サムライから葡萄王へ=07=

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排日運動の影

1900年代に入ると、サンフランシスコでは、日系人社会が急激に膨れ上がっていたことから、排日感情が高まってきた。 そんな矢先、1906年四月十八日の早朝、サンフランシスコをおよそマグニチュード7.8の大地震が襲い、大惨事となる。 そして市の教育委員会はこれをきっかけとして、日本人の児童に中国人学校へ通うことを義務づけた。 震災の影響で学校のスペースが足りなくなったというのがその理由である。

しかしあまりにも説明がこじつけで差別を目的としていることが一目瞭然だったため、憤慨した日本人は抗議運動を展開する。 「サンフランシスコ学童隔離事件」として知られるこの一件は、日米間の国際問題にまで発展するが、後に米国政府が学童隔離の撤回を命じ、日本人児童の復学が許可される。 しかしその条件として日米紳士協定が締結され、移民渡航の自粛が定められるに至った。 こうして、1913年にはカリフォルニア州外国人土地法が制定される。 その背景には、多くの日系農民たちが経済的に成功し、それがアメリカ人農民の反発を招いたという事実もあった。 これにより、市民権を持たない日本人移民は土地を所有できなくなったのである。

=カリフォルニア州外国人土地法排日土地法、ウェッブ法案、英:California Alien Land Law)は、米カリフォルニア州議会で1913年に可決された、市民権獲得資格の無い外国人(主に日系人らアジア系移民)の土地所有および3年以上の賃借を禁止した法律。

法律の条文は日系人を特定する言葉は無いが、日系移民の数が増加し経済進出が著しかった背景、および当時アジア系移民に市民権獲得資格が無かったことから、日系人を閉め出す目的が明白であったため「排日土地法」とも呼ばれる。 また、法案起草者のウェッブ・ヘニーは、「この法案は、農業において日本人がこれ以上発展するのを防ぐのではなく、カルフォルニア州から日本人を追い払うことを目的としている……」と述べている。  後にアリゾナ州などでも同様な法案が通過された。=

しかしこういった状況が長澤に影響を及ぼすようなことはほとんどなかった。 すでに土地を所有していたし、長澤は白人社会の中でも「バロン」「プリンス」などとも呼ばれ、その存在を認められていたからである。 ところが、そのことがかえって、排日運動を真っ向から食らっている在住日本人に、長澤に対して複雑な感情をもたらすことになってしまう。

長澤の偉業は誰もが認めるところであり、同じ日本人としての誇りでもある一方、日本人でありながらも日本人でないような長澤の立場に、嫉妬や苛立ちに似た感情をおぼえた人々も少なくなかった。 そして長澤自身もおそらく、そこにある種のジレンマを感じていたと思われる。 自身のアイデンティティを問うことも多かったのではないだろうか。

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  長澤は日本移民が流入してきた1890年以降、労働者として日本人を積極的に雇うなどして、さりげなく日系社会に貢献していた。 後にサンフランシスコの日系新聞「新世界」を発刊する副島八郎や、カリフォルニアで洗濯業を営むことになる塚本松之助なども、長澤のもとで働いた経験を持つ。 日本企業が米国に進出し始めた時期でもあり、日系銀行や日本領事とも繋がりをもつようにもなっていた長澤にとって、日本人を雇うことで日本語を話す機会が得られるというのも大きな利点だったようだ。

また、祖国を思う気持ちを忘れたわけでは決してなかったはずだ。 その証拠に、こんな逸話がある。

明治の末、日本海軍の練習艦隊が遠洋航海中、サンフランシスコに寄港したのだが、そこに薩摩島津家の第三十代当主、島津忠重が士官候補生として乗り込んでいた。 それを聞きつけた長澤は馬車を用意して島津忠重を迎え、サンタローザの自宅に招いた。 そしてなんと、門前で土下座して旧主を迎えたというのである。 周囲の米国人たちは、これを見てひどく驚いたそうだが、十三歳で渡英して以来、欧米社会で生きてきた長澤の精神に、いまだ「藩意識」が残っていたことを物語る出来事である。

