創作; “光の庭”のうたた寝 =002=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

2015-02-09_03

❝ =第一章第1節_02= 遼王朝崩落 ❞ 

燕京の動向を怜悧な刺眼で見詰めている友安禄明に連絡を取らねばと 大石は襟元からさし込む寒さに 一度身を震わせ、何時も身近に控える耶律時に声をかけた。 二人は拾い集めた羊の糞を燃やし暖をとっている。 羊の糞は乾燥しており、小枝を火種にすれば容易に燃える。 青白い炎は小さいが長持ちする。 その焚き火を大石は見詰めている。

「明日も 苦労を掛けるな」

「めっそうもない、耶律楚詞さまが・・・・」

だが、大石の胸裏には時が言いよどんだ耶律楚詞のことは無かったようである。

  満天の空、月は冴え 星は個性を競いう。 流れ星が走ったが その流星に二人は気が付かなかった。 会話は途絶えている。 月明かりが、その光を増したようだ。 牛車を仮のねぐらにして、秦王・耶律定皇太子が蕭徳妃に抱きかかえられるように眠っている。 炎を見詰める二人を円陣で囲むように三十数余の将兵が羊の皮に身を包んで蹲っている。 晩秋とは言え、砂漠縁辺の夜は寒い。

耶律時は兄とも敬愛し、信服する遼帝国の皇族大石が会いに行こうとする遼帝国が天祚皇帝の甥である耶律楚詞を思っていた。 無言の耶律大石は燕京の動向をおもっているのであろうか・・・・・・・

  宋の第8代皇帝徽宗(キソウ)は文人・画人としての才能を持ち、絵画・建築・造園などに優れていた。 百官の宮廷人は彼の絶対的な権力と才能に畏怖していた。 また、後世の文人・博識地人は彼をして芸術面では北宋最高の1人と言わしめているのである。

  皇帝徽宗は、自己の宮庭に 造園に必要な珍花・名木・奇石、特に太湖石を全土より集めた。 そのため、童貫(ドウカン)や蔡京(サイキョウ)、後には蔡京の推挙した朱勔(シュキン)らを収集の責任者に任じ、集めさせた。  皇帝の意向は絶対であった。  調達させた珍花・名木・奇石などは花石綱(カセキコウ)とよばれ、国政的な重要事業として扱われた。  その調達は、主に中国南部の江南地方で行われた。  目に留まった花石綱は強制的に買い上げ、あるいは強奪し、運河や陸路を利用して首都・開封へ運ばせた。

 その方法たるや、公文の通達にて

・ 陸路で輸送する際は、邪魔になる民家を取り壊す。

・ 運河で輸送する際は、邪魔になる橋を取り壊す。

・ 運搬に際しては、原型を留めるため、大小に関わりなく 丁寧な梱包が義務づける。

このような強引な調達方法や、運搬にも多額の費用・労働力がかかったことから民衆の恨みを買った。  その結果、「朱勔を誅せよ」と掲げた方臘(ホウロウ)の乱を初めとする民衆蜂起が、江南地方一帯で発生する。 宋の圧政に反旗を翻した民衆の指導者たちは、何時しか 江南の梁山泊に屯し、徒党を組んだ。  天魁星と呼ばれる英雄の宋江(ソウコウ)が彼らを束ねていた。

  1120年、中国の江南地方 花石綱収集を直接の原因とし徽宗が行った種々の苛政を背景にして、漆園の経営者で“喫菜事魔(マニ教)の徒”である方臘(ホウロウ)の主導によって 民衆蜂起が発生した。  反徒は役所や寺、道観、学校を襲撃して官吏を殺害し、一時期は江南の1353県が反乱軍の手に落ちた。 方臘は自らを聖公と名乗り、永楽という年号を定めた。

  折りしも北宋では、海上の盟に則り、遼攻撃に備えて禁軍遠征部隊を編成していた。 そこから15万を割き、童貫(ドウカン)を総司令官として南征軍を編成し、方臘討伐を開始した。 童貫は去勢され男性機能を失ったはずの宦官でありながら、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした体躯で顎鬚まで生えていたという怪人物であり、将軍として南下した。

南宋・金・遼

 童貫が長江を渡渉すると、方臘は銭塘江流域の睦州清渓に移動し童貫軍の攻撃に備えた。 反乱勢力の抵抗は長引き、童貫軍は反乱勢力下に住まわるマニ教信徒数十万人を殺し尽すという過酷な戦の末に、王淵(オウエン)麾下の将校の韓世忠の活躍などにより 11214月、方臘を捕え 開封府にてこれを処刑した。

  しかし、 方臘の反乱と、童貫軍の激しい略奪もあいまって、江南の疲弊は大きなものとなった。 この乱の平定に加わった将軍の中に、先に反乱を起こした梁山泊の天魁星将軍宋江(ソウコウ)が参加していた。 宋江は率いる反乱軍を河朔(黄河北岸)に興し、1121年に淮南の諸地方を荒らした後、官軍の追討を受けて京東(北宋の首都開封の東、現在の山東省西部)、江北(長江北岸)を転戦し十郡を攻略していた。

 

=== 続く ===

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