創作; “光の庭”のうたた寝 =020=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

遺構ー2

❝ =第一章第2節_06= 陰山・五原 ❞

帝都南京(燕京)に向かう秦王・耶律定太子は何もできなかったであろう。 陰山の五原を離れる折、摂政皇后と耶律大石に会えなかった悲しさが終始去来し、漠々と変わらぬゴビ砂漠南縁を東に向かう街道の風景は変わりようがなく、その変化の乏しさが秦王を寡黙に追い込んでいた。 視界が変化していくこともあるのだが、それを認識できないほど弱々しく、生気を無くした皇子である。 活気を無くした彼が視界を遠方に向ければ、左方には陰山山脈が黒々とした山腹を横たえ、右手には緑の樹林帯が見渡せたはずである。 樹林帯の奥に岩肌の丘陵が伺えるはずである。 その丘陵の高い尾根筋に長城が築かれている事など秦王・耶律定は知る由もない。

長城の南が燕雲十六州であり、燕雲十六州に居住する遼王朝の皇族たちが、北遼国を再興しようとする耶律涅魯古(ヤリツ・デツロコ)を中核として結束していた。 耶律大石の命を受けた耶律厳鎮西将軍が200騎の将を率いて潜伏していた。 他方、五原―包頭(パオトウ)―帰化城(フフホト)―鳥蘭察布市(ウランチャブ)を通過して丘陵地帯に踏み込んだ秦王警護隊の一行は8日の旅程を11日も費やして、店浦村郷に到達していた。 挿箭嶺(ソウセンレイ)長城手前の村落である。 挿箭嶺長城を渡り越せば張家口と大同の中間地帯に抜け、南京(燕京)までは3日。 燕雲東部を通過する安全な道程である。

北遼帝国が皇太子の帰城を護衛するその一団には覇気は無かった。 晩春とは言え、草原の芽生えは遅く 夜半の寒さは時として凍てついた。 五原を離れて11日、二三日で万里の長城が挿箭嶺を越え、漢中に入るのだが、金の阿骨打が軍勢に追われるように脱出した都に安住の場所はあるのであろうか。 金の将兵が、いや 阿骨打は燕雲十六州を宋に委ね、金銭の代価で身を引いたと言うが金の威風で南京(燕京)は自由を奪われ、覇気ある遼の旧臣は遼に忠たらんとすればするほど失息しているであろう。 護衛の50数名の将兵には緊張感も無く、疲労感もない。 ただ、牛車に揺られながらの幼い秦王とは言え 屠殺場へ着飾った牛車の乗せて曳いて行く倦怠感が漂っていた。 引率する耶律阿思将軍はなにも考えないことにしているようである。

二三日前に耳にした父の皇后殺害事件。 そして、大石の沈黙。 牛車の中で、揺れに身を委ねながらの幼い秦王とは言え考え考えしていたのである。 摂政皇后の死が意味することを、耶律大石統帥が傍にいないこと・・・・・に。 帝都南京に人質として父の天祚皇帝から差し向けられていると・・・・・ 従僕達の話の端から全てを知るようになっていた。 この旅は、牛車を護衛する兵が来たときより多い。 しかし、すべての者が目をそらし、私を遠ざけている。 私は檻に入れられて阿骨打の人質として連れて行かれている。

遼の太子・秦王が長城を越え、南下を始めるに前に護衛軍を率いる耶律阿思が偵察隊を先行させた。 その数30余騎。 偵察隊は先行しつつ、二名単位で各所に留まり長城に至る谷筋の安全を確保させた。 長城に至る北側の街道は野盗の領域である。 更に、先行する10騎は挿箭嶺(ソウセンレイ)長城の安全を確認した後に南京の宮城に向かわせたのである。 護衛軍が入京する前に帝都の状況を知らせに帰隊する旨の命令であった。 挿箭嶺長城を超せば、南側にある小さな谷筋の間道より張家口への街道にでる。 張家口で先遣隊と合流すれば、帝都入城の予測ができると耶律阿思は考えていた。

南京(燕京)にいた北遼の大臣たちは 耶律大石軍事統師の帰還は望むべくも無く、失望の中で政務は手に着かなかった。  北遼は直面する金国が阿骨打の猛威と南宋に対抗しうる錦の御旗“天帝”を必要としていた。  しかし、遼の後継・北遼を取り囲む状況は 更なる厳しさを増していた。  一部の将兵は金に投降し、一部の大臣や官僚は宋に内通した。 金の阿骨打は天祚帝の捕獲を命じ、遼の残余勢力を泳がせていた。

呉乞買
  因みに 阿骨打は、翌年の1123年秋9月19日に天祚帝の追撃を試みたが途中で発病し、部堵濼(ウトウル、現在の瀋陽付近)にて56歳で病没し、同母弟の呉乞買(ウキツバイ・太宗)が後を継ぐ。 呉乞買は1125年に天祚帝を捕え遼を完全に滅ぼしたが、歳幣の支払い等を巡って北宋と対立する。 呉乞買は、1127年“靖康の変”で北宋を滅ぼし、華北一帯を領有するのだが・・・・・

2015-02-26_1

=== 続く ===

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