアに移り、アメリカ大陸が発見され、時は大航海時代へ遷ること共に貿易の舞台はアドリア海から大西洋や太平洋に移り、ヴェネツィアの貿易に対する影響力は低下、衰退は加速された。

1522年にポルトガル人のマゼラン一行が、西回りでの世界一周に成功し、香辛料をヨーロッパに持ち帰った。 ところがそれに続いたのはイングランド人のフランシス・ドレークであった。 1580年のことである。 ポルトガル人とスペイン人以外のヨーロッパ人が遂に、むせ返るような甘美なスパイスの香りを漂わせる夢の島を発見し、これを掠め取ろうと動き始めるのである。

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  マゼランの時代の航海は現代の船旅のように快適ではなかった。 大航海時代の船旅は、まず食べ物は前述のように航海用ビスケット(堅パン)と塩漬の肉や魚が主であり、他には各種の豆類、干しぶどう、干しイチジク、米、蜂蜜、ナッツ、小麦粉、チーズなどを食していた。 船には簡単なかまどがあり、海が穏やかであれば暖かいものも食べることはできたが、新鮮な野菜や肉は無くあまり美味しいものではなかった。 それは塩漬肉を豆や米などと共に煮込んだようなもので、マゼランの航海の50年後のスペイン人航海者エウヘニオ・デ・サラサールは「腐っているかのような、未開人のシチューのような味がした」と形容している。
しかし、海が荒れるとそれすらも食べられなくなる。 堅パンや穀類、チーズは日が経つと蛆やコクゾウムシが沸き、塩漬肉は悪臭を放つ。 ネズミや虫に彼らのビスケットを食い荒されている。 ただし、船上では魚釣りが盛んに行われ、釣り上げた魚は貴重な生鮮食品であった。 マゼランらはパタゴニアではペンギンやアザラシも捕り、とくにペンギンは大量に捕まえ食料にしていた。 コロンブスの航海のように1ヶ月強の航海であるならばともかく、バスコ・ダ・ガマや マゼラン、フランシス・ドレークらのように数ヶ月も寄港しない航海者達は壊血病に苦しむことになり、この時代の船員の死亡率は非常に高かった。 主食が堅パンや塩漬の肉のようなものであるにもかかわらず、船では真水は貴重であり、1日に約1リットルしか配分されなかった。

マゼランの艦隊は、太平洋の真ん中で食料が尽き、訪れた上陸先で手に入るもので間に合わせるしかなくなった。 彼らの寄港地はパタゴニア以外はほとんどは熱帯であり、食料は豊富であったが、保存がきく食べ物は米くらいしかなく、アジアから喜望峰経由で帰国するインド洋と大西洋の航海ではビクトリア号の食料は米ばかりであった。 その米も途中で尽き香料諸島を出発した時には60人いたビクトリア号の乗組員だが、半数以上は航海途中で壊血病と栄養失調で死んでいる。

船室について、船長や副長など指揮官クラスは船室を与えられていたが、一般の乗組員には特に乗組員用の船室はなく、暖かいときは甲板で、寒いときには荷物を積んだ船倉で荷物の間にスペースを見つけて休んでいたらしい木造の船で各種の荷物を満載した船では油虫やネズミも発生する。 体を洗う設備もなく、海水を汲み上げて体や衣服を洗っていたが、着替えが沢山あるわけでもなく、石鹸も無い環境ではシラミに悩まされ、悪臭が常にまとわり付いていたと思われている。

トイレについて、大航海時代の船には特にトイレはなかった。 排泄は舷側から海上に張り出した箱のようなものを使用していたが、その箱は真ん中が抜けていて真下は海である。 直接、海に落とすわけである。 しかし小さな船ではそれさえなく、ロープにつかまり舷側から尻を海側に突き出して排泄したらしい。 嵐の中では海上に張り出した底の抜けたような箱を使ったり、ロープにつかまって尻を海上に突き出すような排泄はできず、船倉は悪臭が漂うことになる。

セックスについて、寄港地では船員は積極的に行動したと思われる。 リオ・デ・ジャネイロやフィリピンなどの寄港地では乗組員達が性欲を満足させていたことをうかがわせる記述を残している。 リオ・デ・ジャネイロでは女性への対価は手斧や短刀などの道具類なら1本である。 航海中の勤務は3交代、日の出から日没まで、日没から夜半まで、夜半から日の出までの3組に別れて勤務に就いた。 また、長期間の航海で傷んだ船は、陸に引き上げ横倒しにして船底の保守も必要であった。 彼らはこのような過酷な航海によって未知の海洋や大陸を探検していたのである。

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===== 続く =====

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