長澤は自分が成した功績などを声高に主張することを好まなかった。 それどころか寡黙で、自身について多くを語らなかった。 それだけに誤解を招く結果を呼ぶことも少なからずあったようだが、そこはこれまで自分が信じる道をただひたすら歩んできた長澤にとって甘受すべき部分であり、またどうすることもできない壁でもあったのかもしれない。

長澤は1897年から1923年にかけて、四回帰国しているが、その主な目的は、メキシコで新たなコロニーを建設するための資金集めだったといわれる。 しかし結局思うように資金は集まらず、計画は頓挫する。 後に長澤は「日本人は、欧米人のように何代にもわたって成し遂げるような壮大な計画に取り組む気風がない」といった内容の発言をしており、日本人の、あくまでもドメスティックで思い切りに欠ける気質を嘆いていた様子も窺える。 そしてその後は一度たりとも日本の地を踏むことはなかった。

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禁酒法の煽りを受けて

排日運動が呼び起こした軋轢に加え、この頃、長澤にとって試練となったのが、一九二〇年一月十七日より施行された禁酒法である。 この法律が生まれた背景には、一八四〇年代以降、流入してきたアイルランドやドイツからの移民たちと米国社会との文化的摩擦が挙げられる。  安息日を無視して同じ民族的背景をもつ者が経営する酒場で飲酒し、泥酔して騒ぎを起こすことを快く思わない禁酒運動家たちが、法律によってモラルの改正を訴えたのである。

「この法によって許可される場合を除き、少しでも誰かを酔わせる酒を製造しない、売らない、物々交換しない、輸送しない、輸入しない、輸出しない、届けない、提供しない」と掲げられたこの法律のために、当然ワインは出荷できなくなった。   仕方なく薬用酒や料理酒、また生食用の葡萄栽培に切り替えたものの、ビジネスは大打撃を受け、必然的に縮小を余儀なくされた。  なかには密売を持ちかけた業者もあったが、長澤は彼らの目前で樽を割って、これを拒絶したという。

ワイナリーは閑散とした空気に包まれる日々が続いたが、かねてからの習慣により自給自足の暮らしを続けていた長澤は、蓄えもあったために突然生活に困窮するというようなこともなく、比較的豊かな生活を続けていたようである。 この頃、長澤宅を訪れた河村幽川の記録にはこう書かれている。

「山荘へ行くとまずお茶がわりに酒蔵から出したての古いホワイトワインをご馳走になった。   外ではいくら金を出しても手に入らぬ代物である。 (中略)長澤邸では長い間の習慣から自給自足、町の商店からはほとんどのものを買っていなかった。 野菜は畑で作り、パンは家で焼き、牛も豚も飼っている。チーズ、バター等、手に入らぬものはなかった。だから私どもは、山荘を訪れるときは必ず魚を持っていった」
ちなみに禁酒法とは酒の製造や販売を禁止するものであり、飲酒は禁止されていない。  そこで長澤はこの期間中、しばし晩餐会を催しては、地元の人々にワインを振る舞ったという。  更には、禁酒法時代、密売を持ちかけた業者の前で樽を割って拒絶している。

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アメリカ合衆国史における禁酒法(Prohibition)は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律である。「高貴な実験(The Noble Experiment)」とも揶揄された。 禁酒運動による相当な圧力の下で、米国上院1917年12月18日に憲法修正第18条を提出した。 1919年1月16日に3/4の州(当時は36州)による批准が完了して憲法修正条項が成立し、翌年1月16日に施行され、いくつかの州議会では憲法修正第18条の批准の前に、州としての禁酒法を既に立法化していた。

ボルステッド法(正式名:国家禁酒法)はウッドロウ・ウィルソン大統領拒否権を発動するも、1919年10月28日に議会が再可決し、「酔いをもたらす飲料」を法的に定義して、憲法修正第18条で規制の対象とするアルコール飲料を定めた。 一方、ボルステッド法はアルコール販売を禁止したが、法律を強制することはほとんど行われなかった。 違法な酒の流通および無許可での製造販売は激烈になったが、政府にはアメリカ全ての国境、湖、河川および秘密酒場で法執行を強制する手段も意志もなかった。 実際にはニューヨーク市単独でも、30,000-50,000軒もの違法な酒場がいたるところにあった。 特に都市部においては禁酒法は世界大恐慌の間、次第に不興を買うようになった。=

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===== 続く =====

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