創作; “光の庭”のうたた寝 =008=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

騎馬民ー1

❝ =第一章第1節_08= 遼王朝崩落 ❞ 

1122年夏、宋の童貫は、劉延慶将軍の指揮の下で南京(燕京/北京)に奇襲をかける命を下した。 新たに20万に増強した宋軍は天錫帝の崩御の混乱に乗じて再び侵攻してきた。 劉延慶将軍が指揮下の15万の大兵力=禁軍遠征部隊=が北遼侵攻を開始、童貫が直接率いる5万の将兵が後詰めとして追随した。 童貫の字は道夫。 彼は開封の人。 去勢され男性機能を失ったはずの宦官でありながら、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした体躯で顎鬚までたくわえる怪人物である。

童貫は北遼の軍隊は、ひとたび刃を交わせば直ちに宋に降伏する手筈だと喧伝していた。 彼は耶律大石が宋と内通する北稜宰相の李処温に天誅を下したことは知らない。 また、北遼は南京に立ち籠り、籠城作戦しか手の施しようがないと確信していた。 しかし、耶律大石は、親友安禄明の父・安禄衝が南方で展開する商いの組織を通じて、江南は梁山泊の豪傑・宋江以下36人の好漢達に背面で農民の暴動的行動を起こして 北に向かって進軍する宋軍の背後を攪乱することを依頼していた。 この戦いを優位に運ぶ陽動作戦を画策している事を知らない。 更にまた、大石がマニ教団の幹部を通じて、漢南の信徒数十万人が童貫の禁軍遠征部隊が行軍する進路を阻害するように依頼していた。 宋軍は兵糧が確保できない状況に追い込んでいたのである。

南京(燕京/北京)を守る耶律大石率いる北遼軍の抵抗は頑強であった。 初戦で、宋の楊可世将軍率いる前軍・辛興宗隊を撥ねかえす。 続く、劉延慶将軍の本体、西路軍の辛興宗将軍、東路軍の王淵将軍の各隊を国境線である南の白溝河まで敗走させたのである。 後続の童貫は北遼軍を恐れて遼国内深くまで侵攻した自軍の退路を遮断したため、東路軍は壊滅的打撃を被り西路軍も大きな被害を出した。 劉延慶将軍は残余の将兵に激を飛ばして、西方の燕雲・大原を目指して敗走した。 なんとか黄河を南に渡ったと言う。 宋は童貫の監督下で20万の大軍を動員したいたが、奇妙としか思えぬ戦略戦術で二万余の将兵によって白溝河で大敗を喫した童貫、万策尽きた童貫は自力での北遼攻撃は困難であると判断し、金に燕京攻撃を依頼したのだ。

・・・・しかし、あの戦い以降 二年の歳月しか過ぎていないのに、 なぜであろうか・・・・・いま、 女真族の阿骨打に追われるように五原の天祚帝に会いに行こうとしている・・・・・ 阿骨打は、宋と手を組み、南北から遼を侵略して 抹殺するであろうが、勢いの在る金は宋すら飲み込むであろうか・・・・

騎馬民ー2
阿骨打(アコツダ)は、先年の1115年に按出虎水で皇帝に即位し、国号を大金と定め、按出虎水にある会寧(上京会寧府)を都としていた。 同年 遼の天祚帝率いる大軍を破っていたのである。 北遼に苦しめられてきた宋は阿骨打の威勢を聞いて遼を挟撃しようと図り、1120年 金と“海上の盟”といわれる同盟を結んでいた。 これにより阿骨打は遼との決戦に臨み、同年遼の都上京を占領し、さらに南京に迫った。 阿骨打は童貫の依頼を渡りに船と快諾、これを受理し これを利用して 北方より南下、三路から南京に迫ったのである。
もともと、宋軍は耶律大石の戦略的計略で発生したマニ教徒主体の“方臘の乱”など国内の内乱発生の鎮圧に軍隊までも振り向けられていたため南京(燕京/北京)攻略の侵攻が遅れ、阿骨打は北宋との盟約“海上の盟”に従って南京を攻め残していた。 北方の遊牧民は漢中(万里の長城以南の定着農耕文化)の文化に対して絶対的な憧れをいだいている。 宋の漢中文化への畏怖心、憧れが劣等感を誘引していた。 遼王朝に対しては新興の自負心があったが、宋軍が南京を陥落させるのを見守っていたのである。 しかし、弱体化した宋軍は耶律大石らの率いる遼の残存勢力・北遼に連敗していたのである。
金軍が南京の攻略に南進した。 金の将軍達は遼寧省承徳で長城を越える東路軍と内蒙古・張家口から長城越えの西路軍に、“天下第一雄関”・居庸関を撃破して南京(燕京/北京)に迫る中央路軍の編隊で進軍した。 阿骨打は中央路・居庸関を指揮し、悠然と進軍していた。 10月、大石は居庸関で迎撃する。 燕京には幼い秦王・耶律定と摂政・蕭徳妃皇后が老将耶律尚将軍に守られていた。 しかし、大石が金軍に捕らえられた。 阿骨打は大石らを厚遇し、軍門に降りろと誘う。 遼宗室の耶律余睹が金に仕え、武将として仕え 対宋戦略の任に就いている秘密を明かしてもいる。 また、北遼の宰相・李処温の宋との内通している事実をも耳打ちしたのである。

=== 続く ===

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