創作; “光の庭”のうたた寝 =027=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

天空ー1

❝ =第一章第2節_13= 陰山・五原 ❞

湖面に遊ぶ鳥に石隻也は矢を射ていた。 耶律大石が南京(燕京)を離れた日から数えれば10ヵ月を過ぎようとしている。 周囲の葦は全盛期を過ぎ枯れ始めている。 小柄な隻也の体は葦原に埋没している。 その背後、息を殺した耶律時が、葦の隙間から若者の動作を注意深く擬視している。 枯れ始めた葦が二人の体を隠しているゆえ、小動物さえその存在に気付かぬであろう。 隻也が矢を十本放てば、八羽の小鳥が湖面に浮いていた。 矢立の中には五本の矢が残っていた。 すでに 矢の二十本は放たれている。 耶律時は筋肉質の巨体を立ち上げながら、「隻也、今日はこれまで、矢立には五本の矢を残して置くものぞ、しかし、汝 以前から矢を射ていたのか・・・・」

「・・・・都の安禄様のお屋敷の裏庭にて、 一人で的を立て 密やかに引いておりましたが・・・・ 先日来の お教えで・・・・・何とか コツが・・・・・」石隻也の顔からは 未だに矢を射る緊張から解放されていないようすが覗える。
「流石に 軍事統師殿 小身の汝には 矢武がよいと一眼されたのぉー お蔭で毎夜鳥が口に入る、だが、百発百中には今一歩 雪になる前に狼と対峙し、一矢で仕留めることができねば、狼の牙にその腕もぎ取られる。」

「夜半に 聞こえるあの遠吠えが狼ですか・・・・」

「この近隣には 狼が多い。 狼を射て殺せば人並みの武人として人が認めてくれるでのぉー 励むがいい、汝の声からして、肝っ玉の座り具合はよくわかる。 楽しみが増えたのぉー。  隻也 鳥を籠に納めて帰るとするかな・・・」 さりげなく語る、時が言う言葉の端は端に、隻也は何となく、自信が湧ていた。

葦原を分け、王庭に向かう二人の背後から馬が歩む音が聞こえてきた。 すばやく、耶律時は身を縮め、後方を覗う。 一時の沈黙であった。 石隻也は葦をかき分け、背伸びし 音のする方向を確認している。 数頭の馬のようである。 急ぎ足の斜対歩、速歩で王庭に向かっている。 蹄の音が近づいてくる。 日未だ高く、雲一つない青空が葦の間から広がっている。

「・・・オオー あれは、あの僧姿は天狗殿 いや、耶律楚詞さま、・・・・ 隻也、我に続け」と言いざま 「耶律楚詞殿 楚詞殿・・・・」と叫び、葦原をかき分け、馬のいる方向に向かって直進する。 葦の高さで視界を塞がれた隻也は時がかき分けた空間を頼りに後を追う。 馬上から眺めれば、耶律時の頭が葦原の海を浮き沈みを繰り返し進んで来るように見えたであろう。 その背後で足が揺れている。 隻也も、数頭の馬を感知したのであろう、時を追い、まっしぐらに馬を目指した。 葦をものともせず駆け抜けようとする隻也は時の指呼と馬上の人物をから、帝都(燕京)の安禄明が屋敷裏での記憶を思い出していた。 楚詞王子が声を掛けてくれた優しい言葉を思い出していた。

葦の戦ぎに気付いた耶律楚詞は、耶律時の怒っているような顔が波打つ葦原の海を進んで来るのを見た。 その前方の葦が大きく波打ち、左右に揺れている。 二人がこちらに向かってくる。 一人は耶律時・・・・・

「迎えが来たようです、あれに いい空地が見える、あの空地にて出迎えを受けましょう 」

「駆けて来る武人が、耶律時殿でしょう、楽しみでございます 」と チムギが応じる。 二人は轡を並べて 駒を進めていた。 チムギが身に被う服装は西域の衣装、乗馬には適した下裾衣であった。 二人の後方には 西域の衣服を着る若者が四人、それぞれ 控えの馬を曳いている。 色目人と言われる中央アジアのウイグル人か、その西方に住むテュルク系のムスリムであろう。 チムギの伴者であるらしい。

ゴビ砂漠
❝ ・・閑中夜話・・・・資料として ❞
ソグド人は、中央アジアのゼラフシャン川流域地方に住んでいたペルシャ系のオアシス灌漑農耕民族。 また、商業を得意とし、あまり定住にこだわらず、シルクロード周辺域で多様な経済活動を行った。 近年の研究では、シルクロードを経済的に支配していたと言われている。 居住地であるソグディアナがシルクロードの中間に位置することから、アケメネス朝支配下にあった頃より広く交易に従事し、アレクサンドロス大王の征服、その後のグレコ・バクトリア王国支配下においても、独自のソグド語を守り、ウイグル文字の祖であるソグド文字を利用し、宗教的にはゾロアスター教、のちに一部がマニ教を信奉して、東方のイラン系精神文化を中国にもたらした。因みに、蒙古文字はウイグル文字を漢風に縦書きに転化したものである。 ソグド人の活動範囲は東ローマ帝国から唐の長安から黄河沿いに山東半島まで及んだが、イスラム勢力の台頭によりイスラム化が進み、12世紀にはその民族的特色は失われた。 玄奘三蔵が『大唐西域記』にてインドに向かう途上の記録として彼らの風俗を記している。

8世紀、中央ユーラシアにおいて突厥(トッケツ)に代わり、回鶻(ウイグル)が北方草原の覇者となった。 ソグド人は引き続き貿易相手となったウイグルのもとへ入り込み、植民集落(ソグド人コロニー)や植民都市を形成した。 これらのソグド人たちはウイグルにソグド文化を持ち込み、なかには遊牧民化する者も現れたため、次第に混血が起こり、ソグド系突厥人やソグド系ウイグル人といった集団が生まれるようになった。 こうしてウイグルのもとで貿易活動に従事したソグド人は唐国内の長安を筆頭とする大都市に多くのマニ教寺院を建て、そこを拠点に商業活動に従事した。

色目人

=== 続く ===

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